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JOG(1092) まるでドメスティックな平和主義

 わが国周辺の脅威も見ず、世界の憲法の趨勢も見ない「まるドメ」平和主義論議。


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■1.「~だという意見もあります」

 日本国憲法の3つの基本原理の一つ、「平和主義」に関して、東京書籍版中学公民教科書(東書)は、次のように述べている。

日本は国を防衛するために自衛隊を持っています。自衛隊と憲法第9条の関係について,政府は,主権国家には自衛権があり,憲法は「自衛のための必要最小限度の実力」を持つことは禁止していないと説明しています。一方で,自衛隊は憲法第9条の考え方に反しているのではないかという意見もあります。[1, p42]

 自衛隊が合憲か違憲かは重大な問題だが、両論の違いがどこから来るのか、生徒たちに考えさせるような提示をしていないので、単なる両論併記で終わっている。両論併記で、しかも政府への反対意見で締めくくるというパターンは集団的自衛権、沖縄の基地、自衛隊の海外派遣などのトピックスでも続く。[1, p43]

・(集団的自衛権)「憲法第9条で認められる自衛の範囲をこえているという反対の意見もあります。」

・(沖縄の基地に関して)「政府間では名護市の辺野古沖に設けることで合意されましたが、反対している住民も多くいます。」

・「このような自衛隊の海外派遣については慎重な意見もあります。」

 議論を自分の言いたいことで締めくくるのは、人間の自然な思考過程なので、これらの末尾の文が教科書執筆者達の「本音」なのではないか。いや、「そういう見方もあります」と弊誌も真似して両論併記で逃げておこう。

■2.国際社会の現実を見ない「平和主義」

 東書の記述で驚くのは、国際社会という視点がまるでないことだ。そもそも平和主義にしろ、国防にしろ、外国との関係に関する問題であるから、国際社会の実態を見ずに論じても意味がない。 

 一方、育鵬社版(育鵬)版は、我が国の安全を脅かす国際環境について詳述している。たとえば「7 平和主義と防衛」のページの冒頭に、「尖閣諸島の中国漁船衝突事件」での漁船衝突の大きな写真を掲げ、その右には「アルジェリアで現地駐在の日本人が武装集団に拘束され殺害された事件を伝える新聞記事」「北朝鮮の韓国への砲撃を伝える新聞記事」を写真で紹介している。

 同時に、「各国の国防費の推移」のグラフを示し、アメリカが6500億ドルほどのダントツだが、中国が2005年の300億ドル程度から、2012年には1000億ドル超と3倍以上に伸びている事を示している。この間、我が国は600億ドルほどで、微増に留まっている。[2, p58] 

 こういうデータを見れば、現在の我が国を取り巻く周辺環境がいかに脅威に充ち満ちているか、中学生にもよく分かるだろう。

 そもそも、我が国周辺の脅威を見ずに、盲目的に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するのであれば、自衛隊も集団的自衛権も米軍基地も不要である。現実の国際社会がそうでないからこそ、これらをどうするのか、という日本の防衛課題が出てくる。現実から目を背けた「9条教」を教え込むのは「宗教」教育であって、「公民」教育ではない。

■3.「これからさき日本には,陸軍も海軍も空軍もないのです」

 ついでに「9条教」の極致を説いている公民教科書があるので、紹介しておこう。清水書院版は「戦争の放棄」というコラムで、こんな一文を引用している。

 こんどの憲法では,日本の国が,けっして二度と戦争をしないように,二つのことをきめました。その一つは,兵隊も軍艦も飛行機も,およそ戦争をするためのものは,いっさいもたないということです。これからさき日本には,陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。

……しかしみなさんは,けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを,ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に,正しいことぐらい強いものはありません。・・・[3, p93]

 一体、誰の文章かと思ったら、その下の方に「この本は,1947年、文部省(当時)が中学1年生用の副読本として発行したものである。戦争をなくし,平和を守ろうとする強い決意がうかがえる。」との説明があった。

 1947年とは昭和22年、戦争が終わって2年目で我が国はまだ米軍の占領下にあり、前年に日本国憲法が公布されたばかりだった。当時の日本は米軍の大規模な言論統制下にあり[a]、その意向に逆らうような報道も出版もできなかった。当然、文部省のこの文書も占領軍の意向に従って書かれたものだろう。

 そもそも「空軍」という用語自体が怪しい。ちょうどこの年、アメリカの空軍が陸軍から独立したばかりであり、戦前の日本には独立した空軍はなかった。この文章の原文は米軍の軍人が書いたものと思われる。そういえば、米軍が起草した第9条にも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と「空軍」が入っている。

 こんな占領下の教育行政の実態を示す歴史的文書を、今もそのまま通用するかのように70年後の現代の公民教科書に載せるとは、我が国の憲法学界の「化石」化した実態そのままを表している。

■4.自衛隊を「戦力でない」という「苦肉の策」

 東書の日本を取り巻く脅威にまったく触れずに、両論併記に終わっている様は、まさしく日本国憲法の抱える問題をそのまま映し出している。育鵬の次の記述は、この点を指摘している。

 しかし,日本国憲法第9条には「戦力」の不保持がうたわれています。そのためこの憲法の下で自衛のための実力がもてるのかという議論がなされてきました。 
 政府は,ここでいう戦争とは「他国に侵攻する攻撃」をさし,「自国を守る最低限度の戦闘」までも禁じているものではなく,自衛のための必要最小限度の実力をもつことは憲法上許されると解釈し,自衛隊を憲法第9条に違反しないものと考えています。 
 憲法の規定と自衛隊の実態との整合性については,今なお議論が続いています。[2, p57]

 しかし、世界8位ともランキングされる自衛隊を「戦力」でない、とする政府解釈は、中学生の目にも詭弁に映るだろう。世界一厳しい改憲条件に阻まれて憲法改正ができなかった中で[b]、現実の防衛課題に応えるために、政府がとらざるを得なかった苦肉の策なのである。

 自由社は、この問題をストレートに論じている。

 しかし、世界的にも有数の実力を備えた自衛隊を「戦力に至らない」とする政府の憲法解釈には批判も多くあります。また、自衛隊は憲法違反であるから解散すべきだという主張もあります。しかし逆に、憲法改正を行って自衛権の保有を明確にするとともに、自衛隊をわが国の軍隊として位置づけるべきだという主張もあります。[4, p73]

 ここでの論点は:

・世界的にも有数の実力を備えた自衛隊を「戦力に至らない」とする政府の憲法解釈を認めるのか。

 認めないとすれば、
・あくまで憲法を尊重して、自衛隊を解散し、他国の侵略があったら、座して死を待つのか?(しかし、これは憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の放棄であって、憲法違反である)

・憲法改正によって、自衛隊を合憲として位置づけるのか?

 という選択であろう。「公民」の授業としては、こういう問題を生徒たちにじっくり議論させ、考えさせるというアクティブ・ラーニングを行ってはどうか?

■5.「世界で唯一の平和憲法」という「神話」

 その際に、生地たちがまず知っておかねばならないのは、育鵬が述べたように、中国の急速な軍事力強化など我が国を取り巻く国際環境が一つ。もう一つは、第9条の第1項と第2項を厳密に区別して議論する事だろう。

第1項: 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項: 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 

 第1項こそが「平和主義」と言える内容であり、第2項は「非武装主義」と言うべきである。そして、世界の多くの国々は平和主義は採用しているが、非武装主義をとっている国はほとんどない。

 育鵬は、次のような例をあげている。

・イタリア  
 第11条「他の人民の自由を侵害する手段および国際紛争を解決する方法としての戦争を否認する」 
 第52条「祖国の防衛は市民の神聖な義務である」

・ドイツ 
 第26条「諸国民の平和的共同生活を妨げ、特に侵略戦争の遂行を準備するのに役立ち、かつ、そのような意図をもってなされる行為は,違憲である。」
 第12a条「男子に対しては,満18歳から軍隊、連邦国境警備隊または民間防衛団における役務に従事する義務を課すことができる。」

 いずれも、平和主義は採用しているが、非武装主義はとられていない。それどころか、国民の「国防義務」を明記している。比較憲法学者の西修・駒澤大学名誉教授は、以下のように世界の状況を述べている。

 いまや189の成典化憲法で、平和条項と呼び得る項目を備えている憲法は159か国(84.1%)もあります。「日本国憲法は、世界で唯一の平和憲法」という言い方は、「神話」以外のなにものでもないことが理解できるでしょう。[5, p173]

■6.「世界で最初の平和憲法」という神話

 日本国憲法は「世界で唯一の平和憲法」どころか、「世界で最初の平和憲法」ですらない。西教授の著作では、欧米でなんとか平和を達成しようとして、平和条項を作ってきたが、次々に失敗してきた歴史を紹介している。

 それによると、世界で最初に憲法に平和条項を導入したのは、フランスの1791年憲法だという。1789年の「人権宣言」の2年後である。「フランス国民は、征服を目的としたいかなる戦争を企てることも放棄し、他国の人民の自由に対してその武力を決して行使しない」と定められた。

 しかし、1792年4月、オーストリアによる革命への干渉を理由に、フランス革命政府は宣戦布告し、革命戦争はそれから10年、さらにナポレオン戦争が1815年まで続いた。「人権宣言」という美しい建前の陰で、数百万人単位の大虐殺が行われたように[c]、この「平和条項」も20数年うち続いた戦争の中で書かれた「あだ花」だった。

 その後、第1次大戦の甚大な被害への反省から、1928年にはパリ不戦条約が結ばれ、「国家の政策の手段としての戦争を放棄する」など、第9条にもコピー・ペーストされた文言が定められた。しかし、ここでは自衛戦争や制裁戦争は認められていた。 

 それでも第2次大戦が起こってしまい、その後に創設された国際連合では、国際紛争の解決で「武力による威嚇または武力の行使を・・・慎まなければならない」と定められた。この表現も憲法第9条にコピーされている。この国際憲章がどれだけ護られているかは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争などを眺めてみれば、明らかだろう。 

 このように過去2世紀も続けられてきた、しかもほとんど成功することのなかった平和条項の文言が、憲法第9条にコピーされているのである。平和主義を考えるには、このような国際社会の試行錯誤の歴史から考えて見なければならない。 

 もう一つ、非武装主義はどうだろうか。「わが国では、コスタリカ憲法とパナマ憲法が非武装条項であるとして宣伝されています」という西教授の指摘に驚かされた。両国ともアメリカの裏庭とも言うべき中米の小国で、大国アメリカと事を構えてまで、こんな小さな国を侵略しようとする国があるはずもない。 

 こんな「宣伝」を平気ですること自体が、いかに憲法学者が国際常識に欠けているか、を表している。逆に言うと、この程度の事例を持ち出さねばならないほど、世界の多くの国々の中で非武装条項は例外的だという事である。

■7.狭い法律論に留まらず、広く世界や歴史に学ぶ姿勢を

 東書の記述は、このようにわが国周辺の脅威に目をつむり、またすでに世界の多くの国々が平和主義を掲げている、という国際社会の状況にも目をそらした「まるドメ(まるでドメスティック)」なものであった。生徒たちの議論では、もっと広い視野で国際社会を見た上で、議論を進めて欲しいものだ。 

 もう一つ、生徒たちに考えて欲しい事は、絶え間なく戦争が続いてきた欧米に比べ、わが国では古墳時代、平安時代、江戸時代など、数百年単位の平和が続いてきた事だ。その原因の一つは、拙著『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[d]で述べたが、歴代天皇方の祈りが「民安かれ」の一念で貫かれており、平和主義こそわが国の国是だった、という事である。

 憲法(Constitution)とは、国の成り立ち(Constitution)を決めることだ。そのためには、狭い法律論に留まらず、広く世界や歴史に学ぶ姿勢が不可欠である。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. 

b. 

c.

d. 伊勢雅臣『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』、育鵬社、H30

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け) 

1. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27

2. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27

3. 『中学公民[平成28年度採用]―日本の社会と世界』、清水書院、H27

4. 『中学社会新しい公民教科書 [平成24年度採用]』、自由社、H23

5. 西修『世界の憲法を知ろう―憲法改正への道しるべ―』★★★、海竜社、h28

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