苦しみを知らない人の言葉は軽い

「努力しろ」とか「行動しろ」とか言われるたびに思う。お前には、頑張ってもどうにもならなかった人の苦しみなんてわからないのだろうって。

報われない努力は、努力そのものを否定されるんです。就活をまだしていた時、親に「本当に就活をしているの?」と疑問を持たれたけれど、一々報告するのは面倒くさいし、落ちたことを言うのはつらい。

高校球児の中には、プロを目指している人もいるだろうけれど、夢をかなえられるのはほんの一握りの人だけ。多くの人の夢はかなわない。でもかなえられなかった人が努力しなかったわけではないはず。オリンピックだってそうで、努力しなかったから出場できなかったり、メダルを取れなかったわけではないはず。

スポーツ選手の場合、外から努力が見えるからいいのかもしれない。でも見えない努力だってあるし、多くの人は努力自体を見てもらえない。

自分の努力が十分かどうかはわからない。でも自分のできる範囲で頑張ったことは事実。それが不十分だという判断もしてもいい。でもできないことを求められても困る。言われたところで、頑張れるようになるわけではない。

出来る範囲で精いっぱいやったのに、あと何をどう頑張ればいいのか。
無駄に疲れて心はすり減っていく。

頑張ってもどうにもならない経験ばかりすると『学習性無力感』にさいなまれます。簡単に言えば、頑張っても意味がないことを学び頑張らなくなる、というもの。

今の僕で言えば、年齢的にも体力的にも仕事に応募すること自体が難しくなっている。就活のサポートをお願いしたサポステにも裏切られた。サポステとの問題をどうにかしてほしいのに、引きこもり支援団体に相談メールを送っても一通も返答がない。

頑張ってもどうにもならない現実があるんです。

そんな状況で、「努力しろ」とか「行動しろ」とか・・・

何も響かないよ。

虚無感しかなくて死にたい気持ちになるだけ。



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