エゴイストを読んで、複雑な感情が巡る40歳ゲイのこと(ネタバレあり)
小説「エゴイスト」を読むにあたり
高山 真さんが書いた小説「エゴイスト」 映画となりその感想や盛り上がりをTwitterでボーっと見ていた。きっといい小説、いい映画なのだろう、でも映画館に行くのは億劫だ。映画なんてすぐに何かで配信されるだろうからその時にでも見ればいいか。もしかしたら、海外に行くときの飛行機の中で見られるかもね。キャセイパシフィック航空は機内映画にLGBTQなんてカテゴリーを作っているぐらいだから。 しかし、二日酔いから目覚めた雨の土曜日、流し見していたyoutubeに、友達と行くバーのママ・おじょんさんの動画が流れた。その語りを聞いているうちに、電子書籍ならば家から出なくても、ベッドで横にながら読めるかなと購入。あっという間に3時間ほどで読み終わった。
涙が出る、止まらない
ストーリーのあらすじは割愛させていただき。おじょさんの動画でも、だれかの感想口コミでも、小説のその文章は、速読派の自分には読みづらいほどに丁寧で、細かく表現されていて、それでいて平易なわかりやすい言葉が多く、今、目の前で登場人物が動ているようなほどだった。ストーリーが転換していく節目節目ではページをめくっては涙があふれ出てきた。主人公の浩輔と龍太が付き合うシーン、龍太が亡くなるシーン、そして、何よりも号泣したのは、二人はただの仕事上の知り合いと聞かされていた龍太の母が二人の本当の関係を知っていたこと。どうしても知られたくない、でも知ってほしい、ゲイと親の関係が、とうとう本人が死んだあとに残された人間だけで判明する。その悔しさやぶつけようのない虚しさに、嗚咽してしまった。
恋愛映画でも家族映画でもない。1人のゲイの生き方を問う話だった。
主人公の浩輔は、龍太と出会う前。生きづらい田舎を出るため、勉強という剣を磨き、大学に進学し、東京で就職した。地位を得て、ブランドの服という鎧をまとって田舎に帰り、やっと思春期時代の同級生に「勝つ」ことができた。文中ではその同級生が羨望の眼差しを投げたかのように書いているが、実際はそんなことも思っていないかもしれないし、気にも留めてない可能性もある。それよりも自分に勝ちたかった、こんなに幸せに生きていられるんだと。
昼は伊勢丹で買い物、夜は新宿やそこからさほど遠くないエリアの人気店でディナー、その後2丁目で朝まで飲み歩く。恋愛もそこそこに20代でゲイライフを謳歌していたが、龍太と出会う頃が文中の記載をそのまま計算するならば32歳。何か物足りない。それを変えてくれたのが龍太であり、龍太の母だった。でも、愛し方がわからない。伊勢丹でブランド服を買うように、お金を渡していった。しかし、その2人も自分の前からいなくなってしまう。そのあと、ありもしない天国に行くその日までどう生きて、過ごしていけばいいのか。
「お金」という愛、誇り
ここで自分の話。世代は作者と10年ほど違うが、自分が20代のころ、似たような、でも違う状況で生きていたのを思い出し、浩輔に自分を投影する。スマホが無かったあの頃、世界は新宿が中心に見えていた。新宿からわずか3駅ぐらいのエリアに一人暮らしをして、休みの日は新宿や勿論、伊勢丹で買い物をしていた。そこまでお金があるわけではなかったし、2丁目にもいつも行っていた訳ではないが、友人も増え、楽しいことが多かった。30歳ごろに転勤があり、また東京には戻ってくるのだが、以前のような過ごし方ができず、実家に戻り、東京に通勤していた。そこから仕事が上向いてきた。実家にいるので金銭的にも余裕ができてくる。そんな中、彼氏ができた。彼氏は心根の優しい人で、人に道を譲って生きていた。反して、自分は自分と少ない家族のためだけに生き、他人は敵と思ってきたから(今もだけど…)、人を愛する愛し方がわからない。自分のできる愛は「お金」だった。約4年続いた関係の終わりも、結局は「お金」だったと思う。「お金」でつなぎとめることができると思ってしまった。エゴイストでも文中に誇りという表現があるが、浩輔が龍太に施しを与えたとき、龍太の誇りが失してしまったんだと思う。
人と比べてでしか幸福感のないマウンティングというエゴ
書籍名の「エゴイスト」、エゴとは。愛とは。を多くの人が話題にしているし、色んな解釈があるんだなと拝読する。本当の意味なんて、作者しかわからないので、自分の解釈をここに残したい。エゴは、作者の感じたマウンティングなんだろう。自分より年下で、世間知らずで、収入が低く、八王子の手前ぐらいの場所にも関わらず車も持たず、病気の母親と小さなアパートに住み、風俗業をしている。だから買い与えた。これは自分のわがままだから、というセリフがあったが本当にそうだと思う。わがままだけど、気持ちいい。だからやってしまう。
しかし、それは小説を読みながら、自分がしてきたことを言われているようで、中古車まで買ったときには「もう勘弁してください」と言いたくなった。その行為を龍太親子は喜んでくれた。でも、彼らもそれで何かを失っていった。これで相手も喜ぶだろうという愛、あなた方には難しいが私なら容易いというマウンティング。それを社会はなんと表現できるのだろうか。感度の高い作者だから、気づいてしまったのではないだろうか。自分の中にあった醜くて、気持ちの悪い、でもそれこそが人間らしい一部。
40歳、この先の生き方を考えさせられる
彼氏と別れ(エゴイストと順序は逆だが)10㎏近くのダイエットに成功し、30代のほとんどを過ごし役職まで付いた会社を辞め、夢だった飛行機のファーストクラスに乗って海外を旅した。最高の気分だった。
しかし、それで終わってしまった。
まだまだ上を目指そうと思えば、目指せる。
自分の貯金額と資産は平均よりは多いかもしれない。これでもマウンティングはできる。しかも、もっと増やせるだろうし、そのやり方だってがむしゃらに働くとか、資産運用を勉強するとかあるのだろう。しかし、その「お金」でこれ以上、何が満たされるのだろうか。幸福を感じることができるのだろうか。
愛する人はもう目の前にはいない。
(風の便りでは元気に生きているようだから安心)
幸運にも実母はまだ元気な方ではあるが、死を静かに待っている。母にしてあげたいこともあったが、コロナのせいもあったのか出不精に拍車がかかり、食べたいものも、行きたいところもないと言う。
作者の高山真さんは50歳で亡くなったそうだ。自叙伝とも言われるこの小説、作者は二人を見送った後、どう過ごしたのだろうか。ブログを見つけたので少し読んだ。ブログ中にもフォアグラの下りの記載がそのままあったので、きっと龍太(と思われる最愛の人)を亡くしたのは事実だろう。
自分は向こう10年、いや家族・親族にガンなどの遺伝がない、おそらく体が元気でそこそこに長生きできそうな自分はどう生きていけばよいのか。自分の生き方を考えさせられる、そんな本だった。もう一度、ゆっくり一言一言に思いを巡らせて読んでみたい。近い内に映画を見て、また、投稿したい。
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