【コラム】意地でもクレームはつけたくない派だったりする話【なぜか結論はモー娘。】
昨今、というか案外いつの時代もいる気がしないでもないクレーマー。人様がどこに文句をつけようがつけまいがあまり興味はないんですが(対応する人は大変だなぁと思いはする)、そこまで性格の良くない自分としては、どちらかというと感心しているかもしれません。
基本的に、クレームはつけない。基本的に、というのは、返品や返金がないと困る場合だったり、よっぽど気に入ったお店だったら最低限言うべきことを言うこともある、という程度。だって、クレームをつけなきゃいけないような店には二度と行きたくないから。二度と行かなきゃいい、二度とそこにお金を使わなきゃいい、と思っている。
たぶん、根に持つタイプなんだろう。絶対に許せないと思ったらなにをどうしようと絶対に許せないから、文句を言うなんて無駄なことはせずに、ただただ利用しない。むしろ、下手になにか言ってしまって企業努力とかされたら困る。淘汰されていってほしいから、なにも言わない。
そんなわけで、ときどき考える。(度を超えた)クレームをつける人の目的は何なのだろう、と。ゴネて何らかの物理的経済的利益を得たい、というのが今のところ一番納得のいく答え。他人に怒るのって疲れるし、色々時間も使うわけだし、そういう労力を払ってでも得られる利益が大きいのかは知らんが。
次に考えるのが、まあ、たまには理不尽に怒りたくなるよね、という理由。八つ当たりなんてするもんじゃないし、ネガティブな感情にネガティブなものを塗り重ねてしあわせになれるとも思わないけど、そうは言っても人間って、ねぇ?
いやいや、理由があれば他人に攻撃的になることが正当化されるとは言いませんよ。言いませんけど、問題行動を起こす人にしろいわゆる犯罪者にしろ、現実に存在している人々のことを否定してもしょうがない、というのが個人的な考えでして(だってそれはすでに存在しているから)。理解しちゃいけないロジックもあるかもしれないけれども、叩くよりももっと理性的なことができるんじゃないかな、と思っている。
そして度を超えたクレームはともかくとしても、なにか事件が起こる度に考えるのは、いくら犯人を非難して、その家族までバッシングし追い込んだところで、それ以降世の中が平和になって一切なにも起こらなくなった、なんてことはない。当事者でもない人間が一時的な気持ちでどうこう言いたくなるのもわからんでもないが、建設的でないのは確か(当事者だったらね、いつまででも納得できるまで感情を吐き出せばいいんですよ)。社会問題全般、切り捨てるような理論は通用しないんだろうと思う。素敵なオ◯ニーにはなっても、解決にはならない。
そんなようなことをふわっと考えていたけれども眠いね!眠い。
愛されたい!愛されたい!
これがすべてを表現しているような気がしている。愛されたいけど愛されないからクレームをつけることに必死になって、愛されたいけどそういう気持ちを自分で認めることすらできないぶきっちょさんだから粘着してバッシングしてる。幸せて満たされている人間は(サイコパスやソシオパスなどのごく一部を除いて)、余計なことはいたしませんよ。
そんなわけで、クレームをつけてしまいそうなストレスの溜ってらっしゃる方には『わがまま 気のまま 愛のジョーク』がおススメ。「愛されたい!」「愛されたい!」って、叫ぶと元気でます👍
[2017.12.15→編]
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?