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【雑談】イカさんの写真をトップ画にした意図からどんどん離れていく本文

 風邪を引いた。と思ったけどそれは病院行ったらなんとかなって、とりあえず花粉症で死んでるんですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。かくいう俺はくしゃみ鼻水が出まくってます。鼻をかみすぎて、絶賛鼻の下が乾燥してカピカピになるあれなうです。耳鼻科でもらった薬が効かなすぎてリアルに涙目。
 ノートの下書きが20こ(本?)以上溜まってるのに新規で書いてる場合じゃないっちゃあないんですが、たまには身ひとつで書きたいなー、みたいな。身ひとつってのも妙な表現ですけれども、調べ物や写真、写真の編集(写り込んだ人にモザイクかけたり)が必要なネタが積み重なって虚無になってるので、適当に適当なことを書き連ねる回をやりたいと思います。でもべつにそこまで気負って書くべきことでもないので(今のところ書く内容が1ミリも思い浮かんでない顔)、まあそんな感じで読み流していただければ幸いです。

 最近いろいろ影響を受けたのもあったりなかったりして、自分のやりたいことはどんどん言っていこう、みたいなノリで生きるようになりつつあって、やりたいことは言ってくキャンペーン実施中です。だって、なにかをしたいと思うのは自由だし。
 そうこれいつも思うんすけど、なにかをしたいと言ったときに、「でも〜」「現実的には〜」みたいな感じで潰しにかかってくる人いるじゃないっすか?ああいうの、ほんまクソやと思う笑。「する」じゃなくて「したい」だから内面の問題だし(外部世界に一切影響がないのにとやかく言われる筋合いなんてねぇ的な意味で)、もしも人の夢とか希望とかポジティブな話が聞きたくないだけなら内容を否定する前にそう言えばいいだけの話だし、そもそもお前は全知全能なのか?っていう。人生なにが起こるかわからんね、みたいな、未来の不確定性とか視野に入れて言ってんのか?神様気取りか?あん?
 とか何とか言ってますが、特定の個人は想定していないと申しますか、嫌なことがあったから言ってる、とかではないです。まじで。そして、自分が放任主義っぽい親に育てられたからってのもあるんでしょうけど、なにをどう選択しようが結局その人の人生はその人のものでしかないと思うというか。責任はその人しか取れないわけだから、犯罪だったり周囲に実害があること以外で否定したってしょうがないと思ってます。っていうか、犯罪でもない限り、人間の持つ、あれがしたいこれがしたいというエネルギーは潰すべきではないというのが個人的な考えです。
 以下に引用する記事みたいなこと、なにに関しても言えると思うんですよね。

 「俳優になりたい」という思いは強烈なんだなあ。どんなに親が反対しても、その思いはずっと心の奥深くで燃え続けているんだなあ。
 もっとも、その強さの半分は、親が作ったと言っていいと思います。よく言われるように、私達は、やったことより、やらなかったことを強く後悔します。彼女達が、親に反対されず、ほんの数年、俳優を目指し、そしてその可能性の低さに驚き、怯え、諦めれば、俳優への思いはあっさりと消えていったかもしれません。
 でも、親はそのトライアルの可能性さえ、潰したのです。だからこそ、心の奥底で俳優への思いが燃え続けたのです。
 ちょうど、恋愛を禁止するからこそ、燃え上がる関係と同じですね。反対せず、成り行きにまかせてみれば、子供は相手に呆れ、見限り、半年ぐらいで恋愛を終わらせていたかもしれません。

 もっとも、この記事は以下のような流れになっていくので、どんな職業も目指して頑張り続けた先に生きる道がある、とは言えないのでしょうが。

 なにせ演技は、人間相手の共同作業なので、引きこもったり心を閉じている場合ではないのです。とにかく、相手役の俳優と話し合い、監督や演出家とぶつかり、指示を受け、スタッフとコミュニケイションしながら、役創りと作品創りを続けるしかないのです。まさに、コミュニケイションのスキルが明確に上達するメディアなのです。
 結果として、こじれた人間関係の中でちゃんと働ける優秀な人材になります。
 ここで比較に出して申し訳ないですが、プロの小説家を目指して10年書き続けてきたとか、美術で生計を立てるために長年絵を描いてきたとか、ずっと楽器の練習をしてきた、という人達に比べて、放り込まれた人間関係の嵐のレベルが違うのです。
 そうやって演技を続けてきた人が、どれだけ働き手として求められるか、現場の人ならよく分かると思います。座学だけを続けてきたインテリよりも、現場では何十倍も人間力を発揮するのです。

 これねー。クラシックバレエをやってても師弟関係もあるしそれなりにいろいろと気も遣いはするんですが、役者さんはすごいっすよね、本当に。舞台を中心にやってらっしゃる役者さんたちと年に数回ご一緒させていただくことがあるんですが、飲み会での気の遣い方とか見てるとほんとえげつないっつーか、コミュ力半端ねぇ、とは思います
 とはいえ難しいのが、気遣いやコミュ力ありきな空間もどうなんだろうね、という話で。もちろん気は遣えるに越したことはないんですが、そういうのが当たり前になってるとパワハラも起きかねないし、「空気を読む」ことのできる人しか評価されないとなると俺含めある種の人々が死滅するしかないという。まあ、その「空気を読む」ことが仕事になっててそれに対して報酬が出ている、とかなら淘汰されても構わないんですが。
 ちなみにこれは意見が分かれるところかなと思うんですが、個人的には、自分のことを自分でやるスタイルのほうが落ち着きます。後輩に友人が多いんですが、先輩だからどうのこうのされると逆にこっちが気を遣うというか、正直しんどい。全額OB持ち、とかだったら気遣いしておいたほうがラク、みたいなところはあるけど、大学の先生だろうが何だろうが、割り勘だったら基本的に自分のことは自分でやればいいと思います。
 あとそう、これは妹がいるからなのかなと思うんですが、気遣いにしても何にしても「女性だから〜」みたいなやつはNGお前そんなこと言って殺されないとでも思ってんの?って気分になってくるので、男尊女卑が苦手すぎるというか、昨今の炎上を見てても不思議というか。女性だからという理由でどうのこうのがあるとめちゃくちゃ家で愚痴ってるんだからな、曖昧に微笑んで流してもらえたからって言っても平気だと解釈してんじゃねぇぞ、って話。我が家の場合妹が強すぎるからこう思うのかもしれませんが....。

 とまあ、余談はともかくとして。話を戻したいんですが、あれやりたいっていうエネルギーの話。上手く言えないんですが、潰すんじゃなくて、循環させたほうがいいと思うというか。そんな感じしません?
 人間口に出して言ってみたらやっぱ違った、ということもあるので、一旦口に出しただけで満足できればそれもよし、行動してみて違うと思ったらそれもよし、何年も続けてみて納得がいけばそれもよし。
 そもそもがアレな人間ってのもあるけど、自分自身としては、とにかくエネルギーを溜め込まないように、ってのは気を付けてます。本当はああしたかったのにって類のエネルギー、肥大化すると厄介というか、どんどん現実から離れていってしまう。できるようにならないようなことまで、できたはずなのに、となりかねない。
 そうならないためには、とりあえず現実を見る必要があるし、その方法はやってみる、しかなくなる。他人からお前にはできないと言われるより、実際にやってみて自分にはできないと悟ることのほうがずっと「現実的」だと思いませんか。頭のなかのことじゃなくて、否定しようのない現実を目の当たりにするほうが強烈でわかりやすいと思いませんか。

 はい。眠い。いろいろあって昼夜逆転がなおりつつあるので、眠い。おそらくみなさんご存知ないかと思いますが、今回のテーマは「まあいいか(イカ)」です。適当にいこうぜってやつです。マーイーカというポケモンを紹介しようと思ってたけど、そういう文章にはなりませんでした

 それにしても、ちょっと前にやりたいことリスト的なものを作ったんですが、案外あるもんなんすね。ああいうの。自分はもっとこう淡白なゆとりだと思ってたんで、存外に欲深くて驚き桃の木山椒の木でした。とりあえず長生きしたいとは1ミクロンも思わないんですが、長くないにしても人生が終わるとき、本当はあれがやりたかったのに、とかわりとまじで死んでも思いたくないんで、でも現実的に考えたら...みたいなことを言い出す第三者的なあれを脳内に召喚せずにやっていくぞっていう意志みたいなものを持ちました(自我が芽生えた音)。
 そして、後悔したくない的なことも言いましたけれども、未来をはじめとする今・ここ以外を起点にする癖もやめたいなぁとか。確実なのは今だけで、記憶だっていい加減だったりするのに振り回されすぎっしょ、っていう。確実だと思いたい今も、解釈次第でいかようにでもなったりする。だとするなら、今の解釈を武器に、行動をたくさん積み重ねていけば、進んだ先もどうにかなってるんじゃないんですかねぇ。ちょっともうよくわかんねぇや(適当)
 不登校の経験について書いたこともあるけど、正直自分みたいな人間は高卒フリーターが関の山だろうと思っていた(現状大卒ニートだけど)というか、大学で勉強できると思ってなかったし、先生たちに恵まれ、友人たちに恵まれ、ゼミ同期にも恵まれ、こんな恵まれてええん!?って感じだったので、この、人生のおまけ〜奇跡スペシャル〜を今後どれくらい巻き起こせるかが課題(たぶん)。いやーもう、絶対20歳までに自殺すると思ってたし、そういう前提でペース配分してたから(ニートであることにわりと肯定的な理由がまさにこれ。頑張り尽くしちゃったんだからしょうがなくないか?っていう)、生きてることが想定外っちゅーか、聞いてへん!事態やというか、困るっちゅーか、死後の世界なうだと思ってやりたいことをやってみるくらいしか選択肢がないというか。

(@現場 こじつけさん入りまーす!)
 それもこれも、何にしても、まあいいかって話です。もうね、人生なんてなるようにしかならない(突然の諦め)。とてもじゃないけどコントロールなんてできないし、自分の手には負えない。自分は自分だけど、自分の人生はまじで他人うちの犬と同じくらい思い通りにならないし、他者は他者で尊重するしかないね、って。そう思うので、どうにもならん奴を尊重しながら、適当に生きていこうと思います。死ぬまで生きる他ないんで。

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