悩む人、あるいは一歩踏み出す勇気がない人。勇気1秒、後悔一生。
「悩む」というのは、即ち「実現可能だけど、実現出来ないかもしれない物事」を判断している「時間」そのものだと私は思っている。
意識は行動を変え、行動は習慣を変える。
人は必ず死ぬ、明日、10年後、50年後。
人には寿命があるが、生命寿命まで生きられる前提で自分の人生を考えるのは些か疑問が残る。
人は死ぬ。絶対に。
もしかしたら明日死んでいるかもしれないし、いつもと変わらない1日を過ごすかもしれない。親、恋人、大切な人が明日死ぬかもしれないし、あなた自身が死ぬかもしれない。私たちは1秒先のことすら誰にも予想できない運任せの人生ガチャをしている。
実際に多くの人間が毎日死亡している、亡くなっている。他人だから実感が湧かないだけで、ボーっとしていても、文句を並べていても、見栄を貼っていても、我慢して仕事していても、友達と笑っていても……私もアナタも毎日確実に「死」へ近づいている。
私たちはたまたま高確率で生き残っているに過ぎないという紛れもない事実を、いかに自分事に捉えるか?危機感を持てるか?が非常に重要だと考える。本来であれば誰しもが第1優先事項で考えるべき人生における最大のテーマな気さえしている。
しかし何故か学校では教えてくれないし、親も教えてくれない。自分で気付くしかないのか、そもそも考えなくていいことなのか。それとも
「あなたは明日死ぬかもしれないけど、我慢して毎日を生きなさい。一度しかない自分の人生、いつか確実に訪れる死を待ちながら、ため息を着いて、文句を垂れ流しながら、下らない争いを繰り返し、夢、目標、やりたい事を一個づつ諦めながら生きていきなさい」
ということなのだろうか?未だに解らない。
危機感を持って生への原動力にするのも良いし、のんびり生きながら死を待つのもいいだろう。重要なのは自分の「死」についてどう考え、どう行動に移すか、だけである。
未来は実現可能だが、過去には決して戻ることは出来ない
悩むという行為、実現可能だけど不可能かもしれない行動を判断する時間。もし失敗したら…、もし上手く行かなかったら…、そう考えながら人は悩んで悩んで挫折を繰り返す。そして気が付いたら死んでいる。
死ぬ間際の人が考えるのは「あの時ああしておけば良かった…。」という「やらなかった後悔」が大半だと聞く。
きっと悩んだのだろう、悩んだ結果「やらない」を選択したのだろう。「やらない」を選んだ結果、後悔したのだろう。
確かに、やっちまったことは仕方ねぇ!という自負の念は、さいあく自己解決することが出来る。借金を背負おうが、大切な何かを失おうが、自負の念があるのであれば、それは当人のせいだから「まぁ仕方ねぇ!」と解決できる。
しかしやらなかった後悔は悔いても悔やみきれない。
親のせいで…、あの時○○がこう言ったから…、あの時は○○だったから出来なかったし……、やらなかった理由を作るのは簡単だ。いくらでも作ることが出来る。過去に戻って実現することは出来ない。失われた時間は取り戻すことが出来ない。やり直すことも、最初から始めることも出来ないのだ。
しかし未来は実現可能だ。なんでも出来る。誰がどう見ても「デブ」の人が、1日3Hのトレーニングを5年間続けたのなら確実に痩せる、絶対に痩せる、500%痩せる。やらない理由はいくらでも作れるが、やれば確実に痩せる。つまり未来は実現可能なのだ。「今日は空を飛んで会社に行こうか悩むんですケド!」という前澤みたいな人は居ない。なぜなら空なんて飛べないからだ。出来ないことは「悩まない」。出来ることだから悩む。悩んでいることの大半は実現可能。成功するか失敗するかは置いといて、実現は可能である。
未来は実現可能、過去は戻れないから実現不可能。
過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる
「出来るかどうか」というこの先起こるか起こらないか分からない"不安"に刈られる気持ちは理解できる。
しかし、想像してみると「失われた時間は取り戻せない」という事実の方が怖い。
あなたの高校時代は戻ってこない。
輝かしい栄光も。
何も考えずセックスしていた青春時代も。
親や大切な人たちと過ごした過去の思い出も。
もう絶対に戻ってこない。
でも未来は出来る。
今始めれば、お前は何にだってなれる。
成功するか失敗するかは置いといて、実現可能である。
未来は実現可能。
過去は実現不可能。
無駄にした時間、若さは決して戻ってこない。
いま、この今、1秒を惜しんでトライすべきなのだと、一瞬の勇気を出し続ける習慣を付ける事が大切なのだと。
勇気1秒、後悔一生。
自戒の念を込めて。お互い頑張っていきましょう。
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