見出し画像

たかが(ひとつの)世界の終わり

親友(シスヘテロ女性)からの相談。

要約
完璧なはずの彼氏の唯一の欠点は、ED(勃起不全)であること。好き合っていてもそれゆえにセックスレスで別れるのではないかと不安。

それを受けて、

やるせなさから押し出される感情
憎しみ、諦念、涙、恨み、憤り。

命令
自分は冷静にならなければならない。
主体としての自分から幽体離脱して、ただ単純な事実として親友の話に寄り添えたらよかった。



やるせなかった。いや、いつでも現在進行形だ、これからも。全くやるせないね。



ただのEDがなんだっていうんだ、と、キレてはいけない。身体機能欠損ゆえの悩みということなら、性同一性障害と似ている。というか、EDでうまくいかないという話を聞いて真っ先に連想したのは自分の身に起きていることだったくらいで。うまくまとまらなくて申し訳ない。

どれほど完璧な男性でも、たったひとつ、ペニスが勃たないというだけで別れを告げられるかもしれないのだ。親友の彼氏さんは、未だ語らないがおそらくその“ままならない現象”により、元カノとの間にトラウマが生じた、らしい。

からだじゅう全部の力が抜けるくらい、その彼氏さんの痛みがわかるような気がしたのだ。どうしようもならない身体的特徴を理由に拒まれるなんて、ずっとそのまま、到底生きていける気がしない絶望に突き落とされるようなものだ。大事な局面でフラッシュバックして行く手を妨げられる。けれども一方で思う。それでも、いいじゃないか。

あなたは男性で、社会的には完璧なオトコで、戸籍は生まれた時から間違われることなく男性で、身体を切除する手術のために100〜300万円ほどのお金を注ぎ込まなくていいだけの経済的余裕があり、あなたの名前は自身の名前として定着しており、そばにいた愛すべき相手の手を公衆のなかで握ることが許されており、当たり前に男子トイレに行って小便ができ、過剰に警戒することなく男湯に行くことができ、好きになった相手に当たり前のように告白されることが、そうした幸福の連続が、今まで許されてきたんじゃないのか。たかがEDがどうした、それがどうした。



そして“たかがEDで”一生うまくいかず別れるのではないかと嘆く親友の気持ちも。なんだっていうんだ。相談相手を決定的に間違えている。確信犯かとまがうほどに。そりゃあ一度、確かに全力の共感で話を聞いたけれど。

なぜって、親友からしたらこちら(私)は出会った時のまま「女友達」の延長であり、セックスにおいては親友と同様に「挿れられる側」だと認識している。それは正しい。だが圧倒的に足りていないじゃないか。

「挿れたいけれどできない」、愛する女性の前で、相手が求めてくるようには決して振る舞えない“欠如した”男性の気持ち、ということならそれだって味わってきたのだ。どちらの切なさも本物だ。確固たる哀しみとして。変えられない現象はときにはあるものだ。どうにかすれば変えられるわけではなく、徹底的に諦めてその事実を受け入れなきゃならない局面だってある。

親友の方にはまだ選択肢があるのだろう。受け入れてこれからも付き合っていくか、受け止めきれず去っていくか。

けれども、彼氏さんにはおそらく、ない。“変えられない欠陥”は相手が抱きしめてくれなければ、その先はない。ごめん、自分が悪かった、何度でも頭を下げるだけの惨めさ。言ってしまう、言わせてしまう。

そして、

それすらも恵まれているように思えてしまう。まともに取り合えない。いいじゃないか、腐ったってあなたは結局のところ“男性”なんだから。ペニスがないわけでもない、戸籍に除外されているわけでもない、相手を抱きしめてはならない理由などない。血の繋がった子どもだって産めるのだろう。贅沢。これは、不幸自慢でもないのに。

いいじゃないか。膣のない女性も、ペニスのない男性もいるよ。それでも折り合いをつけて、つまりは自殺したりせずにしぶとく生きているんだ。

自分はね、美しい人に出会ったんだ。二度と会えないかもしれなくても、結婚するんだ、共に生きる約束をするんだ、と。挿れたい側の人間が挿れられるままにどうにか幸せを享受したいと願うことはある、その逆の境遇だってある。人のセックスを笑うな。まだやっていけるはずじゃないの。

名前が変わっていたって、身体が変わっていたって、戸籍がどうだって構わないさ、ただ愛しているのは変わらない。相手がEDだったら、もう生殖機能がなかったら、取っておいたこの身体も使い物にならないかもしれないけれど、その日がくるまでわずかな可能性でも残しておきたい。

ああまた、話が逸れた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?