見出し画像

評価軸を他人に設定しない

僕の場合自己肯定感のゆらぎは著しく不安定で,これは良くないことである.一方友人の自己肯定感は半端なく,考え方のヒントになったのでまとめておこうと思った.

自己肯定感が低くなるタイミングは2種類あると思っていて,一つは「自分の掲げた理想と現状のギャップによるもの」で,もう一つは「他人と自分のギャップによるもの」である.実はこれはどちらも同じことであって,今の僕の中では改善策も一つに絞られている.それは何かというと,「自分という存在を【きちんと】認める」ということだ.

これはどういうことかというと,自分を好きになれ,というのとは違う.自分というありのままの存在をしっかり見てあげるということだ.おそらく嫌な部分が目立って現実逃避してしまう.僕もそうで,自分のできていないところを,他人のできているところと比較して落ち込む.でもこれは自分のことを全く見てあげられていない,という事に気づいた.

友人は自信のある理由に,自分のできることをたくさん挙げていた.「これもできる,あれもできる,あれもこれもできる」といったように.実際自分に立ち返ってみると,意外と僕にも出来ていることはあることに気づいた.ギター弾ける,ピアノが弾ける,歌が歌える,曲が作れる,詩がかける,料理できる,仕事もきちんとしてる,ツイキャスちゃんとやってる(これは好きでやってる),気が配れるetc...

自己肯定感が低いタイミングでは,自分がやってきたことややれてきたことを全く見ないで,出来ないことばかりに目線を向けているように感じた.少なくとも僕はそうだった.

ただ,上のできることに関して,こう考えてはだめだ,というのがある.
それが,「誰々より〇〇ができる」と考えることだ.

「誰々より」と比較対象を持って自分のできることを認めてしまうと,それよりできる他の誰かを知ったときにだめになってしまう.誰かと比較して自分のできることを認めるのは,自分を「きちんと」認めたことにはならない.もう少しそれっぽい言葉を使うならば「相対認知」か「絶対認知」かってところだと思う.極論,世界に自分以外誰もいなくなったとしても,自分のできることとしてそれを認められるのであれば,それは絶対認知であると言えると想っている.

絶対認知であれば他人がどうであれどうにか持ち直す事ができる.「自分はこれができるから価値がある」と自分自身で思えたとき,自己肯定感は若干増加させることができる,と思っている.

でもここまで書いてだけど,実際僕もそううまくは行かなくて,やっぱり他人と比較してしまったりするし,これはもう性格の問題でもあるから「はい!考え方変えました,明日から無敵です」といったような話ではない.

だから僕は今も少しずつ自分のできること,出来ていることを日々自分に認めさせるよう反芻している.他人を評価軸に設定しないことが,自己肯定感を上げる一つの方法だと思う.

よろしければサポートお願い致します.創作活動は完全自主制作のため,こういった優しさは本当に嬉しいですし,これによって長く続けられます.いただいたサポートは作品作りに活用いたします.よろしくおねがいいたします.