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ハンバーグの拡張性と相対性、そして愛情。

02/ハシ・ヒロシ(デザイナー)

◆餃子、白飯、ハンバーグ
食べ物に対するシンプルで絶対的な、揺らぐことのない判断基準が僕の中にはあります。それは〈白飯との相性〉。白飯と合うのか。白飯をかっ込むだけの推進力がその食べ物にはあるのか。一回茶碗の上でバウンドさせることで、その足跡を白飯に残すだけの価値があるのか。そして思うのです。そのすべてを網羅した唯一無二の食べ物は、餃子であると。残念ながらハンバーグではありません。餃子と白飯には相性を越えた、由縁すら感じています。因縁と言ってもいいかもしれません。

◆ご飯に合うんだから和食でしょ
しかし、ハンバーグのポテンシャルに注目しているのも事実です。食べ物としての拡張性、そして和食でもあり洋食でもあるような双対性も見逃せません。もともとパンと組み合わせるものだと認識していましたが、いやいや白飯との反りも悪くない。ハンバーグは和食と言って差し支えないとすら思っています。肉汁の質も餃子の餡から滲み出たそれとは明らかに一線を画する、直線的に味蕾(みらい)へ訴えかけてくる汁っ気が嬉しくなります。ザラっとした舌触りも他の料理にはないユニークポイント。
和食と洋食を縦横無尽に行き来する大胆不敵さや、パンにもごはんにも寄り添う器用さとともに、好みの硬さでないと途端に「美味しくない」と思ってしまう繊細さもハンバーグには見て取れます。こねすぎて練り物に限りなく近いものは苦手ですね。僕はご飯と煮物が合わない、おかずにならないと思っていますが、それと同じ感覚です。

◆ハンバーグの真理に触れた青春時代
子どもの頃は煮物中心の食生活で育ちましたから、初めてハンバーグを食べた時はまさに別次元から現れた異星人の襲来という印象でした。デミグラスソースではなく中濃ソースで食べたハンバーグは、ご飯が3倍美味しくなったように感じましたね。
初ハンバーグから時を経て、僕はハンバーグの真理に触れる機会に恵まれました。学生時代に経験したレストランのバイトで、死ぬほどハンバーグを焼いたんです。来る日も来る日もハンバーグと真剣に対峙していました。そこで知ってしまったんです。ハンバーグはこねて、押して、焼いて、すべての工程で真剣に愛情を注がないと美味しくならない、手を抜くと悲惨な味になるということを。
もしかしたらハンバーグの真理という呪縛から逃れたくて、餃子に狂ったのかもしれません。ハンバーグは何も悪くない。だって、“もしハンバーグが食べられなくなったらどんな気分になるか”という馬鹿げた妄想を思い描くたびに、僕はこう思うのですから。「白飯がかわいそう」と。

〈了〉

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