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 ショウという男がいる。

 高校で、一度か二度同じクラスになった。背が高くて、鼻の脇に大きなほくろがあって、もじゃもじゃの髪が妙に似合う男だ。奴はバレーボール部で、僕は文芸部、大学も別々。休み時間に二言三言声をかけたことはあったろうが、一対一で話した記憶はない。

 奴と僕の関係をどう書けばいいのかといえば、おそらく「知り合い」という言葉が最もしっくりと来るだろう。事細かくいえば「高校時代に同級生になったこともある知り合い」だ。でもこれじゃあ、さして深くもない関係を無理やり深めにして、奴のことを知る僕以外の人間に対して、マウントでも取ろうとしているので、やはり「知り合い」程度の関係が適切だといえる。

 ……なんて思いながらも、もっと適切な言葉が他にあるようにも思えてしまう程度にはもやもやするわけだ。きっとこのもやもやは、僕の語彙が少ないからというよりも、無意識に「奴にあやかりたい」と考えているからなのだろう、と解している。

 そう、ショウは人気者だ。本当は「有名人」と言ったほうが伝わりやすいだろうが、これを奴に使うのは好みでない。

 奴は俳優でありモデルであり、グーグルで検索すればトップにウィキペディアが出て、次いでインスタ、ツイッター、そして芸能事務所のプロフィールが載る。一年前に放送されたラベンダー畑を舞台にしたドラマで、絵具まみれの服を着た絵描きとして出演して大ブレイクした、と方々から聞いた。

 奴が出たドラマや映画やCMやバラエティや雑誌を知らない。しかし、僕の「知り合い」陣の中で、とりわけ出会ったころは有象無象の一人にすぎなかった人間が突出した例でいえば、ショウは間違いなく随一の有名人といえる。

 ただし、僕はテレビ画面の向こう側にいる奴の顔も、話し声も知らない。だから僕の認識としては有名人なんかじゃなくて、まあ、「人気者」程度で落ち着くのがちょうどいいわけだ。

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 高校を卒業したあとで、ショウの名を再び耳にしたのは、昨年五月の末ごろだった。

「ショウ、知ってるだろ、お前らと同じ学年だった」

 当時担任だった先生から話を聞いた。僕は地元のホームセンターで働いていて、そこに先生が買い物に来たのだ。ホームセンターというのは、スーパーほど頻繁に行く場所ではない、が、それでも家の電球が切れたら立ち寄る。そしてこの店はそこそこ規模が大きく、そこそこ商圏が広いこともあって、知り合いと会うことがよくあるのだ。

 先生から話を聞いて、最初奴の顔がうまく浮かばなかった。そのうち、「バレーボール部で」「背が高くて」「イケメンの」「軽音部のナオヒコとよくつるんでた」といったワードを聞いて、徐々に奴のことを思い出した。ナオヒコがやかましい男だったので、相対的におとなしい奴だったという印象が根付いていた。だから、「俳優をしているショウ」という図が妙に合わなかった。その一方で、見てくれを思えば俳優をしていたって悪くはないだろう、とも思えた。

 ショウが俳優をしているということを、先生は同窓会で知ったらしい。僕は同窓会があったことすら知らなかった。第一回目の同窓会の企画が持ち上がったときに、返事をしなかったのがいけなかったわけだけど。第一回の同窓会に参加していたら、ショウと再会できていたのだろうか。……できていたとして、知り合い以上の関係になるはずもないだろうが。

「しかし、俺の教え子がテレビに出てるなんて、俺は鼻が高いよ」

 そんなことを先生は言っていたが、正直、先生のその身内意識は一方的なものだろうと思うのだった。奴は忙しいに違いない。きっと僕らのことなんて目にもくれず、分単位のスケジュールに管理されて生きている。大事なのは同じ予定を共有する人との関わりや共演やインタビューであって、先生のことを心配する余裕なんて、ない。

 ただ、そのときは内輪だけが盛り上がっているに過ぎないのだと思った。しかし、ホームセンターに訪れる若い客のなかに、塗装職人とはまた違う、絵具まみれの服を着た人を何度か見かけてしまった。男性客もいたし、女性客もいた。先生から話を聞かなかったら、奇抜なファッションだと思って見過ごしていたことだろう。彼らを見て、ショウが着るからこそ映えるのだろうと思うと同時に、他人の着る服を変えてしまうくらいには世間に強い影響を与える男と知り合いである事実に、ただ脱力した。

 知り合いに人気俳優がいる、という話は、人の興味を引くにはもってこいの話題だということを知った。無論、奴が二枚目俳優ではなくて三枚目俳優として売り出されていたら違っていたのかもしれない。職場の事務員に伝えたら鼻息を荒げて詳細なプロフィールを求められたし、レジの女性からはサインをせがまれた。高校の友人と会えば、近況と高校時代の思い出話、それとショウの出た新作ドラマの話題は欠かせない。皆が出演作を見ていることに驚いたし、奴が解いた宿題を写してもらった自慢を、まるで勲章のように語る友人に小物感を抱いた。その一方で、奴の出演作を追うわけでもなく、高校時代の思い出もほとんどないので、ひたすら聞き役に徹するしかできないことを悔やむ自分がいることに、ひどく呆れるのだった。

 ただのひがみだ。ホームセンター業務の傍ら、どうせ途中で放棄する新人賞用原稿を書きながら、大作家になる夢だけは放棄せずにしがみついてる男が、「皆さんご存じの」ショウに嫉妬してるだけなのだ。

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 だから、ショウが倒れたという一報を知った日、驚きと戸惑いの情とともに、納得と安堵の気持ちも混じっていた。そのニュースは、ショウがあのドラマに出演して一年後、平年より遅れ気味の梅雨が始まって間もなく、そして奇しくも僕の誕生日を賑わせる速報だった。

 ……奇しくも? なんて自分勝手な響きだろう。ショウは僕のために倒れたわけじゃない。過労のために倒れたのだ。そもそも僕の誕生日なんてショウからすれば興味のないことだし、知るわけもない。僕は奴が「脳出血」のために緊急手術をしたことは知っているが、奴は僕がホームセンターで働いていることは知らないだろう。

 とにかく僕は、僕と同い年の人間の脳から血が出たという話を食い入るように読んだ。そして、その記事の冒頭に写真が掲載されていた。僕はここでようやく、大人になったショウの顔を知った。木枯らしのような切なさを宿した瞳をしていた。たしかにショウのようにも思えた。ただ、妙に記憶と食い違うようにも思える。鼻の脇にあった大きなほくろがなかったからだろうか。いや、そもそもそんなものは当時からなかったようにも思える。あれはナオヒコの特徴だったかもしれない。間違いなく言えるのは、写真の撮られ方を知ってる立ち振る舞いだということなのだが、つまり、奴はカメラを向けられることで飯を食うようになったのだという確認ができたということだった。

 それから、少しだけショウのことを調べた。調べたといっても、奴の名を検索して、いくつかのブロマガを転々としただけで、相変わらずドラマもCMも観ようとは思わなかった。おそらく僕は、奴が倒れてもなお「再会は偶然奴の演じる姿を目の当たりにして……」というシチュエーションを期待しているのだろう。

 記事のなかに登場するショウは、人間として扱われてなかった。どちらかと言えば明日の気温や放射線量や新型コロナウイルスの感染者数のような、観測物だった。ショウを特集する文脈でいえば、僕が通っていた高校は聖地であって、特定されていない中学校は、バビロンの空中庭園のありかを探るような、まるで夢とロマンの塊だった。「熱愛」「歴代の恋人」というワードを用いて、歳の近い女優やアイドルと組み合わせるおままごとのような記事に、たくさんの「いいね」ボタンが押されていた。

 お前らはなにもわかっちゃいない。ショウのなにを知っているんだ。そう記事や熱狂的な人々を蔑んでやって、自己嫌悪に至る。

 僕は、ショウのことをなにも知らない。

 やがて世間は、ドラマで注目され病院に運び込まれた悲劇の二枚目俳優の存在を、少しずつなかったものとして別の話題を追い求めるのだった。

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 そういえば絵具まみれの服を見ないな、と思い立って、奴の名を検索する。脳出血により緊急手術。命に別状はないものの予断を許さない状況。見飽きた文面が飾られている。そうして月日は流れていくが、続報が発表されることはなかった。

 「ショウ」という情報が時を止めても、世間の時は止まらない。梅雨はだらだらと八月まで続き、僕は二本の新人賞用原稿を自ら打ち切った。ホームセンターの売上は昨年の一二五パーセントを超え、レジの待機場所を示すステッカーの端は破れ、客同士の距離は少しずつ縮んでいった。

 秋に高校の文芸部員の一人が結婚し、僕も式に出た。そのときも相変わらずショウの話題が上がった。「倒れたけど大丈夫かな」「連絡したけど返事がないんだ」……奴の話題は数十秒足らずで、三十路に近づく自分たちの健康に関する話題に切り替わった。

 果たして、ショウは有名人なのだろうか。奴が倒れて四ヶ月。今、ホームセンターの従業員に奴の話をしたところで、鼻息を荒くする人は存在するのだろうかと思う。しかし、高校時代を知る僕らにとっては、やはり人気者であることに変わりはなかった。

 木枯らしが吹くようになった。ショウの「今」は、倒れたところで止まっている。その記事のトップに掲げられた写真が、遺影のように僕を見つめている。奴は生きている。ただ、括弧つきの「ショウ」は、まだ死んでいる。

 このころ、メールフォームに向き合うことが多くなった。ショウの所属する芸能事務所の問い合わせフォームだ。問い合わせ項目の欄をクリックする。項目は「ファンメール」と「その他質問」の二つ。そこで手が止まる。なにがしたいのかが分からなくなる。僕はファンではない。かと言って「ショウはいつ治るんですか」なんて馬鹿げた質問を送りたいわけでもない。奴の「今」を教えてください、でもない気がする。そもそも返答が来るはずもなかろう。ただ、この手に余る思いに立ち往生しているだけなのかもしれない。

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「おう、こんなとこで働いてんのか」

 ホームセンターで働いていると、たびたび知り合いと出くわすことがある。ときに先生、ときに同級生そして、ときにナオヒコだ。

 ナオヒコとの関係も、おそらく「知り合い」と形容するのが最も適切だろう。軽音部と文芸部。大学は別々。でも一対一で話した記憶はある。だからショウより数歩分近しい「知り合い」だ。

「こっちは副業。本業は小説だ」

 見栄を張る。ナオヒコは間合いが近く、恰幅がよくて、声が大きい。つい反発したくなるのだ。

「へえ、まだ続けてんの」
「いいだろ。お前こそ音楽続けてんのかよ」

 軽音部にいたナオヒコの歌は、確か文化祭のときに中庭でやっていたライブで聴いたと思う。なにを歌ってたのか記憶にないということは、さほど上手くはなかったということだろう。ただ、「俺は俺の力で頂点を取る」と常日頃勇んでたことはしっかり記憶している。

 ナオヒコは待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。十年以上前から変わらない顔をしている。

「当然。DJやってんだ。頂点取るからよ、今度遊びに来いよ」

 名刺を指で挟み、変わらぬキメ台詞と共に差し出してきた。クリアPP加工にダサいポップ体のフォントが目に痛い。見るからに有名とは言いがたいセンスだったし、おそらくDJ業で忙しい日々を送っているわけではないことは、尋ねるまでもなかった。

 それから間もなく沈黙した。僕たちのあいだに積もる話なんてものはなくて、つまり、その程度の関係というわけだ。

 ふと、ここでショウの姿が浮かんだ。高校の知り合いと会えば、近況と高校時代の思い出話、それとショウの出たドラマの話題は欠かせない。それに、ナオヒコと奴は親友みたいに仲がよかった。もしかしたらショウのことを知っているのかもしれない。僕のこの、手に余る思いを解消させるなにかを、ナオヒコは持ち合わせているかもしれない、と。

「なあ、そういえばさ……」

 ここまで口にしたところで、喉から出かけた次の言葉を呑みこんだ。ナオヒコは僕の目をじっと見つめていた。僕は今、生身の人間と対峙していることに気が付いて、我に返った。それに加えて、その男は、僕が腐ってるあいだも、自らのパフォーマンスを披露していたのだ。

「……いや。休みの日が重なったら、行くよ」

 僕はショウのことをなにも知らない。ショウの過去も、「今」も、栄光も、音信も、なにもかも。そして、知らなくてもいいことだ、とも思う。

 僕が明らかにしたいことは、もっと別のものだ。

 家に帰る。起動したままのパソコンには、ショウを問うフォーム画面が表示されていた。そんなものはどうだっていい。もっと大切なことがあるはずだ。僕は手紙を書くことをやめた。

 かわりにワードを開いて、粛々と、没にした原稿の続きを始めた。



(20201201起稿)

【後記】
ショウ、見ているか。見るわけないか。
先日、とあるアンソロに寄稿しそびれた短篇です。
ほぼ実話ですが、一つだけ嘘を加えました。
楽しんでいただけたら幸いです。

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