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電池切れた

完全に電池切れた。予兆はあったけど見ないようにしてたのが仇になったみたいだ。ああきつい。きついというより辛い。辛いというより苦しいに近いかもしれない。ただ何をしてくれたから癒されるとかそういうこともない。思考のスイッチを0にして亡霊のように生きたい。というより亡霊になりたい。

なぜ気付いたかというと、自分が作った曲を聴いた時に気持ち悪くなってしまったからだ。もう何もかもだめだ。終わりかもしれない。

特に長い間同じ志を持って生きていくということをやれておらず、全て自分の気力次第なところがある。協力と銘打って一緒にいてはくれているが、どこまで寄りかかって良いのか。そもそも寄りかかって良いのか。失敗ばかりで成功事例がないため全てに自信がない。靄がかかり過ぎていて後戻りもできない現状である。先のわからない地図を書き連ねているような気もする。そして眠い。だけれど眠れなく、これも悪循環である。どうすれば良いのか。

あれこれ悪い想像をするとかそういうこともなく、ただうまくいっていないような感覚だけどのっぺりくっついている。虚栄を張って行くのも疲れた。もう何もかもに自信がないんだよ。ただ可愛い生物がわちゃわちゃしているのをぼーっと眺めているという機械になりたい。全てから逃げたい、逆に仕事をするのは自意識を0にすることができるから良いかもしれない。・・・もう末期である。

女性の権利とか男性の権利とかLGBTとか自由とかそういうものが大きく取り出されてきて、必要がないかもしれない関係性にも考慮しなければならないかもしれないと考え始めて、もう人と話すのが挙動不審になってしまう。腫れ物に触るようにしか近づけない。どうすれば良いんだ。何も気にしないで接することができる人が本当に羨ましい。考えすぎだともう1人の僕も言ってくるけど、それがわかっていても無理なんだ。

音楽を聴いて救われる人がいるって知ってるし回復する人もいるのを知っているけど、僕はギターを持って歌い始めてから「この要素は参考にできる」「この展開は面白い、こういうことができるのか」みたいな研究や勉強対象として音楽をずっと聴いてしまっている、というかもはやそうやってしか聞けてない気がする。純粋に自分の救いのための音楽を聴けていない。救いがない。救いがないから記憶を無くすほど酒を浴びるか、気絶するように寝落ちるかしかない。

弱みを外に出せないという弱さがある。誰かを前にすると強い自分を前に出してしまう。そういうことあるよね。何かに甘えるのが極端に下手で苦手で、必要以上に虚栄を張る必要があって、人によってはそれが「プライドが高い」と思ったり「真面目だ」と思うのかもしれないけど、ぜんぜん違くて弱すぎるのだ。ただ弱い面を見せることで人が離れていったという実績があるので見せられないというただそれだけなんである。

人を信用する勇気が欲しい。信用するというのは自信がないとだめで、僕は弱いから最後に裏切られるという予防線により心の安寧を謀っている。
書いていて、より自分が弱すぎる人間だと思った。
自信がないので相手の挙動の一つ一つを察して失敗の関係性を避けてきたのかもしれない。何一つ強くは出られない。話を聞くくらいしかできないから話を聞いていて、僕の話に興味がある人なんていないって思ってしまうから、僕の話をするのは本当に苦手です。(こう言った文章に残すのは自分の身体から切り離す行為なので問題ない)。

もっと適当に生きられれば楽なんだろうし、そういう人に憧れる。ここ数年本当にうまくいっていない。どこで何のおみくじを引いても凶を引き続けている。もう自力で立ち上がるのは不可能なのか。誰か僕を救い出してくれるのか。これを読んでる君?それとも通り過ぎたあの人?(他人任せの時点で終わっている)(ちゃんと自力で立ち上がりなさい)(見逃している幸せがきっとあるはず)

もはや幸せが何だったのか忘れた。その日を生きられたから幸せだってみんな言ってるけど、そんなの無理だよ。死んだ人と比較して生きていて良かったねでは幸福を味わえないほど汚れてしまっている。良くない。のはわかっている。だけど、死んだように生きるのが楽になってしまっている、生きる糧がない。

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