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JOHANASの存在意義とは?

明治10年より絹織物業を営むうちの会社をなんとか立て直さねばと思い、すがる思いでテキスタイルデザイナー須藤玲子さんにアポイントをとり、お会いした際

「あなた生地との距離があるわ」

とバシッと言われました。

ありったけの生地を胸に、須藤さんの元を訪ね
「この生地どうですかね?どうしたら良いですかね?」
と、あまりにも自分で考えず、須藤さんの意見をお伺いしてしまう私に
テキスタイルにかける情熱の薄っぺらさに飽き飽きされたのでしょう。。
ズバリと言われたのだと思います。

その時はあまりのショックで意気消沈して帰路に着いたのを
今も昨日のことのように覚えています。

家に帰ってから毎日お参りしているお仏壇で
"おじいちゃん、私はこれからどうしていったら良いがかね?"
仏様の前でも誰かに答えを求めようとしていました。
私が継ぐ決意をした1週間後に亡くなった祖父は
なんだかずっと側に居てくれているような氣がしていたのです。

それでも結局答えは出ず、
諦めかけてお仏壇の前から立ち上がろうとした瞬間
部屋中のしけ絹の襖がキラキラと輝いていたのです。
しけ絹から発せられる光は私に
"コレだよ!"
とやさしく伝えてくれているようでした。
その時に

「そうか、私はこれを守っていかねば!」

と固い決意をしました。

城端で愛されるしけ絹御襖地とは

「襖に絹を使うなんて贅沢ですね!」
「いつ頃から襖に使われるようになったのですか?」
とよく聞かれるのですが、
城端町史や富山県史を読んでも全く書いてなく…下記は推測です。

推測1.
浄土真宗と共に絹織物の技術がやってきたと言われています。
お寺やお仏壇の中に、親鸞聖人や蓮如聖人の掛軸がありますが、
掛軸も絹と和紙が張り合わせられています。
おそらく、お坊さんがその技を教えてくれて、
絹と和紙の張り合わせが襖地を作る際にも用いられたのではないか。

推測2.
北陸は冬も湿度が高いので、調湿機能がある絹を使うようになったのではないか。

推測3.
仏教との親和性。
①仏教と共に城端に織物の技術も入ってきた説があり
お仏壇の扉にもよく使われるので、阿弥陀様の後光と絹の光がリンクされたのではないか。晴れの日が少ない富山では光に飢えている人が多いので、光に敏感→しけ絹の襖を見ることで、光を感じ→心を豊かにする、よりどころとなっていたのではないかと思います。
②しけ絹には二頭の蚕の『他力美』が宿っているので
独特の表情があるのですが、経年劣化していくうちに
お浄土の世界のような霞がかったような模様になるのです。
仏教王国富山と言われるだけに、
何か仏様にルーツがあるような氣がしてなりません。

そんなこんなで、機能もありますが
祈りと共に歩んできた「しけ絹」。
2016年から養蚕をしてから
お蚕さんが神秘的すぎるので、
神事をさせて頂いていると思って取り組んでいます。

まさにお蚕さんは祈りの世界の方なのではないか。

そんなお蚕さんのエネルギーがたくさん宿っている絹は
お守りのような存在なのでは…

そう!

ヨハナスはお守りのような存在で
安心感を提供し
皆さんの健やかな日々に寄り添っていけたらいいな
と思っています。

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