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記憶や感情を売る

もうこの身体には何もない、いや元より何もなかったのかもしれない、触れたら壊れてしまいそうな、脆い皮の中身は、かつて僕だったものがカランと音を立てていただけだった、なぜここに座り続けているのか、何を待っているのか、どうやっても思い出せない、無気力に天に一つだけ輝いている星にいつかなりたい。

ここにくるまでに様々な街を通り過ぎてきた。そこには、怒ったり、笑ったり、泣いたり、喜びあったり、殴り合ったり、騙しあったり、裏切ったり、お互いを傷つけあう人たちで賑わっていた。私は彼らに一つずつ物を売りつけ、代わりにその感情を受け取った。感情を失くした街はとても平和になった。たくさんの感情を得て疲れ切った私はとうとうこの感情を全て売り払ってしまった。とても身軽になったこととは裏腹に、私は私がわからなくなってしまった。この心の重さこそが私だと気づいた時には遅かった。かつて馬鹿にして笑っていた彼らと私は結局同じだったのだ。もう私に残っているのは、ここで座っているということだけだ。これが何になるのかはわからない。ただ遠い昔の私にとって大切なことだった気がするんだ。もう足は一歩も動かない、太陽と月は出たり入ったりして行って、数を数えるのも諦めた。壊れた私を私だとわかってくれるのかな。

そういって彼は誰かの道標になったのだった。



その星は意図せず,いつの間にか人々に頼られる位置を変えられない絶対的な物となってしまった.輝きは変えず,永い間の生命の生き死にを見続けてきた.醜い争いや嘆き,愛し合うこと,憎み合うこと,全部見てきた.もう憤りも忘れてただ見続けるだけの観測者だった.何事にも干渉せずただそこに居続けた.それが意味になるのだ,と悟った.一方的に輝き続けるそれは,ときに愛憎の対象だった.永く居続ければ,ときに私は愛の対象だった.私より輝く宝石を授けるものも居た.でも私は動かない.そして私を愛した者はいつの間にか私を憎の対象とし矢を放った.毎日一本ずつ矢を放った.届くはずもないと彼もわかっていたはずだ.それでも矢を放ち続けた.それは愛だった.私は仕方なく輝き続けた.見失うすべての人を見失わないように輝き続けるだけだった.やがて一人の青年が私の元に歩いてきた.彼は私の下に一脚の椅子を置き,そこにどっさりと座った.「さあさあ皆さんよっておいで.」彼は私の下で商売を始めたのだ.彼の背負ってきたモノ全部は私の輝きに見劣らないとても素敵なものだった.だから,その売り物はものすごい量があったのにも関わらず一瞬で無くなってしまった.

例えば遠くの王国の暴虐の王様が買いに来た.「私にその黄色のをくれ」と.「それならば,あなたの王冠と交換いたしましょう.」「王冠と交換だと.これは私の威厳を称える大切なものだ.決して渡すことはできない.金ならいくらでもある.だがこれだけは渡せない.」「大丈夫ですよ.きっとこの黄色はあなたのこれからを彩るのです.あなたはこれを手に入れることで王冠なんて必要なくなるくらい民に慕われるでしょう.」王様はその黄色に目を奪われていたので,渋々王冠と交換した.聞いた話だけど,その王様は今まででは信じられないくらい優しい王様になって,民に慕われたんだって.なんでだろうね.

例えばどこかの街の少年が買いに来た.「僕にその青いのを売ってくれ.金は貯めてきたんだ.」腰に下げた革袋を渡してきた.全然足りないぞ.「そうですね.そしたらあなたとはその仮面と交換しましょう.」「仮面?」「そうです.あなたは今まで多くの嘘をついてきました.その仮面の中で笑っても何も得られません.だから彼女を泣かせたのに気づけなかった.そうでしょう?」「うっ...」「大丈夫.その仮面が無くてもあなたは笑えるし,あなたはこれを手に入れることでその娘と仲直りすることができますよ!」「余計なお世話だ!でももらうよ!」その少年は彼から青色をばっと奪うと仮面を投げ捨て走り去った.後で聞いた話だけど,とある街で人の悲しみを一緒に悲しんで,泣くことができる人の話を聞いたなぁ.

そうやって彼は来る色んな人達にそれぞれの商品を売りさばいた.そして彼の周りには輝きと引き換えたモノばかり残ってしまった.

「どれも僕の表すものではないなぁ.どれがあっても僕ではない.全部僕ではないものだ.これでは誰も僕だとわからないね.商人としての僕の前に,僕としての僕,をこの世界に残すことはもうできないな.」そう呟くと彼は椅子に座ってゆっくりと寝てしまった.

何千年,何億年,彼はその椅子に座ったまま居続けた.

もう彼ではない何かになってしまって,それでも座り続けた.

私はもう一人ぼっちだったけれど,私の下の彼もなんだかんだずっといるから,いつのまにか二人ぼっちだった.彼はその永い間色々と形を変えた.私はずっとこの姿だった.

彼がかつてどんな姿をしていたか,覚えている人はいないのだ.私以外.なんか,私と彼の二人だけの秘密みたいで,少し嬉しくなってしまった.けれど,彼はなにかを待ち続けているのだ.私と彼は全く別の生き物.だから,「なにか」が来るまでの間だけ,私はその秘密を大切に抱きかかえて,今日も変わらず輝き続けるのだった.

「私だけが覚えているのだ.」

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