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2023年 個人的振り返り。

一月

博士論文を出した。力が尽きた。あと「シン・エヴァンゲリオン劇場版」をみて、パブリックでここまで自己表現をしている人がいるということに驚いた。

二月

スノーボードが上手い人

本当に何をして、何を考えていたのかわからない、思い出せない。多分だけど、博論を書き終えて一番何も考えてなかった時期なのかも。

三月

サクロボスコ

パソコンがついに壊れて新しいのを新調した月。あと、自分の容姿に対する自己認識に決着をつけるために自分としては少し大きめの金額を支払った。学校(教える方)も終わった。大変すぎて個々のイベントは覚えているけど、学校で教えていたというかたまりでの記憶があまりない。実感を忘れている。それと修士の時の一番の友達に会いにローマに行った。サクロボスコに行った。

四月

博士論文の発表があった。多分人生で一番上手く人前で話せたように思う。日本一時帰国。すごくいい写真を撮ってもらった。本気の、そして記録ではない自分の写真を撮れた。これでお金になるか否かでエージェントの登録継続か解消を決めることができる。マルクスってたまに感じがいいな、と思って実践しようと生きてきたけど、やはり彼の思想は平衡状態を理想としている節がある気がして、それは理想論的には同意できるけど、自分の人生で実践するのは無理だなということを実感した。

五月

宇宙に行ってきた

絵恋ちゃんのワンマンにいった。宇宙に連れて行ってもらった。また行きたい(航海にもついて行きたかった)。別府温泉は竜宮城だった。別府の地以外を地獄に変換する地獄。その証拠にスペインに帰ってきて早々喧嘩してお家を飛び出し、親に対する反抗の気持ちそのままでタバコをすったが、こちらのタバコが不味すぎて喫煙者に戻ることはなかった。あと、反AIの気持ちがとても高まった月だった。

六月

就活などを始めた。エアコンの新調などがかさなり、自分の経済状況との対峙が一番緊迫していた。さらに、空調業者界隈の虚偽と仕事のできなさに、絶対自分の方が仕事できるのになぜ仕事をさせてくれないのだという気持ちに。あとは紫蘇と唐辛子を育て始め、虫歯になり、そして配偶者の人が学校を卒業した。

七月

バレンシアの海

スペイン語の語学学校へ行った。サルサ的な音楽で踊りながらお互い全く知らない異国の民たちが自己紹介を行うという地獄の洗礼を受けた。語学学校特有の躁の雰囲気。これまた誰も知り合いのいない、一週間の学会イベントに行った。科学者に、哲学という言葉が乱用されている気がした。半閉鎖的なイベントは年齢とはあまり関係なく、さまざまなことが起こったりする。そして、夜のクラブも年齢に関係なくさまざまなことが起こったりするから警戒したほうがいい。キャンドルジュンに騙された。

八月

携帯電話をなくした。そして仕事が全くとれないので、所属していた事務所に退所希望をおくり、今までお世話になりましたと言ったら、「労働許可がないから仕事は振りませんでした」と言われた。労働許可は、すでに、お国からもらっているはずだが。そして、それならば今まで行ったオーディションは一体何だったのだ、私の恥かき経験の数々はいったい。山に遊びに行ったら、村公認のレイヴ帰りの完全に薬でドロドロだがしかし未だビール片手のゾンビが、チュロスを求め、列をなしていたのを見てなにか異文化を感じた。帰ったら冷蔵庫の中身がどろどろゾンビになっていた。

九月

テンションオリエンタリズム(掃き溜めに鶴)

七月の学会であった人がお金をくれるというので、研究企画書を作ってそれをプレゼンした。それが終わるまでピリピリしたので口喧嘩がポップに勃発、そして言語能力が研ぎ澄まされていたので、クリティカルヒットの嵐で配偶者の人がこいつこんなに酷い人間だったとはという顔をしたのを覚えている。あと、車に乗車中、なぜか車の電源が落ちてなぜかブレーキも効かなくなった。たまたま、ゆるい下り坂で赤信号による停車中だったからよかったものの、高速とかでこれが起こっていたら多分死んでいた。配偶者の人、初めて日本に行く。

十月

Matamorphose

配偶者の人、初めて自分の結婚相手の人間関係に立体的に触れる。素敵な結婚式にも出た。楽しそうだったしよかった。「君はどう生きるか」をみた。真剣に作ったものは壊れる、残そうと思って生きてもしょうがない。ただ真剣に作らなければ。

十一月

Chosen Family

就職の面接を二つ、研究企画の最終発表を一つ。論文もやっとかき始める。しかし、なにも上手くいかなかった。研究費は微量にもらえることにはなったが。酒で一晩に、韓国で買ったお気に入り眼鏡と、結婚の記念に自分で買った銀の指輪をいっぺんになくした。けど全てに関して不思議と全然悲しくなかった。就職の面接については、一つは受かっていたらアメリカだったし、一つは宗教勧誘だったのでは疑惑があった。眼鏡は馴染みが良すぎてまだそのへんにある気がするし、指輪は何となく座りがいまひとつだったし。

十二月

死を学術的にどう論じられるかということを考えたり資料を集めたりした際に、不死の状態を強く真剣に思い望んでいる、しかもそれを世界最高峰の財力で本気で実現させようとしている界隈がいるということを知った。多分、存在は死の瞬間に確定する気がする。確定って決着とかある種の答えだと思うけど、それを望まない人がいるとは。結構衝撃だった。だけど、そういえば小学校の卒業文集に将来の夢は不老不死の薬を作ることと書いたということを思い出した。その時は理解できていた、かもしれない。大型犬を飛行機に乗せる手順を何となく調べていたら、わかっていたが犬には大変にストレスになるとのことだった。この土地で犬と配偶者の人と生きることをまずは最優先にしようかと決めた。

総括

全然、学位を得て何か新たなる扉がとかはなかった。ただ、博士課程に身を置くものとしての責務として、半強制的に思考をしまくったということはとても良かった。全然金にはならないけど、イーロンマスクの資産あげるから、忘却してくれと言われても「いやです」って言える。
何のことかって、博士論文を書き上げて「視点」を手に入れた気がする。この「視点」が間違っていないことを証明したい、それができたらいいなとは思っている。だけどその願望に縛られたとき、きっと今度は個人の生き方としてその「視点」と矛盾が生じてしまう。「視点」を通してものを見る、と同時に「視点」で形成されるものの体現でありたい。そして、驚くことにおれが好きな人たちはみんな、その体現をしている。おそらく、彼ら彼女らは言語的にそれを自覚していない。一方、一応言語的に論理的にそれを考えて説明できるけれどそれをちゃんと体現できていない自分。ただ、今転がりたい方向性はまちがっていないと思える。とりあえず今年はそれでいいかな。

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