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【第四回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『格付け王の憂鬱』

「独占スクープ おワンコサークルの11PMは乱行サークル!?」

 そんな見出しを眺めるマネージャーを横目に彼は楽屋で動画を観ていた。マイケルジャクソン・ライブ・イン・ブカレスト。まだ本人がステージ上に現れていないにもかかわらず、会場はパニック状態だ。そういうわけだから本人がポンと出現した瞬間に彼の歌声を聴くことなく失神退場するファンがいても不思議じゃない。イヤフォンを外しスマフォの電源を切ると彼はため息をつく。これはお決まりのルーティーン。

 失礼しまーす。それではお時間ですので、よろしくお願いしまーすというAD。はーいと返事して彼に「ぅしおす(よろしくお願いします)」と挨拶するマネージャー。これもお決まりのルーティーン。

 問題ない。デビューしたての頃は俺も先輩のバンドにこんな言葉遣いをしてきたし、それについてどうこう言う奴は心底ダサいと思ってきた。

 出番直前の出演者達は前室という小部屋で待機させられる。見たー?おワンコのスクープ!あれやばいよねー・・・など和気藹々と談笑する様を思い浮かべる人も多かろうが現実は真逆。そこに話し声というものはなく、無心にタバコをふかす者、取り憑かれたように一点を見つめる者、堪えきれぬ涙がこぼれたアイドル。それぞれが互いに干渉することなく仕切りを隔てた大スタジオにて新入りスタッフをどやす現場監督者の罵声に鼓膜を震わせていた。

 当然そんな空間に彼が通されるはずもなく、革張りのソファが鎮座する別室でスタッフにピンマイクをつけられていた。そういう立ち位置で、そういう役割なのだ。一例をしたスタッフが出て行くと、部屋にはマネージャーと彼だけになる。鳴り止まぬガラケーの通知に高速で対応し続けているマネージャーに向かい

「ふじわらぁ。俺もう疲れちゃったよ」

 それを聴くとほんの一瞬だけめんどくさそうな顔をした後に

「ちょっとぉぉ!なに言ってるんですかぁ(笑)今日は主役なんですから!パァーッっとかましてくださいよぉ」と高速で対応する。

 ごめんごめん、気にしないでと言った直後、番組ディレクターがいま大丈夫ですか?という感じでそろりそろりと近づき、最終の企画説明をしだす。なんてことはない。この部屋にはふたつのワイングラスが運ばれて来る。ひとつはフランス、ブルゴーニュ地方で生産された最高級品。もう1つはそこら辺のコンビニで買える1000円以下のハウスワイン。ふたつをテイスティングしてどちらがどちらかを当てるという単純なゲームで、この毎年始だけの催しにおいて彼は「違いのわかる男」としてその役割を担う。

今年も例年と何ら変わりがないため、彼はディレクターの説明を上の空で聴いており、気がついた時にはカメラが回っていたし、気がついた時には目の前にワイングラスが置かれていた。そこからまた眠る前のような意識状態となり再び覚醒すると彼はいつの間に、別室からスタジオに移動しており、さーて優勝おめでとうございます!今年はどんな年にしましょぉぉ!?と司会者からコメントを振られていた。

え?

 なにぼーっとしとんねん!と頭を叩かれてスタッフ、演者ともどもの笑い声が響きわたると、さて今年も頑張っていきましょぉぉと司会者は番組を締めた。放映画面には読ませる気のない高速でスタッフクレジットが流れ、先ほど前室で泣いていたアイドルは口角を上げながら手を叩いていた。ただしカメラに映らぬところで膝頭を震わせながら。

 はい、オッケーでーす。お疲れ様でしたー!とスタッフが呼びかけると、隣にいた司会者は呆れたような顔で平気ですか?と言い会釈をして楽屋へ消えていった。

「ぉづられっすらぁ!(お疲れ様でした)今年も最高でしたよ!」とマネージャーが寄ってきた頃にはもう正気を取り戻し、そう?よかったと微笑んでいた。

 ピアノ売って頂戴と朗らかに歌い上げる銀タイツの女性。痛めたのだろうか、片足を引きずりながら彼は自分が深夜の商店街を徘徊しているのだと感じていたし、高速道路を走る大型トラックの助手席からフロントガラス越しに見えた日の出は一部分が欠けていて、それはバックミラーに引っ掛けられた運転手の恋人ブロマイド入りキーホルダーが振動に合わせ揺れているからだと分かっていた。ノーマネーでフィニッシュですと誰かが言っていた。生ゴミが散らかったあの小屋で、お爺さんはずっとウクレレを演奏していて、演奏を楽しめない程の異臭を辺りに撒き散らしていたのだが、再び我に返った時彼はベッドで横になっていて、腕に刺さった針から点滴を打たれていたのだった。

え?

 傍らには耳が隠れる程伸ばしていた茶髪を丸刈りにし、目を三分の一ぐらいしか開けずに微笑むマネージャー藤原が座っていた。彼が覚醒したことを確認すると藤原はガラケーを取り出し事務所の社長を呼び出した。彼ひとりだけのために設けられた一室に社長が姿を現わすと、それではお役御免とばかりに藤原は椅子から立ち上がり、出入り口へと向かっていった。あなたのおかげでむちゃくちゃですわ、でも無事で良かったと関東人なのに関西弁のイントネーションで吐き捨てると、廊下に足音を反響させながら走り去って行った。そんな藤原に一瞥もくれてやることなく、違約金とかは気にしないでゆっくりと言って社長は彼の右手を両手で包み込んだ。

『ノート』
毎朝六時にあの部屋で目覚めて。顔を洗い食堂へ出向くと、朝食を待つ列にお盆を持って加わる。ご飯、オカズ、味噌汁、ヨーグルトと進む度お盆に品物が置かれていく様は小学校の給食を思い出させるが、最後に置かれるのは小さな紙コップに入れられた今日の錠剤だ。本当は個室で食べても良いのだけど、それだと彼女を悲しませることになってしまうから、長机と椅子の並ぶこの部屋に通っている。長机も椅子も、誰かが暴走した時武器にされぬよう床にきっちりと接着されている。暴走といえば僕がスタジオ以来初めて再会した時も、彼女は味噌汁の入ったお椀を振り回してスプリンクラァァァと笑っていた。ちょうどその前日フィギュアスケートの世界選手権が共用のテレビで流されたそうだが、関係があるのかどうかはわからない。ともかく彼女の笑顔はスタジオで膝頭を震わせながら強制されていたものとは大違いで、おまけに幾筋もの線を手首にこしらえていた。

 その日も彼女は病院のパジャマを着て、僕に気がつくと胸の前で小さく手を振ってくれた。二人で横並びになって食事を済ませた後はいつも、中庭にあるベンチであぐらをかきながら向かい合わせになってタロットカードで占ってくれた。でもその日は、ねぇ今日は占ってくれない?って言ってきて、僕は別に毎日占ってもらわないと気が気じゃないって訳でもなかったから、(だって外にもほとんど出れず毎日同じことの繰り返しで占いの必要性なんて感じてなかったから)うんいいよって応じた。彼女はいったい何のカードを引くのかと思うだろうけど、その前に彼女のスピーチを紹介したいと思う。その病院にはアルコール依存症を更生する為に入院してる人たちもいて、そういう人たちは毎週サークル状に座って話し合うんだけど、そこに彼女が参加したことがあった。依存症じゃないのに。笑っちゃうよね。彼女いわくあそこに搬送される前、ファイト・クラブっていう映画をVHSで観て、最初の方にそういうシーンがあって憧れてたらしい。

「・・・私は経験者ですって偉そうにしたがる人っているよね。先輩風吹かしたがる人って言うのかなぁ。アンタのいるとこ、こっちはもうとっくに通過してるからっていう感じの人。人間そうなっちゃたらダメよね。うん。自分は先行ってるからっていう人ほど実は停滞しててさ。ホントに先行ってる人って、何も言わないよね。行動で示すっていうの?特に最悪なのは潰そうとする人ね。こうすればこうなるって実践的なアドバイスしてくれる人は良いんだけど。こうしなきゃダメだぞとか言ってすごい何て言うか精神論的なこと言ってる人。で、結局そいつの言うことに従ったらどうなるかっていうと何も残らないのよ。だって心持ちについて考えてばかりで形にする努力って言うの?全然しないんだもん。そりゃそうなるよね」

果たして、彼女が引いたのは愚者のカードだった。その数日後のことだ。ネットニュースのトップに「元おワンコ後藤敦子 精神病棟脱走 行方不明に」という見出しが出たのは。

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