見出し画像

人って、サイコロの目みたいに、いっぱい顔があってもいい。

まあしかし、私自身、ホントいろんなこと、あれこれ書いてるよね笑。
ピアノだの、車だの、旅行だの、スポーツだの、ねこちゃんだの笑。
本当に一人の人間が書いてるのか、って思われてるかもね。
気が多いというか、飽きっぽいというか・・・

これって、他人からは、どう見えてるのかなぁ?
いや、私はもちろんこんな自分でいいんだけど。
でも世の中には、「もう一人の自分」がいる、ってことで、苦しんでる人もいるみたい。

てなことで、今回は、「人の持つ多面性」ってことを切り口に、書いてみよう。


さて本題。

そもそも私、「多重人格」って言葉が、いまだに、どうも理解できない。
よくあるよね、みんながなんとなく使ってる割に、「?」って言葉。
例えば、「運動神経」とかね。そんな神経、どこにあるねんって。
ま、今回はその話じゃないからそれは置いといて。

ごちゃついちゃう前に、まずは結論!

人格なんて、誰だってそもそも、多面性があるんじゃない?

身近な例でも、「ネコをかぶる」とか「目上の人の前で態度を変える」とか、あるでしょ。
あれだって、その一端みたいなもんじゃないかな。
もちろん人格の表徴の一部であり、本体というか全貌そのものではないけど。


もちろん大前提はある。

社会的に、人に迷惑をかけなければ、いいよ。

っていう大前提がね。
まあそれは言うまでもないけど。

その上で、も一回言うと、

人格が多面的なことそれ自体は、決して異常なんかじゃないよ。

もっと言えば、多面的な人格を自覚しつつ、しかも社会生活でそれをコントロールできるようじゃなきゃ、まともな社会生活なんかできないよ、ってこと。
しかもそれ、誰でももうすでに、やってることだから。無意識にね。


人って、「意外な側面」なんて、誰だってあると思う。
でもさ、それさっきも書いた通り、社会的に、誰かにとっての損失とか恐怖とか迷惑にならないものであれば、いいんじゃないかな。繰り返しになるけど。
むしろ、そういうものが、別の、価値を生み出す場合だってある。
これからの時代はね。

「煩悩」は、イコール「菩提」だよ、って概念があるんだ。
難しい言葉なので、興味のある人は、まあ調べてね。
まあ難しいことはさておき。
要は、やさしく言えば。

「短所の裏返しは長所」ってこと。

いい面も悪い面も、表裏一体なんだよ、ってこと。

むしろ、これからの時代は、
そう言う人間の多面性みたいなものが、ますます生きる。
新たな価値として発見されたり、表現されたりしてくる時代になるんじゃないかな。
snsも発達したことだしね。
何が生かされてくるかなんて、ホントわからないよ。

それだって、出発点は、どこまでも人間自体だからね。

いくらAIがどうだとか言われても。時代がどう変わっても、ね。
結局、

人間とか人格って、いまだ正体や全貌のわからない、いつまでたっても、解明不能な、永遠に不可思議なもの。
その新たな側面が、さらに再発見されたり、掘り下げられたりすること。

これから未来も、人間の探究していくべき究極、永遠の課題って、
実は、そこらへんになってくるんじゃないかな。

人間って、自分たち自身のことを、わかり尽くしているつもりでも、実は、全然分かってなかったりするものだからね。もちろん私も含めて。
ま、いいさ。
未来の、後世の人たちが、それを証明してくれるよ。


人の多面性って。色に例えるとわかりやすい。

自分の抱えている顔の一つ一つを色に例えるならね。
極端にカラーが異なる人もいるかも。赤と青とか。
でも、多面って言ってる割には、お互いにてる人もいたりする。深緑と黄緑とかね。
黄緑でも色々あるでしょ、
アルコールマーカーの色番号みたいにさ、微妙に違うやつ、いっぱい。

他人からは、そんな色の違いなんて、見えないから。
その人を捉える時、1色で見ちゃいたいんだよ。

単純化したいんだよ。
あの人はこういう人だ、って。
1つの面だけで、見ちゃいたいんだ。

なぜかって?
その方が安心できるから。楽だから。
所詮は、他人だからね。
人間、そこまで他人のことなんて関心を持ってないし、分からないから。
だから、人は人同士を、潜在意識的に、警戒する。
人は人を「信じようともする」し、一方では「信じられない」から。
二者がせめぎ合ってるんだ。常に。

その時に、「わからない人」って要素が湧いた瞬間、色々起こるんだ。
わからないものを、人間は、異端視するんだよ。
差別とか、排除とか、迫害とかね。
都合のいい理由を並べてね。
実は理由なんて、あってないようなもの。

その根底には、理解できない異物への、本能的恐怖があるだけなんだ。

そう思うよ。


まあともあれ。
そういった、他人の評価なんて、どうすることもできないものなんだ。
こっちじゃ変えられないんだから。

だったら、この自分自身は、どうすりゃいいんだ。
答えはシンプルだ。
自分自身で度する、解決するしかない。

自分の多面性を、まず自らが認め、受容すべき。


というか、否応なしに抱えていかざるを得ないものだからね。
だって捨てようがないじゃん。自分の人格の一部なんだから。
どんな業の深きものでも、自己嫌悪するものであったとしてもね。

ただ、自分の人格が幾つあろうと、その主体は自分自身。自分自身が責任者。
そのコントロールは、自分自身がするしかない。

社会的に、人に迷惑をかけない、なんてのは、大前提。何度も言うけど。
それらの性分と折り合いをつけていく努力は、
生きてる限り永遠にし続けていかなくてはならない。

それを怠ったら、いつか他人への危害、損失、迷惑となるから。

でも、逆に言えばだよ。

そこさえ押さえとけば、あとはもっと自由に考えていいんじゃないかな?


まとめ。

まとまってないけど、まとめるね笑。いつものことだけど。
だから、

いっぱいの顔を持つ自分を、逆に全部、この人生で楽しみきっちゃった方がいいと思うよ。


人生の持ち時間なんて、限られてるんだからさ。

そうやってけば、
どれが居心地のいい自分の顔なんだろうって、人生経験とともに見つかるよ。
めんどくさい自分だって、じゃじゃ馬を手なづけるように要領もわかってくる。
押さえるところ押さえるとか。人に見せる見せないを使い分けるとか。
そんなウラオモテ、いくらだってあったっていいんだから。
いやむしろ、なくっちゃ困るよ。結局、自分が苦しむことになる。

目指すのは、「裏表のない人間になれ」どころじゃない。
真逆だよ。

「自分自身の裏表を、うまく手なづけろ」だよ。

そしてできれば、逆手にとってやるといい。
どんな自分も、のびのび、楽しんじゃうんだ。

自分のめんどくさい裏表なんて、逆に、利用してやればいい。
そのほうが、不自然さや虚飾がない。無理がない。しっくりくると思うけど。
どうだろう?

ま、私は楽しむよ。
というか、めっちゃ楽しんでるよ今、この人生を🎵。
ピアノのヘタッピな自分も。
気分屋の自分も。
夢追い人の自分も。
メンドクサイ自分も、不器用な自分も、なんと言われようとカンケーないの🎵。
人生、2度とないんだ。
才能だ、能力だ、環境だ、年齢だ・・・つべこべ言い訳してるヒマなんて損だよ。
今日も、楽しまなきゃ、今から!

2024.9.27

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?