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JOG(1163) 「和の文明」を築く建築家、隈研吾

自然や周辺環境との調和、文化や歴史との調和を追求する「和の文明」の建築とは。


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■1.「外苑の森の中に、巨大な白い宇宙船?」

 昨年末に完成した新国立競技場。昨年はその建設が着々と進む様を筆者はつぶさに見ることができました。というのは、その頃、私のオフィスは数キロ離れたビルの10階にあり、そこから見下ろすと、手前に赤坂御所の豊かな緑が広がり、その向こうに丈の低い、水平なドームの新国立競技場を望むことができたからです。

 赤坂御所と神宮外苑の緑に囲まれた新国立競技場は、まさに『杜のスタジアム』です。

 当初、国際コンペ(設計競技)で選ばれたのは、イラク出身でロンドンに数百人の事務所を構えるザハ・ハディッド女史の設計でした。完成予想図を見ると、まるで巨大な白いUFOが、75メートルもの高さで周囲の木立や建物を圧倒しています。そのUFO自体は実に「カッコいい」デザインで、「スターウォーズ」の映画に出てきたらぴったり、と思えました。

 これがキャンセルされたのは、予定の何倍ものコストが予測されたからだそうですが、実は建築界の最長老・槇文彦氏を中心に多くの建築家が「ザハの案は外苑の森にはふさわしくなく、ひどい環境破壊である」と声をあげていました。槇氏は単独の建物よりも、周囲の環境との調和を重視した設計で世界中の建築家から尊敬されています。

 大都市にいることを忘れさせる明治神宮の豊かな杜、その外苑の緑。「なぜ、あの外苑の森の中に、巨大な白い宇宙船が舞い降りなければならないのだろうか」[隈R02,1719]と、建築家・隈研吾さんも感じて、槇氏の集める請願書に署名しました。

■2.「神宮なら木だ!」

 隈さんは最初のコンペには参加していませんでしたが、やり直しのコンペが実施されることになり、大成建設のチームから、一緒にやりたいとの申し出を受けて、びっくりしました。

 大成建設はかつて新潟県長岡市の市役所建設を隈さんと一緒に取り組みました。市民が集まるための「中土間(なかどま)」を持った「木の市役所」を作って、地域の人に喜ばれたので、もう一度一緒にやりたい、と希望したそうです。しかし提案の締め切りまで、図面も見積もりもすべて含めて、わずか2か月半。

 もう2ヶ月半と決まっていたので迷えない、迷っちゃいけないという状況でした。だから、神宮ならこれだ! 神宮なら木だ! 神宮なら木は庇(ひさし)みたいになっていて杜と庇が調和するみたいな、ある種、日本の五重塔の断面形みたいなのものが閃(ひらめ)き、迷っちゃいけないと思ってそのまま図面にしました。[田實、129]

 外側に伸びる庇は、スタジアムと周囲をつないでいます。そこから風がスタジアムに入り、また5階には遊歩道があって、外の緑を楽しめます。夜は照明でスタジアムが雪洞(ぼんぼり)のように明るく浮き上がって見えます。高さも徹底的に詰めて、47.4メートルに抑えました。

 実は軒庇のデザインを、夜、下から照らし上げたときに一番きれいに見えるような断面にしています。その照明が、たとえば最近の中国のライトアップのようにギラギラした感じじゃなくて、木のテクスチャー(JOG注:質感)を下からなめるような柔らかい光で覆うのでふんわりとした印象になると思います。[田實、200]

 軒庇の木は47都道府県すべてのものを使いました。同じ杉でも青森と秋田では色が違います。見上げると微妙な色の違いが分かるように産地ごとにまとめて使いました。

 ザハ氏の周囲を無視して自己主張する設計の対極として、隈さんのデザインは、自然や周辺環境との調和、文化や歴史との調和を大切にしています。まさに「和の国」の心を世界に示すスタディアムが誕生しました。

■3.「公衆便所は得意です」

 隈さんは建築学科の学生の頃から、コンクリートと鉄を主材料とする現代建築に違和感を感じていました。現代建築はコンクリートと鉄を使って、世界のどこでも場所を選ばず、より大きくより高い建物を目指します。自然とも土地とも伝統文化とも切り離されたコンクリートと鉄のビル、それはアメリカ的な工業社会の典型でした。

 戦後日本はそれを理想として突っ走った最高の優等生でした。高度成長が終わる頃、大学を終えた隈さんは、それとは違う建物とは何か、を求め続けていました。

 バブルがはじけて、東京での仕事がすべてキャンセルされた頃、友人から「高知と愛媛の県境の檮原(ゆすはら)という町で、木造の芝居小屋が壊されかけている、是非見に来て欲しい、保存運動に関わって欲しい」との依頼を受けました。

 現地に行ってみると想像以上の山奥。高知空港から車で4時間、最後のトンネルを出ると、まるで雲の上に出たように爽やかな気分になりました。

 木造のゆすはら座は想像以上に素晴らしかった。細い木材を組み合わせた、繊細な構造システムで屋根は支えられ、椅子はひとつもなく、板張りの床の上に、座布団をしいて座るのである。思わず、僕の大倉山の家を思い出した。ボロさと木の匂いが、かっこよかった。[隈R02、1184]

 夜、声をかけてくれた友人と町長と、三人で飲み始めました。「ゆすはら座のような素晴らしい建築を壊すなんて、ありえません」というと、町長も頷(うなづ)きました。

 別れ際、町長は「隈さんは公衆便所なんかも設計するの?」とたずねてきた。「公衆便所は得意です」と、僕は胸をはった。この一言がきっかけになって、僕と檮原の付き合いがはじまった。公衆便所と小さな町営レストランを設計させてもらい、町営ホテルも作った。[隈R02、1193]

■4.「建築は再び大地とつながることができるかもしれない」

 町長からは、「僕は建築のことは分からないから何も文句は言わないけれど木だけは使ってくださいね。檮原は林業の町だから」と言われました。隈さんはそれまで木造建築をつくったこともなく、初めて木という素材と向き合うことになりました。

 これが、以来、30年も続いている檮原町とのお付き合いの始まりでした。この間、「檮原地域交流施設(現・雲の上のホテル)」「檮原町総合庁舎」「木橋ミュージアム(雲の上のギャラリー)」「雲の上の図書館」など6つの建物を設計させてもらいました。それぞれ、外観は豊かな自然の中に溶け込み、建物内部も木のぬくもりに満ちた設計です。[檮原町ホームページ、末尾参考欄]

 檮原には、林業の町だけに、腕のいい職人さんたちがまだ仕事をしていました。昼間は、職人さんたちが作業する脇で、彼らの手の動かし方を眺めながら、色々質問をぶつけて、そんなことも知らないのかと笑われました。

 隈さんもいろいろ注文を出すと「そんなことできるわけねえだろ」と一蹴されることもあったし、逆に「そんなの簡単だよ、かえって手間がかかんねえよ。本当にそれでいいのか」などと、笑って返されることもありました。

 彼らと寄り添い、その場所と併走することによって、建築は再び大地とつながることができるかもしれないという希望を手に入れた。檮原の職人達が、そのやり方を教えてくれた。バブルがはじけようと、どんな災害がやってこようと、そんなことはおかまいなしに、大地を耕して作物を作るように、黙々と、ゆっくりと、建築を作り続けていけばいいのである。[隈R02、1263]

■5.「細い木材を使い廻し、使い倒していく」

 木造といっても巨木を使うわけではありません。日本の在来木造工法は、10センチ角、長さ3メートル程度の木材を組み合わせて使っていました。そうする事によって、森の手入れ時に採れる間伐材を有効に使えるのです。その細くて安い間伐材を組み合わせて、地震にも耐える強い建築構造を日本人は創り上げてきました。

 しかも細い木材を組み合わせて使うので、傷んだらそこだけ取り替えれば良い。組み合わせを変えれば、家の間取りすら変えることができます。

 欧米では、太い柱を使ったり、木材を貼り合わせた集成材で、中高層建築を目指していますが、それは20世紀の工業化社会の思想を引きずっているようにしか、隈さんには見えませんでした。だから、新国立競技場でも細い木を使うことにこだわりました。

 木を使うことで、持続可能な、ゆるやかでやさしい循環システムを再構築することこそが、今の世界で一番大事なのである。細い木材を使い廻し、使い倒していく日本の在来木造は、その未来の循環のための、最上のヒントとなると感じられた。[隈R02、1869]

■6.それぞれの地方のそれぞれの素材

 ただし、隈さんは「木しか使わない」「木だけ使っていれば良い」という「木造原理主義」ではありません。それぞれの土地にはそれぞれの素材があり、それを活用する伝統技術が発達してきました。それを上手く使うことで、その土地の自然や伝統と調和した建築ができます。

 たとえば、栃木県那須塩原の石屋さんから、壊れかけた石の蔵を改造して、「石の美術館」を設計して貰えないか、という依頼がありました。その石屋さんは芦野石と呼ばれる石を奥の山から切り出し、建材や墓石として売っていました。隈さんには予算はないが納期もなく、職人には何でも自由に頼んでください、と言いました。

 結局、計画から6年の歳月を費やしましたが、細い棒状の石で格子を作ったり、いろいろな挑戦ができました。この建築は石の街として有名なイタリアのヴェローナから「石の国際建築賞」を受賞し、隈さんがヨーロッパで活躍するきっかけになりました。

 中国では、万里の長城のふもとで竹の家を作りました。予算が限られていたので、地元で安く調達できる竹を使ったのです。これが中国人の心に突き刺さったようで、2008(平成20)年の北京オリンピックの開幕式でも映像が大きく流され、その後も中国国内から「竹の家みたいな、あたたかい建築を作ってくれ」との依頼が寄せられるようになりました。

 人間は、それぞれの土地で採れる素材を工夫して建物を作ってきており、その伝統が土地の人々の心に根を張っているのです。隈さんはその場所の声に耳を傾け、その場所の職人たちに教えて貰いながら、その場所の素材を活用して、建物を建ててきました。「素材は地域と建築をつなげ、地域の新たな産業や文化を創出するきっかけにもなる」と隈さんは語っています[田實、1382]。

■7.地方の問題点は「自信のないところ」

 隈さんが追求し、建築として表現しようとしているのは、今後の日本社会のあり方そのものです。戦後の日本は、20世紀にアメリカで生まれた鉄とコンクリートの文明を直輸入し、その優等生として経済大国を築いてきました。

 気がつけば、日本の各地方の素材も伝統技術も職人も無視して、どこでも同じような鉄とコンクリートの都会を作ってきました。その都会に人口が集中し、自然と切り離された、潤いのない生活を送っています。

 一方、その過程で、先人たちが一生懸命に守り育ててきた豊かな森も田畑も海も、そして文化もなおざりにされ、地方は青年たちに見離され、日本経済のお荷物となってしまいました。「地方を回って見えた問題点は?」と聞かれて、隈さんはこう答えています。

  自信がないところでしょうかね、自分たちの文化に対して。80年代の地方は、自信がないからヨーロッパのものなどを持ってきて、なんか真似したりしてましたよね。

 大事なことは、「みなさんの文化はすごいんですよ」と自信をつけさせることだと思います。・・・

 檮原もフランス人とかがいっぱい来るようになってきたのですが、そうすると、自分たちのものを外国からもこんなに見に来るんだと自信を持つようになるんです。[田實、1290]

■8.「和の文明」への号砲

「自信がない」という問題点は、日本人全体に言えることでしょう。
 地球環境問題の観点から、世界の建築界は木をたくさん使う方向に向かっています。しかし、この領域で日本は出遅れました。旧来の木造家屋から脱却して、近代都市をコンクリートと鉄で作らなければ、という価値観が、いまだに我々を支配しているからです。

 日本は「世界最古の木造建築の法隆寺」を有する、木造文化の先進国であったにもかかわらず、「木造コンプレックス」「木のトラウマ」から抜け出すことができずに木の復活に乗り遅れてしまったのである。・・・

 日本は、あれだけの技の大工がいまでも健在なのに、この新しい木の流れに遅れをとっているのは、悔しくて仕方がなかった。

 新国立競技場は、その停滞した状況を打ち破る、起死回生の木の建築にすべきだという使命感が、僕らのチームを突き動かしていた。[隈R02、1756]

 来年のオリンピックでは、日本中の、そして世界中の人々が、神宮の杜に調和した新国立競技場に目を見張るでしょう。昭和39(1964)年の東京オリンピックは戦後の日本人が目指した工業化社会の象徴になりましたが、令和3(2021)年の東京オリンピックでは、この「杜のスタディアム」が自然と調和を目指す「和の文明」への「目覚まし」となる事を期待しています。

(文責:伊勢雅臣)

■おたより

■「隈研吾の梼原町」がお目当てという台湾の若者・学生たちも目にするようになりました(敏雄さん)

 一人の建築愛好者として、また高知県人として、隈研吾と梼原町を取り上げてくださったことは嬉しい限りです。時節にかなった内容で、たいへん興味深く拝読いたしました。

 まるで隈研吾作品の博物館のようであり、氏の木の建築の「原点」ともいわれる梼原町で、彼が最初に手掛けた仕事が小さな公衆便所であったという、信じがたいような話は、知る人ぞ知るでした。

 高知県は、坂本龍馬を尊敬する台湾の李登輝元総統(台湾龍馬会名誉会長)が訪ねてこられて講演するなど、台湾との繋がり・往来があるのですが、愛媛県松山空港に直行便が昨年開設され、「隈研吾の梼原町」がお目当てという台湾の若者・学生たちも目にするようになりました。

■伊勢雅臣より

 交通不便な所でも、何か魅力があれば、外からもお客さんが来る、ということですね。地方創生の良いお手本です。

■リンク■

a.

■参考■

(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

・隈研吾『ひとの住処―1964-2020―』(Kindle版)★★★、新潮新書、R02

・隈研吾『建築家、走る』(Kindle版)★★★、新潮文庫、H27

・田實碧『旅する建築家隈研吾の魅力』(Kindle版)★★★、双葉社、R01

・檮原町「雲の上の町ゆすはら」

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