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そして社会人へ

盛者必衰

江藤淳がどこかで、「戦争の勝敗に道義的な優劣を持ち込むようになったのは米国の内戦(南北戦争)以後のことである」と書いていた(のちに出典を見つけた場合追記します)。
とすると、日本のいわゆる「勝ち目のない戦い」の敗者側、例えば南北朝の楠木正成や北畠顕家、西南戦争の西郷隆盛一党、そして先の大戦においては日本人など、これらの人たちは甚だしい場合情死とまで言われるけれど、彼らはこれらの戦いを道義的な優劣を決めるものとは考えていなかったということになる。
先の大戦においてよりにもよってアメリカに敗れたため、PL法並みの「道義的責任」(道義的に劣等だったから負けたとされる)が価値観として覆い被さってしまったが、いずれの戦いも文字にするならば、「相容れない体制、秩序同士の決着手段」というくらいのものではないだろうか。それぞれに、懸命に値する決して譲れない点があったのだ。

厳粛さ

しかしこんな文章を書いてみても、本当のところはずっと分からないままである。

この家を出たあの日、生れて初めて本当の世の中にぶつかったのだ、おれが月心寺でなんの苦労もなく育っているあいだ、世間では興亡の波荒き中に自分の運命と必死の闘争を続けながら、多くの人々が浮沈盛衰の道を歩いていた、才能衆に優れた人物が今日の糧に窮し、愛児家族と共に自刃じじんして果てた話も多く聞いた、一歩をあやまっても取り返しのつかぬほど、緊密な、厳粛な人の世のすがたが、はっきりと目に映ったのだ、

山本周五郎『風雲海南記』

人生は(おそらく)長いのだし、少しずつ分かるようになればいいと思っている。理解は終点ではなく始点なのだから。

文責筆者

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