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水源⑥

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「私の命はこれまでみたい.毎日夜にね,心臓がもう終わりって教えてくれるの.最初は,やだやだ,まだ生きていたいってダダを捏ねていたんだけれど,もうそういうものなのかって思っちゃって.でも,ずっと昔から納得してはいたけれど,いざその時になると,やっぱり生きたいっておもってしまうのね.おかしいよね.」
必死に笑おうとしていたが,いつも笑っていた君はもういなく.弱々しく瞳から涙が零れそうになるのを耐えていた.思えば,僕は君が泣いた顔を見たことはないのかもしれなかった.いつも笑っていたように思う.僕の話を静かに聴いて,適度に冗談を交えつつ相槌を打つ君は,記憶の中でいつも笑っていたような気がした.君が泣くなんて思わなかった.だから,いつもみたいに全部知ったような顔をして笑っていたら,「悲しいのに笑うなんてするな!自分の感情に嘘をつくな!悲しい時は悲しんでいいんだよ!」なんて怒れるのに.まあそれも,僕のどうにもできない感情を,君を怒ることで収めようとしているってだけなんだけれど.つくづく最後まで愚かな存在だ僕は.

君の言葉のあと,沈黙が恐ろしくて,僕は言葉を口早に続けた.その沈黙が君との境界線を破壊してしまうような気がしたからだ.なぜこんなに焦っているんだろう.もう答えはわかっているのだけれど.

「まだ食べたいケーキだって山程あるでしょ?見たい映画だってまだまだ出てくるよ.あ,そうだ.宮崎駿が新しい映画を描き始めたって話も聞いたし.君はジブリ好きだったろう?僕も君に勧められてから見るようになって,今じゃ1人でも見てるんだぜ.それに,やっとうさぎのりんごの切り方もできるようになったんだ.前後ろで笑ってたろ?あれから練習したんだ.

......世界中の世界遺産を見て回ろう.色々な価値観を手に入れてもっと深くこの世界を愛していきたいよ.」

君に笑ってほしかった.


「僕らは海の子供なんだろ?君が死んだとしても,僕は寂しくないぜ.だって雨になってまた僕の元にきてくれるんだからさ.僕はもうこれから絶対傘をささないよ.万が一君を拾い損ねたら困っちゃうからね.」

笑ってほしかった.

一番悲しいのは君だって知っている.一番苦しいのは君だって知っている.一番生きたいのは君だって知っている.でも僕もずっと君と歩いて行きたかった,この先に存在していたはずの未来に.確かにそこに君はいた,いや居てほしかった.

君が泣いているんだから,僕は笑ってあげないとね.僕にはもう本当にこれくらいのことしかできないんだなと,白い幕の外側で立ち尽くしながら思っていた.

考えれば考えるほど無力だった.

それから君は僕との面会を拒否し始めた.それでも僕はセンターに毎日通い詰め,商店街で買ってきたものと,手紙を置いていった.そして,看護師たちに「毎日来てくれるのにごめんなさいね」と言われ,「いえ,自分の好きでやっていることなので!」と愛想を振りまいて帰ることを繰り返した.そのうち看護師からも相手にされなくなっていったが,構わず通い詰めた.これをやめたら本当に最期になってしまう気がするからだ.正直僕もギリギリの精神力で保っていたと思う.


いつまでも手を繋いでいたかった.これは愛情の証ではなくて,この世に君を繋ぎ止めるための手綱のような役割をしていたのかもしれない.最期まで 自分勝手な僕は,僕を好きになることができなかった.だから,こんな僕を好きになった君が不思議でしかたなかった.だからこそ,今手が離れてしまっていることが不安でならないんだ.終わりがわかりきっている物語に,どう味付けをするかなんて,神さまのやることだろう.僕はレール上でうろちょろするに過ぎない.運命ってやつが決めているだって?クソくらえだ,と思う夜もあった.これは運命なのかもしれない,僕があがいたところで変わらないんだ,と考える夜もあった.それでも身体は生きることをやめないで,ひたすらに呼吸を続ける.この生物は立派と言えるんだろうか.死を選ぶことが真の自由なのかもしれない.それでも僕は通い続けた.そこに何もなくてももはや構わなかった.通い続けたという事実が,僕が君のことを大切に想っているという証拠になるから.

いつからか差し入れさえも拒否するようになり,僕の部屋には君宛の手紙が山になり始めていた.手紙を読み返すことはしない.それでも毎日通い続けた.

山になった手紙がバラバラと机から零れ落ち,僕は拾うことをしなかった.ふとバラバラの手紙と同じように,僕はバラバラになりながら床に寝転んでた.目線の先にはいつか君がくれた貝殻があった.指を伸ばしてそれに触れた.海の音が蘇る.

「僕らは海,か」

そこで君の訃報を知った.


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