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わたしがイタコ編集者だった頃

わたしは顧客体験管理(CXM)のコンサルティングを生業にしているが、顧客に向き合うことの面白さと凄さを若い頃に体験している。それはリクルート社でゼクシィの創刊編集部の時代(1993〜97年)頃の不思議な経験と紐づいている。

読者ハガキが好きだった

ゼクシィには売れていない時代があった。創刊はバブル崩壊直後。子会社がつくった1兆円の負債をリクルートが引き継ぎ、故ダイエー中内会長に後ろ盾となってもらうためダイエーグループ傘下に列した翌年だ。

ダイエー傘下での初の新メディア創刊。超緊縮予算の中、CMをバンバン流せるような状態ではなかった。実売を伸ばすためには読者ウケする編集方針と連動した戦略的なプロモーション企画が勝負。「男と女の恋愛支援」と銘打ち、なんと誌上お見合いページが併設された。

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評判はすごぶる悪かった。結婚式情報が一覧できる月刊誌という新規性は評価される一方で、結婚式を検討する読者と出会いたい読者は両極。どちらの読者にとっても「見るのも嫌!」というページが存在する特異なメディアとなった。ずっとあとになって知ったが、創刊数年後には廃刊の検討もされていたそうだ。

創刊を迎えたとき、わたしは社会人2年目。読者のおたよりコーナーを任された。インターネットのない時代、巻末の綴じ込みアンケートハガキが読者との架け橋。寄せられた投稿をちまちまチェックする。嫌いではない、というより好きだった。時に編集企画の元ネタにしたり、面白おかしい話をまとめた特集記事を作ることもあった。


若手編集者、イタコになる

創刊後2年目の95年、初めての地域版「関西ゼクシィ」が創刊されることになった。わたしは縁あってこの創刊メンバーに加わった。

その頃には読者ハガキ好きが高じて「定性コメントを大量に集めたらリアルな読者に肉薄する記事が作れるのではないか」と考えるようになっていた。SNSが普及した現在ではごく当たり前の手法だが、当時の読者取材と言えばアンケートハガキ回答者の中から数名をピックアップして電話連絡するという手法がせいぜい。数百人規模のコメントを集めるためにはアンケートの作成&発送作業という面倒があり、どちらかというと調査会社の仕事領域だった。

ところが当時の関西ゼクシィの編集部には優秀な女子アシスタントさんたちがいて「ラジャ!」とふたつ返事でその面倒な作業を引き受けてくれた。せっせとアンケートをコピーし、折り畳み、返信用封筒を同封して宛名ラベルを貼り付けて送り出すまでをぺろっとやってのけた。読者たちのゼクシィに対するロイヤルティは圧倒的で、驚くほど高い率で回収できた。

こうした幸運な奇跡の連続によって集められた大量の定性コメントをまとめる作業の中で、わたしはとても不思議な経験をすることになる。

びっしり回答が書かれたコピー紙の束に付箋を貼り貼り読み込んでいた夜ふけ、300枚ほどの数を超えたとき、とつぜん頭の上のあたりにふわーっと「読者のカミサマ」が降りてきたように感じられた。

目の前にあった霧がぱあああっと晴れて、回答の背景心情や価値観そのものが自分の中に流れ込んで来たような感覚。
「A10神経接続って、こんな感じなのかい、シンジくん。」
イタコ編集者爆誕の瞬間だった。

イタコモードになると、アンケートでは読者に聞いていない事柄も、自問するだけで頭の中から「読者のカミサマ」の回答が聞こえてくる。

また、作りかけの企画書を目にするだけで
「あ、こんなんええやん。おもしろそう。あ、せやけど・・・」
関西弁でいろんなアドバイスをくれる。「うわ、なんや、これ!」と笑いながら練り直した編集記事は、果たして読者に大ウケした。

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関西版チーム、イタコになる

チームのメンバーに話すと「仕事しすぎで頭おかしくなったんちゃう?」と爆笑された。しかし他のメンバーも次々読者アンケート取材を実施するようになった。ボケに乗っかてくる関西ノリである。編集アシスタントさんたちはアンケート工場で働く女工さんのようになった。

各担当者が記事を作成する都度、様々なサービス利用体験の声と評価、インサイトが集積されていった。読者像を編集会議で共有しながら取材を進めると、号を追うごと、読者とのシンクロ率が上がってゆくのを肌で感じる。そして広告営業のメンバーまでもが「俺たちにも読者の声をもっと教えてくれ」と声を上げるようになった。

ブライダル市場はふたりが「結婚しよう」と決意してからのおよそ半年から1年の間に式関連だけで数百万円、住宅などの関連産業まで含めると時に数千万円の消費が決断されるという特殊な市場だ。ゼクシィはうまいところに目をつけたと言う人もいた。しかし実際には当時、カスタマージャーニーについて考えたり分析したりする人は誰もいなかったし、結婚関連のマーケティング調査はとある銀行系列の調査会社が年に1回リリースするものを参考にするという受け身状態だった。

ところが一連の定性取材によって読者に聞けばものすごい量のインサイト情報が得られること、そしてなにより読者は体験を聞いてもらうのを待っていることが判明した。体験談を聞けば聞くほど有益な情報が集まり、記事にしたり広告企画に織り込んだりすることで評判が高まってメディアが売れ、メディアが売れれば広告も集まる。調査は事業のポジティブフィードバックを開く鍵だった。読者への詳細アンケート調査はその後「ゼクシィ ブライダル調査」として事業成長に大きく貢献する存在となっていった。

読者の声をしっかり聞けば、うまくいく

関西ゼクシィはよく売れた。当時、婚姻組数で4倍の差があったにもかかわらず首都圏版の販売部数に肉薄した。イタコ編集部員たちは喜んだ。

そこで見えた読者像をもとに誌面のデザインを一新。「正面向きアップのモデルさん+白を基調としたかわいい色使い」という世界観はそのとき作られたものだ。

関西ゼクシィ表紙1

かくして一時期廃刊まで検討されていたというメディアは「読者の声に向き合って提供価値を向上する」という事業方針によって一気に実売部数と広告売上を伸ばし、その後抜群の収益性を誇るリクルート社の基幹事業になっていった。


顧客の声をしっかり聞けば、うまくいく

その後のわたしは他部署への異動した後、ベンチャー設立に参加のためにリクルートを退社。新規事業立ち上げのコンサルタントとして独立した。10年前からはCXの分野に軸足を移しつつ雑誌のインタビュー連載記事も担当。これまで参加した新規事業の数は20超、インタビューした企業はおよそ80、コンサルティングを行った企業はおよそ120。いつも「この企業は顧客とどう向き合っているか」を確認してきた。

そして「顧客の声をしっかり聞けば、どんなビジネスもうまくいく」の法則には例外がないと確信している。

素晴らしい技術、ビジネスモデル、ブームへの乗り方、資金調達、いずれも大事だ。けれど、従業員がワクワクして顧客に向き合って常に「次のステージ」を考えなければチームは衰退する。従業員が顧客・ユーザーのイタコとなって語っているチームは輝き、優秀な人材と優良な顧客を引き付ける。

様々な横文字のビジネス用語が流行るようになっても、人と人とのつながりがSNSの影響を受けるようになっても、商い(あきない)の起点は常に顧客なのだ。

CXMやEXMと名前が変わっても

時は流れ、モバイルインターネットの時代になって、アンケートの発送・集計は当時の数十分の一、あるいは数百分の一の手間でできるようになった。それらを経営に活用するのが当たり前になった。「顧客体験管理(CXM)」や「従業員体験管理(EXM)」とグローバルで使われる名前まで付いたのは驚きだが紙束とにらめっこしなくてもダッシュボードが毎日顧客のインサイト、隠れたニーズをレポートしてくれるこの環境を使わないのは勿体ないとさえ思う。

ただアンケートに対して「手抜きしてるだろ?」と社内から声が上がるのも常だ。顧客や従業員に広くあまねく回答してもらい、その行動の背景・原理を深く理解するための手段なのだが、その意義を理解できない人は一定数いる。そうした誤解を解くためにも、わたしたちはもっともっとCXやEXの成果を作り出し、アピールしていかなくてはならないと思う。

消費者の欲求のうち「今日の財やサービスで満たされていない欲求は何か」を問わなければならない。

「われわれの事業は何であるべきか」との問いも必要である。現在の事業をまったく別の事業に変えることによって、新しい開拓し、創造することができるかもしれない。

(引用:PFドラッカー「マネジメント」)

顧客の声をしっかり聞けば、仕事はうまくいく。
従業員の声をしっかり聞けば、もっともっとうまくいく。

「聞くこと」は手段であって目的ではない。聞いて事実を正しく知り、新しい価値を作って顧客や従業員にフィードバックしてゆくのだ。わたしたちコンサルタントは知見を使ってより効率的にそのサイクルを回すのが仕事だ。

「読者のカミサマ」を感じたイタコ体験がいまの仕事につながっていると考えると、この仕事は天職だと感じる。2020年はクライアントのみなさんに「顧客や従業員のカミサマ」が降りてくるような体験と価値を提供したい。

中谷健一
トリムタブジャパン 代表

※トップ画像はゼクシィ創刊時に編集部のあった旧リクルートG7ビル
※中段の画像は関西ゼクシィ創刊時に編集部のあった旧渡辺リクルートビル

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