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JOG(358) フェミニズム 対 民主主義

 怨念と闘争で革命を目指すフェミニズムは、民主主義と相容れない。


■1.知事の形相は一変■

 平成14年8月、千葉県柏市で行われた「千葉なの花県民会議」でのこと。堂本暁子・千葉県知事が就任してから始めた、県下の市町村を巡回して、県民の意見に耳を傾けるという趣旨の集会である。知事は観客席に降りて、にこやかに参加者にマイクを渡しては意見を聞いて回る。ある中年の女性が知事からマイクを受け取って意見を述べ始めた。

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 県が今制定しようとしている(「千葉県男女共同参画の促進に関する」)条例にはいろいろと問題があると思います。やはり男らしさ女らしさというのは大事なもので、、、
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 ここまで聞くなり、今まで愛想を振りまいていた知事の形相は一変。その女性からマイクをひったくって壇上に駆け上がり、「男女共同参画社会は世界の流れなんです!」とヒステリックにフェミニズムの教義を説き始めた。
 意見を表明していた女性の顔は恐怖にひきつり、壇上に居並ぶ市長や県議のお歴々も唖然とするばかり。「県民の意見を聞く」という民主主義的な会議は台無しになってしまった。

■2.県の予算で条例案の新聞広告■

 千葉県男女共同参画条例のどこが問題かを考える前に、もう少し堂本知事の姿勢を見てみよう。
 平成14年9月24日、条例案が県議会に上程される前日に地元紙「千葉日報」に全面見開きの記事広告が掲載された。「男女共同参画社会の実現目指し県が条例案提出へ」と両面ぶちぬきの巨大な見出し。堂本知事らのカラー写真を満載し、座談会記事では堂本知事自ら条例案の内容を自画自賛。肝心の条例案はほんの概要を片隅に掲載しているだけだ。
 この記事のスポンサーは千葉県である。「議会に上程する前に3百万円もの広告費を使って条例の一方的な宣伝をするのは問題だ」と自民党議員が議会で問いただしたところ、堂本知事は逃げの一手。
 政党が自分の金で政策の新聞広告を出すのは自由だ。また成立した条例を県民に知らしめるために、行政当局が県の予算で新聞に広告を出すのも許される。しかし、県知事が県の予算で自らの政策の広告宣伝するのは権力の乱用そのものである。こんな事が許されるなら、たとえば選挙直前に、自民党が政府予算を注ぎ込んで、新聞に自民党候補の宣伝記事を掲載させる事もできることになる。

■3.具体的ルールのない法律は民主主義に反する■

 さて、こうまでして堂本知事が成立させようとした「千葉県男女共同参画の促進に関する条例」の中身を見てみよう。そもそも「男女共同参画」とは何なのか? その第3条では基本理念としてこう定義する。

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(基本理念)第3条 男女共同参画の促進は、男女の個人としての尊厳が重んじられること、男女が直接的であると間接的であるとを問わず性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない。
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 この条例全体を通じて、「男女共同参画」とはこの程度の抽象的な表現しかされていない。これが法律としておかしいのは、「交通安全の促進に関する条例」とでも置き換えて考えてみたら、よく分かるだろう。
 実際には「交通安全」を実現するために、すべての道路に制限速度を決め、それを15キロ以上超過すると1万2千円の罰金を科すなどというルールを定める。こういうルールは市民を規制するだけでなく、行政当局も規制し、市民の人権を守る。15キロの速度超過で、もし1万2千円を超える罰金を科せられたら、それは不法だと裁判所で争うことができるからである。
 こういう具体的なルールがなければ、ドライバーは40キロで走っていても、それが法律違反かどうか自分では分からない。警察は目をつけた車を「交通安全に反する」として自由に捕まえ、好きなだけ罰金を科すことができる。これは法治主義という民主主義の根本原則を無視するもので、ナチスや共産党などが敵対勢力を弾圧する時によく使う手である。

■4.「自ら進んで男女共同参画の促進に努めるものとする」■

 何をしてはいけないか、具体的なルールも示さないまま「男女共同参画」を謳いあげたこの条例は、法律というより思想宣明の文書である。そして特定の思想を県民全体に法律で押しつけようという所に、もう一つの大きな問題がある。

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(県民の役割)第5条 県民は、職場、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、自ら進んで男女共同参画の促進に努めるものとする。
2 県民は、県が実施する男女共同参画の促進に関する施策に協力するよう務めるものとする。
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 この条例が成立すると、冒頭の中年女性のように「男女共同参画は問題がある」と公の場で述べることは、「県民の役割」を果たしていないことになる。かつての「非国民」ならぬ「非県民」である。県民の一人ひとりにまで「基本理念」に則り、「自ら進んで」男女共同参画にの促進に努めることを要求するのは、思想統制にほかならない。
 この思想統制で、社会の文化慣習まで変えてしまおうという所が、共産主義と同様にフェミニズムの「革命的」たるゆえんだ。基本理念の第2項ではこう主張する。

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 男女共同参画の促進にあたっては、社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、・・・男女共同参画の促進を阻害する要因となるおそれがあることを認識し、社会における制度または慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立的なものとするよう配慮されなければならない。
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 社会の「制度又は慣行」が男女差別を助長している面があるので、それを改めよ、という事である。たとえば「助産婦」と言えば「制度又は慣行」により女性に決まっていたが、これは男女差別を助長するので「助産師」と改め、男性でも勤められるようにする、という事もその一つである。そのために妊婦は産婦人科に行っても、男性の助産師が来たらどうしよう、と余計な心配をしなければならなくなる。

■5.「必要な措置を講ずることができる」■

 具体的なルールが欠けていようと、思想的統制であろうと、罰則がなければ、法律は単なるスローガンに過ぎない。この点でも堂本知事は抜かりない。たとえば第13条では県内企業に対しては、このような条項を規定している。

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3 知事は、男女共同参画の促進に必要があると認められるときは、事業者に対し、雇用の分野における男女共同参画の促進に関する取組の状況について報告を求めることができる。
4 知事は、前項の報告により把握した男女共同参画の促進に関する取組の状況について公表するものとする。
5 知事は、第3項の報告に基づき、男女共同参画の促進に必要があると認められるときは、事業者に対し、情報の提供、助言その他の必要な措置を講ずるものとする。
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 県の役人が千葉県内の企業に対して、「男女共同参画の促進に関する取組の状況」について、報告を求め、それを公表し、必要な措置を講ずることができる、というのである。

■6.権力と利権■

「その他の必要な措置」というのが曲者だ。何が必要かは、行政当局が恣意的に決められる。そのうちにはこんな処置まで含まれている。

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(入札参加資格審査に当たっての考慮)第22条 県は、一般競争入札及び指名競争入札に参加する者の資格を審査するに当たっては、男女共同参画の促進に関する取組の状況を考慮することができる。
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 たとえば、県内の特定の土建業者を名指しして、男女別の賃金差、待遇差に関する報告を求め、その内容を公表することができる。これだけでも企業にとっては相当のイメージダウンになるだろう。さらに「必要な措置」として、差別が撤廃されるまでは、県の土木事業から閉め出す、という事までできる。
 犯罪を起こした企業や、公正な競争入札で実力のない企業を閉め出すのは良いが、「男女共同参画」という具体的に何をどこまでやれば良いのか分からない「思想」に忠実かどうかで、行政が恣意的に入札締め出しなどという「必要な措置」をとることは、これまた権力の濫用そのものである。

■7.利権との癒着■

 実は堂本知事が就任以来、後ろ盾にしてきたのが、千葉県政界の大ボスで自民党の花沢三郎・県議会議員であった。花沢県議は千葉県の土建業界のフィクサーで、公共事業などの利権で子分たちを養ってきた人物である。土地区画整理事業をめぐる収賄で、有罪判決を受けたこともある。そして花沢県議は自民党内の反対を押し切って、男女共同参画法案を通そうとした。
 想像を逞しくすれば、法案が成立すれば、ボス県議の意に従わない土建業者を、男女共同参画の促進が十分でない、という難癖をつけて、県の土木事業からはずすことも可能になってしまう。
 中国でも見られるように、独裁的な政治権力はかならず利権・汚職を生む。堂本知事と花沢県議の組み合わせは、男女共同参画という思想のためには手段を選ばない革命家と、利権のためには思想を問わない政治家との癒着なのである。
「市民団体」への補助金ばらまきも、利権の一種である。

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(民間の団体との連携及び協働)第8条 県は・・・特定非営利活動法人その他の民間の男女共同参画の促進に寄与する活動を促進するものとする。
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 堂本知事は自分を選挙で応援したフェミニズム団体にどんどん「特定非営利活動法人」(NPO)の認証を出して、カネをばらまいた。千葉県が平成15年度予算に計上したNPO関連予算は実に1億8千万円。[1,p188]

■8.阻止された男女共同参画条例■

 平成14年10月15日。堂本知事が成立を目指した男女共同参画条例は「継続審議」となった。事実上の「否決」である。社民・県民連合、共産党、市民ネットワークが「条例案はそのまま通すべき」と主張したのに対し、多数派の自民党が「条例案は過激なジェンダーフリーに基づく条文など多くの問題があり」と継続審議を主張、ヤジと怒号の飛び交う中で採決が行われた。
 傍聴席に陣取っていた堂本シンパのフェミニズム活動家たちは閉会後、退場する自民党議員に向かって、「サイテーだよ、アンタたち」と悪罵を投げつけた。千葉県議会で県当局が提出した条例案が継続審議になったのは史上初めてのことだった。
 10月27日には参院選千葉選挙区補選が行われた。社民党や市民ネットワークは「男女共同参画条例に反対した自民党は女性の敵だ」と訴えたが、フタを開けてみると自民党候補の圧勝。朝日新聞が実施した出口調査では、女性の45%が自民党候補に投票し、対立候補の37%を上回った。堂本知事は「男女協働参画条例を通さなかったら自民党は女性票が減る」と脅していたが、女性は男女共同参画を支持しなかった。
 その後の県議会議員選挙でも自民党は圧勝して、65議席から71議席に増やした。一方、堂本知事の参謀格だった市民ネットワークの現職女性議員は落選した。

■9.フェミニズムとマルクス主義■

 千葉県を例に、フェミニズムが言論統制、権力の濫用、利権との癒着など全体主義的特徴を備えている事を見てきたが、これは決して偶然ではない。フェミニズムはマルクス主義から派生した革命思想だからである。
 堂本知事の国会議員時代からの盟友で、千葉県の条例案作成にも中心的役割を果たした東大教授・大沢真理は、フランスの過激フェミニストで、ジェンダー理論の創始者クリスティーヌ・デルフィを信奉している。デルフィは著書「何が女性の主要な敵なのか」でこう述べている。

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 女性の解放のためには、現に知られている社会すべての基礎(JOG注:千葉県条例での「制度又は慣行」がこれにあたる)を完全にくつがえす必要がある。この転覆は革命なしには、すなわち現在他の人間に握られている、私たち自身を支配する政治的権力を奪取することなしには実現できない。この権力奪取が女性解放運動の究極的目標とならなければならないし、女性解放運動は革命的な闘争に備えなければならない。[1,p108]
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 マルクスは労働者階級は資本家階級に搾取・抑圧されており、革命闘争によって権力を奪取して、労働者階級を解放すべし、と論じた。デルフィはその構造を下敷きとして、女性を男性から搾取・抑圧された階級と見なし、政治的権力を奪取して、解放するという「革命的な闘争」を目指したのである。
 デルフィの思想の根底にあるのは、社会や家庭で女性が男性から抑圧されているという怨念であり、またそれを晴らすために政治権力を奪取しようという闘争的姿勢である。ここから、「目的のためには手段を問わない、とにかく独裁的政治権力を奪って現体制を転覆させよ」、というマルクス主義と同じ革命路線が出てくる。
 議会制民主主義とはこういう独裁から市民を守るために、「法の支配」や「選挙による意志決定」という「手段」を定めている。だから民主主義は「革命的な闘争」をめざすマルクス主義とも過激フェミニズムとも相容れない。千葉県民は賢明にも選挙という民主主義的手段を通じて、堂本知事のフェミニズム革命を見事に阻止したのである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(006) Fact Finding と Logical Thinking
 夫婦別姓派の事実把握と論理的思考を問う
【リンク工事中】

b. JOG(177) 一周遅れのフェミニズム
 最近の脳科学が発見した男女脳の違いからフェミニズムを見
てみると、、、
https://note.com/jog_jp/n/nfda4ec1006bc

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

  1. 千葉展正、「男と女の戦争 反フェミニズム入門」★★、
    展転社、H16

//////////// おたより ////////////
■「フェミニズム 対 民主主義 」について
アルファさんより 
私は女性らしさの一つに自重された温和な優しさがあると思っています。実際、私が目標としていた女性像です。私はそんな慎み深く暖かい女性の姿にこそ、男性性が引き出され、お互いの調和やバランスがとれるのだと思っています。
 結婚当初、主人は私がいなければ靴下一つ場所のわからない人でした。私自身主人に尽くす事にとても喜びを感じていました。特別な事は何も無く、ただ生活の中でふれあいながら、お互いの役割や存在を確認しながら幸せを実感できていた一瞬だと思います。
 よくテレビで社会主義や共産主義など見ますが、まるで家庭という空間を無くした兵士の製造工場のように見えます。父がいて、母がいて、父性と母性に囲まれるからこそ、子供たちは不二の幸福を感じるのだと思います。マルクス主義や過度な理想主義は理想に伴わない犠牲を生産し続けると考えています。現実主義あって、現実に伴った社会が日本の姿だと考えています。
 女性が女性を越えた努力をされる事は素晴らしいと思います。ただそれに伴って価値観の統一が強制されたり、女性性が否定される事はあって欲しくない現実です。

■ 編集長・伊勢雅臣より
 伝統を否定し、ジェンダーフリーという机上の「理想」を強制する所に、マルクス主義と同様の全体主義的本質が見てとれます。

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