中村一般さん個展


 


そこにあって、手を伸ばすことが出来て、だけど掴みきれない輝き【中村一般さん大阪個展】


 まさしくここは美術の世界だ。中村一般さんの個展会場に足を踏み入れた時、最初にそう感じた。我ながら変な例えだ。

 行ったことがある人ならば、共感してくれるだろうか。美術館に展示されている絵画や彫刻などといった作品だけでなく、展示作品の周りにある風景や椅子に座る学芸員、併設されたカフェで食べるフルーツパフェ、敷地内にある物の全てが芸術的な何かだと見えてしまうそんな錯覚。美術の世界。

 私はそういった美術と深く関係する場所に訪れるたび、作り手たちの計り知れないセンスと才能に、嫉妬にも近い羨望の気持ちと素直な感銘と尊敬の念を抱いてしまう訳だ。

 頭に浮かぶ様々な感情を、言葉で表現して形にすることは出来る。しかし、文字ではない手法は苦手だ。直線や曲線、鮮やかな色の重なり、光と影。真っ白のキャンバスの表面に、それらの無数の組み合わせと可能性の中から最適なものを的確に選び出し、唯一無二の絵を産み出すということが、私にとって遥か天上の雲の上で行われているような創造的行為にしか思えないのだ。そもそも、綺麗な線を描くことすら難儀だ。

 ともかく、そんな美術に対する自身の浅はかなコンプレックスの再認識と、それとは対照的な嘘偽り無い純粋な感動を味わったのは、冬の始まりを微かに感じさせる11月下旬の午後5時頃のことである。


 その日私は中村一般さんの個人展覧会に訪れていた。いわゆる個展、という催しに人生で初めて足を踏み入れることになったのだ。一般さんを知ったのは、ある意味話題の「オモコロ」の姉妹サイトである「ジモコロ」に掲載されていた、豊洲市場や大阪鶴橋の探訪レポ。そこからTwitterの「#終電渋谷黒猫を探せ」を筆頭に、氏が描く緻密で鮮烈なイラストをいつしか追いかけるようになった。

 そんな一般さんの作品が北大阪で見れると聞き、衝動的に私は自宅を飛び出し、最寄り駅の券売機まで真っ直ぐに向かった訳だ。何度か電車を乗り継ぎ、2ドア車の座席裏にもたれかかりながら、数時間かけてどうにか阪急大阪梅田駅まで辿り着いた。

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会場の近くには、高速道路がド真ん中を貫通しているご存知「TKPゲートタワービル」がそびえ立っている。インスタ映えは間違いないだろう。


 着いたのはいいのだが、正直な話、会場に入るまでに何十分もかかってしまった。自分はかなりの心配性である。美術に関してからっきしな男が、イラストレーターとして名を馳せている人の目の前まで本当に行ってしまっても良いのだろうか? 誰かと話をしなければいけないだろうか? 挙動不審に思われないだろうか? 摩天楼に囲まれた梅田の街を歩きながら、そんなありもしないことを考えていた。


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大阪ondoの入り口


 何十分も、景色を楽しむフリをしながら、周辺を右往左往したが、長い時間を経て観念した私は、小さな玄関口を抜けてそのギャラリーへと入った。

 傾斜のある階段をゆっくりと昇って行った先、そこに広がっていたのは縦長の静謐な空間。目の前には、木椅子に座って、今まさに制作に取り組んでいる一般さん本人がいた。華奢な手が操る筆の擦れる音すら聞こえてくるような、静寂な一室だった。

 壁側に展示されていたのはネットでも公開している物が多かったが、一般さんが書き下ろした「ズーカラデル」のアルバムジャケットのイラストやその他ドローイングなど、現地で初めて見れた作品も数々展示されていた。

 所狭しに飾られた、作品群が描く軌跡。版画とルーズリーフ程に薄い紙、暖色と寒色と大小様々な線によって形作られる風景の数々。吸い込まれそうだ。それらはあまりにも緻密すぎて、私たちが実在しているこの世界よりも美しすぎる。

 スーパーの一角や金網越しの宮下公園、青果が所狭しと並ぶ地元の八百屋といった、極めて身近な日本の風景。まちかど。普遍的である筈の、ありふれた景色をこれ程までに昇華させることが出来るなんて。



 ――気が付けば一時間近く滞在していた。ステッカーやポストカードを買い漁り、一般さんへの挨拶を終えて、画廊を後にした。階段を降りた先で出迎えてくれたのは、薄汚れた都会の喧騒。目には見えないが、確かに私たちを締め付ける濃霧。

 だけど、立ち止まって、見上げた先の夜空で輝いていたのは黄色い月。人々を慈悲深く照らしだす、美しい月だった。


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 高級車のテールライトと大阪の夜を月に負けじと燦々と照らすビルの光。それに誘われる夜を闊歩する人々。この広大な地球という星の地表にへばりつく、ありとあらゆる存在を穏やかに包む秋の夜空に浮かぶ雲と月。一般さんならどう描くだろう。そんなことを夢想しながらカバンを肩にかけ直し、阪急梅田駅へと歩き始めた。

 そんな夜だった。






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