ニートひきこもりに変わることばかり求める社会に疲れた

サポステ(若者サポートステーション)に相談していた時によく言われたのが、「散歩してみたら」「朝早く起きてみたら」みたいに、自分の方に行動を求める事。

そもそも何の気力もなくなってしまったのは、自分のせいではない。仕事する気がまだ合ったのに、新卒ではないからと既卒になったら応募機会から排除されたり、地元の就職支援事業にも卒業年度の制限で応募し自体出来なくなったりで、社会から必要されない現実にいくらやる気があっても無駄だと分かったから。

でも、相談しに行くと、気力を出すことを求められる。そのために自分を変えることを求められる。

何で?
ニートひきこもりの原因になった社会環境をどうして変えないの?
なぜニートひきこもりの側だけに変わることを求めるの?

サポステの人からは「社会に合わせようとしたら疲れる」「自分を変える必要ない」とも言われていたんだけど、自分が全くやろうと思わない「散歩」や「早起き」を求めるのは、「お前が変われ」と言っているのと同じ。

僕は自分を変えるつもりはないんだよ。変えるだけのメリットがないんだよ。変えなきゃいけないくらいなら死にたいんだよ。

我慢してまで生きる理由なんてない。

自分が社会と合わないのなら消えたい。

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