自意識とチークダンス

はやりの胃腸炎の床に臥して1週間ほどが経った。
半年に一度ほどお世話になる胃腸科の院長先生が、「オリジナルの薬を出すよ」とどこか誇らしげに処方してくださった薬のおかげか、だいぶ回復してきたような気がする。

よくある風邪とはいえ、とかく病床においてはメンタルも落ちに落ちるということで、内省に余念がない日々を過ごしている。

そんな中、もう来週には30歳になってるんだなぁとひとりごちて、色々残しておかないと忘れてしまうなぁとこれまたぼんやりと思い、noteのアプリをダウンロードした。

わたしには「続けること」に憧れていっぱしに始めて、ものの1ヶ月足らずでぱたりとやめてしまっていることが数えきれないほどある。
それらが記憶からも消え去ってしまうのかというとそうではなくて、「あれもこれも続けられなかったんだな、お前はそういうやつなんだな」と、頭の中にいるもうひとりの自分がちくちくとつついてくる。

そいつは本当にクセ者で、わたしが何か新しいことを始めようとすると、息をつく間もなく「まだ途中のことがたくさんあるのに、また何か始めるのか?」とニヤニヤ頭の斜め後ろから小突いてくる。もうひとりの自分は、そんな時だけ本当にめざとい。

もう30年近くも生きているのだから、(マメな外野だこと…)とスルーできればこっちのものなんだけれど、もうひとりの自分の存在感はディズニーヴィランズのようにとてつもなく、それはしつこく話しかけ続けてくるので、とても無視なんてできたものじゃない。

ーーああ、こうやって新しいことを始めなくなっていくんだな。

なんだか寂しいもんだなぁと、冷めて少しすっぱくなったコーヒーをすすりながらひとりごちて、脳裏をふっとよぎったことに気づく。


ーー登場人物、自分だけじゃん。

キャストも監督も脚本もすべて自分で、1ミクロンも面白くない寸劇を頭の中で演じて、しかも観客も自分だけ。
思考のクセは仕方がないとはいえ、「少しでもよりよく生きたい」という気概があることだけは取り柄だと思っていたのに、なんてお粗末な事態でしょう。

「もうひとりの自分というヴィランを倒すシナリオを作ればいい」と、作れるのは自分だけなんだと、本当は心のどこかでわかっていたけれど、それってとても体力の要る作業で、自分の本質である「めんどくさい」がすべてを邪魔していたんだな。
知ってたけど。知っていたけど。

正直、こう書いている現在も何かを続ける自信は湧いてこないんだけど、今諦めてしまったら残りの人生もヴィランの闇の王国になってしまう。それは避けたい、もうすこし頑張ってみようかな。と、弱気ながらもなんとか思えている。

何を始めて続けようかしら?
2022年のこと、愛せたらいいな。


久々にBluetoothキーボードを充電器につないだ自分に幸多からんことを。

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