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【仕事・マネジメント】なぜ「やれ」と言われた事がなされないのか

ある意味上司命令でやれといわれているのにやらない強靱なマインドに尊敬…

一向になされない施策

年度の当初、そこそこ上層の方(仮にAさん)が「今年度は〇〇していきますよ」という宣言をしていました。それから半年がすぎ、もうすぐ12月になろうという時期ですが、その〇〇していくと言っていたことはまだなされていません。

こういう偉い人がやるよーって言ってたことを他の大半の人は忘れていても、私は憶えているタイプで、ああまた口だけかと思っていました。こういうことはみんな諦めている感じがあるので、誰も咎めたり意見したりせず、結局うやむやになるのがいつものパターンです。

とはいえ、私みたいなあまり性格が良くない(笑)人間だとちょっと嫌みくさく言いたくなります。かといってそこまでダイレクトには言ったりしないので(いちおうサラリーマンとしてまきまえて)、雑談混じりに直属のマネジャーには「そういやAさんは〇〇やるって言ってたのに、どうなってるんですかねー」って聞いてみました。

どうやらうちのマネジャーいわく、その〇〇するという施策は今でも残っているそうですが、その実行の指示出しをAさんから別の方(Aさん配下の、仮にBさんとします)にされているそうですが、ずっと進まないそうです。
部門の定例で話題になっても、Aさんから〇〇どうなった?とBさんに聞くそうですが、なんかムニャムニャと誤魔化したり、的外れな話をして結局話が進まないそうです…

何故実行されないか?

直接その起きている場に私がいるわけではないのですが、私なりに何故実行されないのかを考えてみました。

そもそも理解されていない

その施策の〇〇は私は何故必要か?は理解できていますし、今どきの組織設計やマネジメントとしても必要なものです。その施策をすることで得られる価値やカイゼンは想像できるのですが、おそらく何故その〇〇という施策が必要なのか?それによってどういう効果を得られるのか?をそのBさんは理解していない可能性があります。理解していないので、他の抱えている仕事と比較して、優先度が落とされているように見えます。

自分にその課題意識がない

仮に理解していたとしても、その施策によって解決される課題や価値について、自分が切迫したものとして捉えてない可能性もあります。自分の課題になっていなければ当然その施策をやってもダイレクトに自分の組織やチームに得られるメリットはありません。

他の組織やチームに興味関心がない

その施策は部門全体で行われるものでしたが、おそらくBさんは他の組織やチームにメリットがあることや全体としてカイゼンしていくという意識が薄い可能性があります。上司にあたるAさんが〇〇という施策をやりたいと言ったのは、Aさん配下の組織ツリーで見たときに全体的に起きているという認識があるからこそ、やってほしいと言ったわけですが、Bさんにとって他の組織やチームには興味も関心もなく、それを何故自分がやらないといけないのか?という腹落ちや自己統合ができてないのではないかと思います。

そもそもその施策が必要なのか?

別の切り口で考えると、今年度になって9ヶ月以上放置されているのですが、それで大きな問題になってないのであれば、もしかするとAさんがやろうとしていた〇〇という施策自体が本当は必要無かった可能性もあります。

ただ、放置されたことで目には見えてないだけで、知らないところではジワジワと影響を出している可能性はないとは言えません。(私はこの一件だけでも、Aさん・Bさんともに実行力の弱さを感じ、帰属意識が薄れてしまったというのはありますけどね)AさんはBさんに指示は出してますが、9ヶ月放置している時点でAさん自身も真剣にはやる気がないように感じられます。

必要がない施策ならやらなくてよいと思います。本当にやるべきもので無いとわかったのであれば、言ったから必ずやらねばいけないものでもありません。
しかし、なんとなく止めるのではなく、止めるなら止める理由をしっかり説明すべきですし、そもそもやるべきか止めるべきかも議論されていないようなので、本来は仮説を立て、検証した結果、優先して〇〇という施策をやるのか?止めるのか?それとも別の施策をやるのか?をちゃんと対話して決めるプロセスを踏んでおくべきです。

やるのかやらないのかわからないままにし、それを放置しても問題視しない体制に非常に危うさを感じる毎日です。

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