JOG(141) 仮設憲法、急造成功
今週末までに、新憲法の概案を作れ、、、マッカーサーは、なぜそんなに急がせたのか?
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■1.概案は今週末までに完成されるべきである■
昭和21年2月4日、午前10時、占領軍総司令部のホイットニー准将は民政局のスタッフ25人を会議室に招集した。
憲法草案は1日遅れの2月13日には日本政府に提示されているので、この指示通り、1週間程度で民生局は草案を完成したほどになる。しかし、なぜこんなに急いで新しい憲法を制定する必要があったのだろうか。
■2.天皇を抹殺すれば、日本国は崩壊するであろう■
その理由は、2月下旬に極東委員会が発足するからであった。その任務は、「連合国最高司令官(マッカーサー)のとった行動」をチェックし、とくに「日本の憲法機構または占領制度の根本的変革」については、連合国司令官は委員会の「事前協議および意見の一致」を必要とすると定められていた。
極東委員会を構成する11カ国にはソ連が入っており、天皇を東京裁判の被告にすることを強硬に主張していた。当然、憲法問題では天皇制廃止を要求してくるだろう。マッカーサーは本国に次のような電文を送っている。
日本占領を成功させ、将来の大統領選へのステップにしたいマッカーサーとしては、天皇制を破壊して日本各地で叛乱が起こるような愚は絶対に避けなければならなかった。
そのためにマッカーサーは、極東委員会が発足する前に、日本国民が自ら起草した形で、天皇制を残しつつ民主的、平和的な憲法を世界に発表させる戦略をとったのである。
■3.銃剣を突きつけて受諾させた憲法■
マッカーサーが後に語った言葉である。総司令部が作った憲法は、日本国民が自主的に制定したと言う形をとっても、いずれ占領という「銃剣」が終わったら、すぐさま日本人は本当の自分たちの憲法を作り出すであろう。今回の憲法はソ連を含む連合国に対して、天皇制維持を呑ませるための「仮設憲法」に過ぎない、とマッカーサーは割り切っていたようだ。
そのためにマッカーサーは、ホイットニー准将に日本国憲法草案の中にどうしても入れてほしい原則として次の3点を示し、それ以外は民生局で自由に検討してよい、とした。
(1)天皇は国家の元首である。
(2)国の主権的権利としての戦争は放棄する。
(3)日本の封建的制度は廃止される。
(2)も(3)も、日本が連合国にとって安全な国となることを約束した項目である。その条件の上で、(1)の天皇の存在を認めよ、という構成になっている。連合国に天皇制存続を受け入れさせるためのパッケージなのである。
■4.憲法学を専攻した者はいなかった■
一時しのぎの仮設憲法を急造する、という戦略のため、スタッフもおざなりなものだった。民政局の25人の中には誰一人として一国の憲法を起草するという大任に当たれるような識見を備えた人物はいなかった。弁護士出身のホイットニー准将のほかに4人の弁護士が加わっていたが、そのなかに憲法学を専攻した者はいなかった。[3,p31]
手元に文献もなかったので、日本語に堪能なベアテ・シロタ嬢が都内を駆け巡って、図書館から資料をかき集めてきた。シロタ嬢は時にわずか22歳、家族制度や女性の権利などについての条項を担当した。[4,156]
素人集団が一週間で憲法をでっちあげようとすれば、とんでもない誤りも少なくなかった。たとえば、貴族制度廃止で貴族院はなくなるので一院制にする、という原案に対しては、後に日本側から、二院制は議会多数派の独走に対するチェック・アンド・バランスとして必要だという基本知識を講義される始末であった。
また民生局にはニューディーラー(アメリカの左翼)が多く、「土地および一切の天然資源の所有権は国家に帰属し」などという条項があって、日本側を社会主義憲法かと驚かせたこともあった。この条項も日本側の反対で、削除された。
■5.48時間以内に内閣によって国民に提示せよ■
こうした素人集団がわずか1週間程度ででっちあげた憲法草案は、ホイットニー准将によって2月13日に吉田茂外相ら日本側に提示された。
日本側が草稿を読んでいる間、ホイットニー准将らは庭に出て、「お構いなく、我々は原子力エネルギーの暖をとっている所です。」と言った。原子爆弾にひっかけた脅しである。そしてこう語った。
日本側は、憲法はその国の国情と民情に即して適切に制定せられた時のみ成果を得られる、という説明書を2月18日に提出したが、ホイットニーは怒って、48時間以内に内閣によって国民に草案を提示せよと、最後通告を下した。第一回極東委員会は2月26日に迫っていた。
■6.もう1日でものびたら、大変なことになります■
総司令部の草案を、閣議で報告すると、閣僚たちの間からはそんな声も聞こえた。幣原首相が、自分としてはマッカーサー草案を受諾できないと思う、と述べると、次々と賛成意見が続いた。
草案の日本語訳を作るのに時間がかかるという理由で、延期を願い、修正交渉を続けた。極東委員会の第2回の会合は7日に予定されており、そこで実質的な議論が始まる可能性が強い。3月5日、午前10時から閣議が開かれた。幣原首相は、
と言って、ポロポロと落涙した。天皇の身柄に関することだとは、容易に想像がついた。何人かの閣僚がハンカチで目を拭った。午後5時、幣原は昭和天皇に憲法草案を示し、裁可を得た。
これが幣原首相の腹だった。3月6日午後5時、日本政府は憲法改正草案要綱を発表した。その1時間前に、総司令部のスタッフが英文の憲法草案13部に首相のサインを貰い、そのままワシントンの極東委員会に届けるべく、米軍機で出発した。
■7.海外からの反響■
日本政府の発表した新憲法草案要綱は、海外でも反響を巻き起こした。[4,p281]
どちらもまっとうな正論であるが、陰にあるマッカーサーの「仮設憲法」戦略に見事に引っかかっている。
軍備の全面廃止については、占領軍がいる間は軍備は無用だし、占領が終われば日本はさっさと新しい憲法を作って再軍備するだろうから、何ら問題ではない。それより日本が「平和愛好国」の仲間入りをしたという鮮烈なる印象を連合国側に与えられれば、それで良い。
「日本の現実から生まれた思想がない」というのも当然の指摘で、たとえば前文はアメリカ独立宣言、合衆国憲法、リンカーンのゲティスバークにおける演説などの切り貼りである。しかしこれも、天皇は象徴的元首として残すが、これからの日本はアメリカのような民主主義国になるのだ、という欧米人には分かりやすいイメージが伝わればそれで良い。
■8.「仮設憲法」戦略、成功■
マッカーサーが、憲法問題は極東委員会の管轄と言いながら、日本政府に憲法草案を発表させ、なおかつ総司令部として承認を与えた事に対して、委員会メンバーは驚かされた。
しかし、連合国は終戦時に「日本国の最終の統治形態は『ポツダム宣言』に従い、日本国国民の自由に表明する意思により決定されるべきものとする」という回答を与えており、日本政府が「自主的に」憲法草案を発表してしまった以上、それを覆す権限は持ち得なかった。
極東委員会でニュージーランド代表のベレンゼン卿は次のような発言をしている。[4,p247]
この時、すでに憲法草案は日本の国会で議論されていたのだが、天皇制廃止を目論むソ連は国会議論の取り消しを要求したようである。さすがにそのような暴論は、賛同を得られなかったが、今の日本政府と国会は、真に「日本国国民の自由に表明する意思」を代表していないというのが、ベレンゼン卿のせめてもの反発であった。結局、それも数年内に国民投票で確認する、というようなあいまいな結論で押し切られてしまった。
■9.「仮設憲法」戦略の誤算■
こうして「仮設憲法」戦略は見事な成功を収めた。しかし、マッカーサーが見通しを誤った点がただ一つあった。日本国民は銃剣で押しつけられた「仮設憲法」を、占領が終わっても廃棄しようとはしなかったのである。
[4]の著者、西修・駒沢大学教授は、昭和59年から60年にかけて、当時民生局で憲法起草にあたった何人かにインタビューを行った。彼らの大半は、自分たちが短時間で十分な資料もないまま作り上げた日本国憲法が、その後一度も改正されていないのを聞いて、驚いたという。
「仮設憲法」として当座しのぎに急造され、海外からも「ユートピア的」などと批判された日本国憲法が、なぜ半世紀以上も改正されずにきたのか? 日本人の政治的ナイーブさが原因なのか? あるいは、この「仮設憲法」には日本人の心の琴線にふれるような「なにか」があったのだろうか? これは憲法改正を考える上で重大な問題であるが、後日のテーマとしたい。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
■参考■
(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 「史録日本国憲法」★★★、児島襄、文春文庫、S61.5
2. 「日本国憲法を作った男-宰相幣原喜重郎」★★、塩田潮、文春文庫、H10.8
3. 「1946年憲法-その拘束」★★★、江藤淳、文春文庫、H7.1
4. 「日本国憲法はこうして生まれた」★★★、西修、中公文庫、H12.4
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