見出し画像

近況(2024年11月14日)

「どんな音楽をふだん聴くの?」

イタリアで、おそらく異性として好意を向けかけてくれている方に質問されて。「(返答のパターンをいくつも浮かべた末に)ピアノがある曲が好き」と答えた。

楽器が弾きたいな、と感じながらもう2年も経つ。

さて、住む場所と職場が変わりました。イタリアとスロヴェニアの国境沿いの山の中 Luseveraから居を移し、今は Cividale del Friuli というフリウリ・ヴェネツィア・ジューリアの中でも古い街並みが残る小さな町に住んでいます。住民はそこそこいるのにスーパーマーケットが街中でなく郊外にある。良い意味で風情、ぶっちゃけると不便な町です。海外なんて不便でなんぼ。

例によって書くことが積もり積もっているのでまずは章立て。2ヶ月分だぜ。

滞在許可証と住民票

Udine の現地警察署

イタリア生活3年目にして、ようやくマイホームを手に入れました。

自分で借りた訳ではなく、職場で借りた物件に住まわせてもらっている。ともあれ、はじめての一人暮らしです。

トスカーナでワインやオリーブオイルの勉強をしていた時にアパートで3ヶ月ほど一人で暮らしていたけれど、一時的な仮住まいだったからノーカウント。バルバレスコでもシェアハウスに住んでいたけれどこれも2ヶ月限定だったからノーカウント。同じくピエモンテのGiavenoでは友人家族の家の一部屋に仮住まいしていたけれど家庭の事情で住民票は取れなかった(まだ荷物を置きっぱなしにしているので近々取りに行かねば)。

これらの経験をもとにいきなり家を見つけるのではなく、まずは落ち着く場所を探そうとWwoofを使いながら遊牧民のようにロンバルディア、ヴェネト、フリウリと住まいを移し、ようやくここまで辿り着いた。ビバ・我が家。イタリア来て1ヶ月で家を失ってから、長かった。書いてて改めて感動したけれどほんとによく生きている。さまざまな方にお世話になりました。

上記に記した通り、家というか寝る場所には幸いにしてこれまでなんとかなってきた。野宿とか一度もしていない。だが問題は住民票。Residenza。本来はイタリアに来てまず始めに取得すべきこの書類。その存在を知らずして事前に対策していなかった。とはいえ、たとえ知っていてもおそらく何もできなかっただろうけれど。

日本と同様、イタリアでも家を借りるときには契約を交わすことが一般的だが、日本からイタリアに来たばかりの人間がこれを取得するのは難しい。仕事などで日本から出向しているなどの場合を除き、まず身分をきちんと証明できない。滞在的な意味合いで。

じゃあどうすんのという話だけど、もちろん正しい抜け道はあって。いわゆるホームステイ的な申請をする。richiesta di ospitalitá といったものだ。部屋を貸してくれる人にホストしてもらうよ、という申請書。

これを申請するには家に誰が住んでいるのかを明確にしなければならない。当たり前だけど家がきちんと存在するのか。住んでいる人は届け出をしっかりしているか。申請者は住んでいるか。ちゃんと役所に確認される。これに付き合ってくれる家を探すことに難航していた。住民票が取れる機会が今までないこともなかったのだけれど、やっぱりきちんと仕事をもって、ある程度自立した状況を作りたかったから2年もかかってしまった。書いてて改めて感じたけれど異国にふらっときて地に足を着いた生き方をしようとしたらそれくらいの時間はかかるもんだ。

「いつ日本に帰るの?寂しくないの?」とか「一時帰国しないの?」といった質問を何度か受ける機会があるけれど、こういった状況で日本に帰るとかそんなこと言っている余裕ないわ〜、というのが正直なところだった。家があって、仕事があって、お金もちゃんとあって、休みもあって。あとは今年度のPermesso di soggiornoをきちんと受け取れたらそういったことも考え始められるかもしれない。

さて、Permesso di soggiorno だ。

イタリアに来た時から度々文章に上げているけれど、イタリア生活3年目の Permesso di soggiorno の申請を9月末に行い、つい先週指紋採取に行ってきた。なんと3度目だ。毎年イタリアの違う州で Permesso di soggiorno の申請をしている猛者は世界ひろしと言えど僕くらいのものだろう。ひろしだけに。

このブログも3年目に入るので、記憶のあやふやな方向けに大まかな流れをおさらいしよう。
以下、Permesso di soggiorno 滞在許可証を更新する学生の流れ。僕は語学を学ぶ学生としてイタリアに来ている。もちろん、言語以外のことを学ぶのは自由。

  1. 前年度の滞在許可証が切れる90日前に手続きが始められる

  2. イタリアの郵便局 poste で申請書類一式を受け取る

  3. 以下の書類を準備する。証明写真、パスポートの全ページのコピー。現在所有している滞在許可証のコピー。次年度の申請期間をカバーする保険書類、(学生の場合)在学していること一定のレベルを有していることを証明する書類、証明印紙などなど

  4. 郵便局で書類を提出し、手数料的なお金を払う。約2万円

  5. 郵便局で渡される紙の日時に従って現地警察署へ指紋を登録しに行く

  6. 当日は長蛇の列に並び、指紋を登録する

  7. 1ヶ月ほどすると滞在許可証が完成し、現地警察署へ届けられる。同時にSMSで「この日に取りに来なさい」と連絡がくる

  8. 現地警察署で受け取る

ざっくり書いてこの文量。。。

今までもブログに記してきたけれど、書類の不備があったからと連絡もなく放置されたり。提出したはずの保険書類がないと押し通されてオリジナルの書類を奪われたり。(おそらく)移民扱いされて指紋採取まで8ヶ月待たされたり。とにかく Permesso di soggiorno にはトラブルが尽きない。毎度新しいトラブルに遭遇してすべてを切り抜けているから僕はちょっとした経験者と言える。

今回は指紋採取時に「住民票出して」と予告なく言われて(指紋採取の日時を告げる紙には当日持ってくるべきものが書かれているがそんな記載は一切なかった)、めちゃくちゃ焦った。実はこんなこともあろうかと住民票を持ち歩いていたのだが「必要書類と一緒にうっかり渡してそのまま奪われるかもしれないからリュックに秘めておこう」と隠していたのが役に立った。

例に漏れず今回もオリジナルの住民票が奪われそうになって。「それは僕にとって必要なものだから!!!」とゴリ押ししてなんとか取り返した。担当者はその場で白黒コピーもしてくれて「役所の判子が押されれているオリジナルはがいい」とか言い出して。あんたの気持ちはわかるけれど事前に何にも伝えずその場のノリで人のもん持っていこうとするなよ、というのがワタクシのお気持ちでした。。。日を改めて届ければいいじゃん、って思うかもしれないけれど現地警察署である Questura は事前のアポがないと入場すらろくにさせてもらえない場所なので、この瞬間にすべてを解決するのが良いことは明らか。

実は不安要素もあって。滞在許可証申請時の住所と住民票に書かれている住所が違う。「提出したところから引っ越したんだ」と言い訳したけれど(事実)、これが良からぬことにつながらないか正直とても不安である。まあたとえこの一件がなかったとしてもイタリアの行政は信用ならないので不安であることに違いはないのだが。

昨年の滞在許可証申請の際にも書いたけれど、今通っている語学学校はミラノにある。昨年ピエモンテで申請した際にはその語学学校がトリノにも分校として存在していたからトラブルが少なかったけれど、フリウリには分校は存在しない。突っ込まれるとは思っていたけれど、今回はそれに関する誓約書のようなものをその場で書かされた。そういった手段があるのだなと勉強になった。

余談だけれど、滞在許可証の指紋採取を行う現地警察署は複数ある。イタリア国民向けのものとそれ以外の人へのものだ。ミラノなんかだとミラノ市内に現地警察署が何個もあって、地域ごとに各々の警察署が担当する。そうやって振り分けても長蛇の列が毎日できる。ピエモンテのトリノはミラノほど大きくはないので警察署の数はおそらく一つ。いずれにしても2〜3時間は待たなければならない。が、フリウリは移民の数が上記の2都市に比べ人数が少ないのか警察署に群がる人数が圧倒的に少なく、また待ち時間も短かった。それでも1時間立ちっぱなしだったけど。

運が良ければ年内には滞在許可証が受け取れる。少なくとも段取りはできた。あとは Tessera Sanitaria と呼ばれるイタリアの健康保険証を準備して、滞在許可証受け取り後にIDカードの申請ができれば、イタリアにきちんと滞在するための諸々の準備が整う。でも Tessera Sanitaria は年を明けると作り直さなきゃならないらしいから、来年になってからかなぁ。。。

最近の発酵

フリウリの山奥でジンジャービアとパンを作り続け、そしてとうとう家を手に入れたので、本腰を入れた発酵・熟成を始めようと舵を切った。

まずはずっとやりたかったアマーロ・リキュール作り。そして割と時間のかかる野菜や果物の発酵。アマーロ・リキュールなどを造る際にはまずは Tintura と呼ばれる染色の工程がある(らしい)。果物やハーブ、野菜をアルコールに漬けて色素や風味を抽出する。今まで雑誌やブログを「ほーん」と呼んでいたけれど、全く今まで手を出したことがない分野だからさっぱりわからない。そもそもアルコールで色素が抽出できるのか(化学を勉強していた時に有機化学でそんなことをやったような。溶媒?)、複数の野菜は果物、ハーブを混ぜた場合に香りはどういう順番で抽出されるのか、漬け込む時間によって味わいがどう変わるのか、などなどさっぱりだ。詳しい人がいたら教えてほしい。インターネットを検索しても断片的な情報しか出てこない。そもそも染色という工程が一般的なのかすらわからない。アルコール作りをちゃんと見たことがあるのは梅酒しかないよ。

まぁ物は試しということで、純度96%のアルコールと保存用の瓶をいくつか揃えて実験している。ザクロ、林檎、洋梨の量を変えてみたり、入れるハーブを変えてみたり、非可食部を入れてみたり。色素が出てきたり、色素が混ざってなかったり、ハーブの香りがしたり、非可食部の苦味がきちんと出たり、面白い。

Lusevera でお世話になっていた家族が胡桃のリキュールを始め、いろんな種類のアルコールを自家製していたからある程度の感覚を身につけたら教わりに行こうと考えている。

林檎と梨をアルコールに漬けている。ノリですべての瓶にジュニパーベリーを入れている。ローズマリーを入れてみたけれど、思っていた通り苦みが出ちゃったかも。
こっちは林檎と梨に加えてザクロを加えた。下部はザクロによる赤みが抽出されていることがお分かりいただけるだろうか。

アマーロ・リキュール以外は果物と野菜の発酵を試している。

今やっているのはキムチ、ザワークラウト(イタリア語では crauti と呼ぶ)、ミニトマトのガラムマサラ漬け、人参の発酵。ニンニクの蜂蜜漬け。ライムの蜂蜜ジャム。

ザワークラウトは Lusevera で作っていたからなんとなくのノリや味はわかる。本に載っていたのはベーシックなザワークラウトをアレンジしてリンゴやターメリックを入れるレシピなので違いが楽しみ。もちろんノーマルなのも仕込んだ。同じく Lusevera のアグリツーリズモに来ていた客人が一度キムチを作ってて。唐辛子も魚醤も入ってないのに、それをみんな物珍しそうに食べてて。「いやいやそれキムチじゃないじゃん!」ってちょっとオコな僕は日本で慣れ親しんでいる味を再現しようと実験している。それもキムチじゃないんだけどね。そもそも日本でもキムチを人並みに以下にしか食べてない。でも一応本場韓国でキムチを食べたこともあるからイタリア人よりは胸を張れるだろうと気負っている。トマトの発酵も Lusevera で既に一度挑戦したけれど、香辛料を使って塩水に漬けるタイプのは未経験だったからこちらも実験。人参はふつうの人参と pastinaca と呼ばれる古代人参?人参の祖先的なのを合わせるやつ。途中で味見した感じ、混ざってしまえばそんな変わりないかなとも感じているけれどもう数日待ってみる。そう言えば発酵サラダも作っている。これは季節に合わせていろんな種類が作れそうなのでなんやかやで一番期待しているが、浸けたてのそれぞれの野菜や果物が個性を放っているくらいが一番美味しかった気がする。はてさてどうなるか。

キャベツと林檎のザワークラウト。
キムチ!
人参の塩水漬け。
ニンニクの蜂蜜漬け。レシピだと数日でできると書いてあったけれど、食べた感じもっと浸けた方が水分抜けて美味しくなるかな。
ライムの蜂蜜漬け。こちらも日数おいた方が美味しくなる。たまにパンにつけて食べている。日本ではジャムって買うものだったけれど、いろんな方法でジャムは作れるのだな、という発見。
トマトの塩水漬け。
発酵サラダ。

パン作りは続けているけれど、一人暮らしになっちゃたから食べてくれる人が減ってしまって。1週間に一度焼いて食べ切るのが精一杯。こちらは新しいことはほどほどに、今できることの精度を上げていこうかなと考えている。職場にポレンタのパンをお裾分けしたら好評だった。ポレンタを買った小さなお店で「ポレンタのパンを作るんだ」と話したら珍しげにしていたから意外とイタリアでも知られていないものを作っているらしい。こちらもポレンタの量を変えたりと試行錯誤しているが、grano saraceno が混ざっているポレンタより、黄色いザ・ポレンタみたいので作った方が個性がしっかり出るな、というのが今のところの感触。

Lusevera で作っていた発酵トマト。トマトと塩だけで作る。右が濾した果汁。左が果肉。醤油みたいな香りがする。
セロリで作ったジンジャービアとミード?シードロもどき。林檎ジュースが余っていたからジンジャービアの酵素を加えて発酵させてみた。

Venezia Biennale

先日7年ぶり?に行ってきた。

イタリアに初めて旅行で来たのが2017年。ドイツのドクメンタに合わせて美術・博物館巡りをしていて。ローマ・フィレンツェ・ヴェネツィアのザ・王道な観光をしていた。Venezia Biennale の今年のキャッチフレーズは Stranieri ovunque。直訳だと「外国人はどこにでもいる」だけど、意訳すると「あなたにとっては自然と感じないものはすぐそばにあるんだよ」的なものだと思う。

英語だと Foreigners Everywhere

視覚的・美的に気になる物はいくつかあったけれど、意識を引いたのはアフリカなどから仕事を探しに来た移民がどのようにヨーロッパを渡って生きてきたかを伝えるインタビュー。オーストリアに移民してきた女性が当時駅のベンチで寝ていた過去と現在を対比させた映像、サウナ室みたいな階段上のいい香りのするインスターレーション、イスラエルの紛争が終わるまで開館しないイスラエル館。

自身の体験と通ずるものがあるよね。
イスラエル館。

僕はこうしてイタリアに来るまで芸術とかデザインまがいのことをしていた時期があって。

銀座の画廊を巡ったり、東京各地の個展にふらっと入るのが趣味だったりするんだけど、芸術に触れると毎回思うのが「美大とか芸大とか目指せばよかったな」という気持ち。そういう人生もあったと思うし、それはそれで楽しかったと思うけれど、結局そっちには振り切れないとも思うし、芸術よりはデザイン寄りの人間だし、どれかを選ぶなら調理学校だし、でも調理学校に進んでいたら今のような僕は出来上がっていないし、まあ悪くない進み方したんじゃないと落ち着く。遠回りばっかりだけど。人生。

ヴェネツィア・ビエンナーレ。秋になると月曜休館と知らなくて実は先週もわざわざヴェネツィアくんだりまで3時間かけて行っている。今週も往復で6時間かけて行ったからどうせ徒労感を感じるんだろうなーと想像していたけれど、ヴェネツィアの風に当たるのは意外と好きらしくすっきりした気持ちになれた。もちろん、フリウリの山間部には存在しない芸術という作品群に囲まれたから、というのもある。

先週の月曜。「平日は券売所を閉めちゃうのか」と呑気に考えていた。
会場が開いていないと知った時のがっかりたるや。
本会場以外も開いていたからふらっと。
Arsenal 会場の通路。こーゆー風景が見られると、いろんなことがどーでも良くなる。
歴代のヴェネツィア・ビエンナーレのポスター。このうちの1枚を買って部屋に飾っている。
アフリカの焼畑農業について言及した作品(と理解した)。
僕が見るに、これは東欧系のサウナですね。

余談だけど、引っ越し仕立ての時は割と疲れ切っていて。ブログも書いてない。引っ越してから1ヶ月ほど経つのに漫画やアニメなど非現実に没頭したい欲が未だに強い。最近観たのは「ようこそ実力主義の教室へ」。友達に勧められて。とっても面白くて大満足。漫画は「神の塔」がイチオシ。LINE漫画でコツコツ読んでいたけれどとうとう最新話に追いついてしまった。ちょっと物足りないけれど、面白い漫画をリアタイで追えるのは嬉しい。

Cividale で個展がやっていたのでふらっと入った。よかった。

最近の外食

外食はたまにしている。山を降りたので。

勉強目当ての外食もしたいのだけれど、そっちはリサーチや予約が済んでない。家を掃除したり、考え事をしたりでまだちょっとバタバタしているというのもある。

基本的に僕は自炊をするのだが、今の家に移る前に諸般の事情でB&B的なところに1週間滞在したりで外食の機会が増えた。Cividale と Udine という二つの都市が身近になったので、ある程度の下見を済ませておきたい、という気持ちもある。

泊まっていたB&Bもといアグリツーリズモ。
そこから少し歩いたところにあるシチリア料理のレストラン。カンノーリ、まだマスターしていないけれど、結局おいしいリコッタの有無が質を分けるなと感じている。
Trippa di rana pescatrice, maionese alla mela verde, uvetta e pinoli. UdineのAcquila Nera。この手の alta cucina は僕の求めるところとは違うよなぁ、食べるたびに感じる。
Fregoloz di porcini, scampi alla carbonara. 
ここは自家製のパンが一番美味しかった。
Antico Leon 'dOro.
1448 Antica Dimora al Merlo Bianco. フリッコ。
Al Campanile. フリッコ。
札幌味噌ラーメン。

Udineで日本人がやっているラーメン屋を見つけて札幌味噌ラーメンを食べたのが最近のハイライト。日本食恋しいはないけれど味噌(発酵)は恋しい。ラーメン、塩ラーメンか味噌ラーメンが好きなんだよ。特に味噌ラーメンは脳が震える。

髪を自分で切っている

山にいた時から髪を伸ばしていて。春くらいから髪を自分で切ることにしてから山でも自分で散髪していた。

山にいるから床屋に行けないというのが一番の理由なんだけど、正直床屋という場所がどうにも昔から合わない、ってのが一番大きい。ブログに書いたことがあるかわからないけれど、髪型を注文するという行為が僕は苦手。

髪型って不思議じゃないですか。服装とは訳が違う。ほとんどの人は他人を外見で判断するけれど、服装以上に情報量が多いのが顔面。その顔面は(整形という手段を除けば)自力で変えることができない顔と髪型で構成されている。つまり髪型が顔面のファッションに当たる訳だけれど、髪って自分ではほとんどの部分を目視することができないから自分のためというよりも他人のためにやる意味合いが強いと思う。服は買う時に選べたり、洗濯したり、裏側や後ろ部分を着る前にぐるっと見たりと自分自身の視界に入ることが多い。でも髪は違う。複数の鏡を用意しないと自分の髪すら満足に見れない。むしろ他人の髪の方がずっと目に入る。つまり髪型は自分のためというよりも他人のために整えるもの(と僕は考えている)。

そんなものにエネルギーを割く、というのがずっと気が進まなくて。自分の髪型について考察したことがほとんどない。まあでも切らなきゃいけないし。みんな人に切ってもらってるし、ということで今まではなあなあで床屋に通っていた。でもさ、思うのよ。他人の方がよく見ているものなら、他人にもっと理解してほしい。具体的に言うと、美容師が僕に合う髪型を考えて選んで切ってほしい。でも要望とかお任せとか色々試したのだけど、今まで散髪で満足いった試しがない(そもそも切ってほしいイメージとかないから満足できないのが道理なんだけど)。これは今まで誰にも共感されたことがないけれど、散髪後に後ろ髪を見せられて「ドヤ」ってされても本当に何を言っていいかわかない。「僕の後ろ髪を見たことがあるのはあなた達であって、僕は僕自身の後ろ髪を見るのは前回の散髪屋以来なんですが」と全世界の美容師にツッコミを入れたい。そんな顧客に一体何を求めているんだ(何も求められていない)。

でも山にいるならもういっか、ってことで自分でケアすることを始めた。始めに断っておくけれどおそらくちゃんと切れていない。この前ミラノに帰ったら一目見て大笑いされた。

徒然なこと

Lusevera のみんなとスロヴェニアの街へ。ここは戦没者向けの墓地。
同都市の戦争を記録する博物館。

家を手に入れたので、ようやく家具的なものを買い始めた。これまで定住地がなかったから嵩張るものはどうにか避けようとあるものでなんとかしてきたけれど、ひとところに住むなら必要となるはある。発酵の研究するにも調理器具が諸々要るし。ほんとは両儀式みたいななんもない部屋がいいんだけど。

新しい家は冷蔵庫とか洗濯機とかベッドとかある程度の物は揃っていたのだけど、入って1週間で洗濯機が故障してしまって。今は大家の家で洗濯をお願いしている。これが地味にめんどい。

入居時点で部屋は全然整ってなくて。自分で少しずつ掃除もしている。今日はバスタブを掃除した。電気の整備とかトイレの整備とかで知らない人が何度も出入りするのもちょっとストレス。うーむ。ホームスペースを意外と大事にするタイプなんだなという発見。

今の家、Cividale に来たのは10月中旬。来たばかりの時は毎週 Lusevera に帰っていたのだけど、みんなが集まる日曜日も仕事をする日になってしまって、今はもう帰っていない。寂しい。

Lusevera 最後の夜。アルゼンチンのラヴィオリ?をみんなで作った。

イタリアに来るときに、そしてイタリアに来てからも「ガールフレンドいないの?作らないの?」みたいな問いかけをすごくされるけれど、未だに興味が持てない。つい最近までは多少は興味があった気がするけれど、なぜだろう、引っ越しをして一人になったからか余計に興味が薄くなった。
芸術に触れた、というのが一つの大きな転機な気がする。僕は肉体美がたぶん割と好きで。女性に目が引かれるのって服装やスタイルの要素が大きい。造形美、って言えばいいのかな。自分のスタイルや服装も気にする視点は同じで、オシャレであることよりも美しいことに焦点がある。ダイエットや筋トレに興味はないけど肉体をシンプルに保ちたいから食事制限をする。適度に歩く。身体をある程度機能させて自然に筋肉を保つ。贅肉を減らす。美しくありたい。美しいものが見たい。一個一個考え続けていたものが「美しい」の一点に集約されて、異性への関心(と感じていたもの)がすっぽり抜けてしまった。そんなことを感じている。とある人から「結婚をするならそういうのきちんとイメージした方がいい」と言われたことがあるのだけど、なんだかそれ以前のところに至ってしまった気がする。ウケる。

顔が描写されていない方が美しい、と素直に感じられる。
毎週日曜日に Lusevera へ帰っていた頃の写真。おばあちゃんのドリスの誕生日。誕生日って元を正せばヨーロッパの文化だと思うのだけど、こうしてわざわざ家族で集まる時間をもつ文化、ってのは良いもんだなと思う。でも日本はそもそも毎年やる文化を持っていないから、日本でも、とは思わない。
この日のためにお菓子をわざわざ買ったのに持ってくるのを忘れてしまった。仕方なく食材買ってデザートを作った。


*冒頭で音楽の質問について答えた後「そうなんだ!」ってちょっとおどおどした感じで引き下がってくれて。「え、この答えで満足してくれるの」って逆にびっくりした。直前に「それは答えるのが難しい質問だ」って一旦渋ってしまったから遠慮してくれたのかもしれない。でもどんな答えを期待していたんだろう。。。


職場のこと

前職のボスがプレゼントしてくれた。著者がなんとジョージ・オーウェル。

今回のメインです。

大事なことは例によって後半に書くとして、、、細かいことから。

まずは概要を書くと、当初イメージしていた美味しいワインがたくさん置いている店で働くことができるようになりました。キッチンとホール、両方で働いている。

ホールの仕事は楽しい。僕は日本食レストランでホールをやっていた経験が半年弱あり、なんやかやでホールでの職務経験が一番長い。トータルならキッチンの方が長いものの、転々としてるからね。それにホールは性分に合っているのだと思う。

「髪を伸ばしている」と前述したけれど、ホールで働くときはきちんと髪を結んだり留めている。清潔感のために。そしたら男性のお客さんから「あなたの髪は綺麗だね」って褒められて。「ありがとう!」って笑顔で返した。後から同僚が僕の電話番号を聞かれたらしく。どうやら同性愛者の方だったらしい。この前、チーズを買いにお店に並んでたら Ragazza って呼ばれてたからパッと見女の子に見えるらしい。仕方ない。

今のお店では魚をたくさん扱っている。「魚食べたいなー」と山でずっと思ってたからこれは嬉しい。魚の本も買って、たまに勉強している。

フリウリは時給が高いように感じる。Lusevera の山小屋、Udine のレストラン、どちらも給料が悪くない。ピエモンテでは総じて安く感じていたけれど、職場によるのか、たまたまなのか。

こっからメインのメイン。

ここから先は

2,965字 / 5画像
不定期連載。実験的に始めます。買い切り。

イタリア滞在期(2022.10~)を連載中です。イタリア料理、ナチュラルワイン、日々のこと。エッセィ。

Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!