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ハンバーグに焦がれているのかもしれない。

01/わちばらやすとも(ディレクターエンジニア)

◆ハンバーグに弄ばれている
ハンバーグについてじっくり考えたことはありません。でも不思議なんですよね。ほんの少しハンバーグと向き合ったが最後、まるでその肉汁のようにじわっと、ジュワジュワっと、実にさまざまなハンバーグに纏わるエトセトラが自分の中からにじみ出てくるのがわかるんです。そんな時僕は思うんですよ。あぁ、ハンバーグに弄ばれているなって。
麻婆春雨に目がないんですが、そんな僕でもハンバーグの作り方は知っている。ひき肉をパン粉、卵、玉ねぎなどと混ぜ合わせて円盤状の形にし、フライパンや鉄板で焼いたもの…。ほらね。スキャットみたいなものですよ。何の役に立つでもないけど、フレーズで覚えてしまっているんです。実際に作ってみたことはありません。でも、レシピは知っている。僕とハンバーグの奇妙な関係性だなと思います。

◆思い出に侵蝕するハンバーグ
今でも実家に帰ると保育園児の頃の、ある日の夕餉をふと思い出します。食卓の真ん中にどかんと置かれた大皿に、所狭しと並ぶ数多のハンバーグの姿を。はじめから一人ひとりに取り分けられているスタイルではなく、自ら取りに行くビュッフェ形式でした。母親からひとり何個までだよと制限をかけられていたのに、その数を越えるだけのハンバーグを食べてしまい咎められたこともありました。でも誤解してほしくないのは、決してハンバーグはおふくろの味ではないということ。単なる記憶。家族のワンシーンです。

◆焦がれているかもしれない
〈ハンバーグ〉という力強い語感と、それを裏付ける美味しさがあるなと思います。決して嘘はつかない食べ物。気は優しくて力持ちという印象ですよね。でも僕は、もっとひねくれた食べ物が好きなんです。少しくらい嘘つきで、ずる賢いくらいが食べ物としては面白い。だって麻婆豆腐ではなく、ラーメンでもなく、麻婆春雨が好きなくらいですから。そうやって翻弄してくる食べ物が好きなんです。でもちゃんとハンバーグのことは知っています。レシピも知っている。子どもに人気があることも。ヨーロッパによく似た名前の都市があることだって知っている。ほら。少しでもハンバーグと向き合うと、このざまです。好きか嫌いかと言われたら……。どうでしょう。焦がれているのかもしれません。〈了〉



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