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国会審議議事録 空港アクセス鉄道編 Part2

今回は、空港鉄道に関しての2日目になります。
関西新空港が昭和67年(平成4年)開港を目標にしていることに対し、アクセスとしては南海ならびに国鉄(当時は民営化の方針が示されていなかったため)に空港鉄道を建設させることについての議論がなされています。
  特に、新大阪から新幹線などは現実的ではないという至極今ではあたり前のことが真剣議論されていることに時代を感じます。
結果的には、成田の失敗(当時の成田空港は新幹線ありきで検討されていたため、京成が空港ビルの直下に入ることを拒否してきたという経緯があります。)現在、JR東日本と京成が乗り入れている成田駅は、新幹線が乗り入れるいことが計画されていたためでした。
そうした反省を踏まえて、南海と国鉄が空港鉄道をどのようにするのかという議論がなされたわけで、最終的にはりんくうタウン駅までは南海が自前で建設、JR西日本は、日根野からりんくうタウン駅までも、第Ⅲセクターでの建設を希望していたものの、後にりんくうタウン駅までの部分はJRが買い取ることとなりました。
当時の、空港鉄道に対する考え方など見ていただければと思っています。


○国務大臣(細田吉藏君) 成田の鉄道アクセスはもう大失敗だと、こう思います。それはおっしゃるとおりです。どうしてこうなったかということは、空港をつくるときに一緒に駅だけはつくっておかなきゃいかぬと、こういうことになった。それから当時の空気としては、東北、上越新幹線とともに成田新幹線と、三本の新幹線というんで新幹線ブームみたいな、すぐにでもできるような話だった。実際問題は、やってみると、用地の問題その他で新幹線が行き詰まってどうにもならなくなった。そこで、京成も中途半端になった、国鉄も中途半端になった、駅は宙に浮いた。――地下にあるというんだから宙に浮いたというのはおかしいけれども、地下にできて形骸をさらしている。こういう醜態をさらしておるんですね。
 私は、まあ過去のことは過去のことで、確かに失敗であった。というのは、新幹線の見通しについての誤りがあったということが一番大きいと思うんです。これができるように思ったところに大きな誤りがあったということだと思うんです。しかし、今一番大事なことは、鉄道のアクセスが悪いですからね、これをどうするかということについて基本方針がまだ決まっていないということなんです。これは基本方針を決めます、なるべく早く決めます。どういうふうにするということを決めたいと思っております。そのことは十分ひとつ私どもよく考えて、あの駅もどうしても利用しなきゃいけませんし、空港のすぐ近くヘアクセスをつくるという、つまり今の現状をもとにして近い将来にやれる方向をどうするかということを考えたい、かように思っております。

○安恒良一君 ぜひひとつ成田の大量輸送について、今の新幹線構想の問題なり、それから空港線の問題なり、それから京成自体も中途半端になっています。スカイライナーを走らせてもお客は余りないですよ。あんなところで途中でおりて、重たい荷物を持って下から上まで担ぎ上げて、それからまたバスに乗っていかなきゃならぬ、こんな中途半端なことをやったって全然だめですから、それらを含めて一遍大臣、成田の大量輸送をどうするかということについて早急に御検討し、結論を出してもらいたいと思います。
 そこで今度は関西の方に入っていきます、
 そういう状況の中でまず一つ一つ片づけていかなきゃならぬと思いますが、いわゆる鉄道では、この前のお答えでは、一つは南海電鉄、それから阪和線、そういうものが大量輸送機関としてある。それからこれも絵にかいたもちのようですが、新幹線構想ですね、いわゆる新大阪駅から。そんな話等もありますが、なかなかそうは簡単にはいかないだろうと思います。
 そこでとりあえず、まず鉄道についてお聞きしますが、空港と鉄道で結ぶ場合に、トンネル構想ですね、それから連絡橋構想、それから同じくそれをつくる場合の前島ですか、いろんなことが議事録を読んでも出ているんですが、最終的には連絡橋ということでほぼ固まっているというふうに考えていいんでしょうか。連絡橋でやるということ、そこをまず答えてください。

○安恒良一君 そうすると、この連絡橋は、既にもう同僚委員の質問にも答えているように、鉄道と自動車両方の併用の連絡橋だ、両方が通れる連絡橋をつくられる、これでいいですね。

○安恒良一君 そこでその場合に、これは六十七年度営業開始ということになっているわけですから、今から十年ないわけですね。十年ないわけですが、ここに南海電鉄が近くを走っている。阪和線が走っている。これはゲージは同じでありますから、いずれにしてもそこから空港へ鉄道を敷かなきゃなりませんね。連絡橋もつくらなきゃなりませんね。こういうものの経営形態は、どこがどうするんでしょうか。金はだれが出してやるんでしょうか。

○政府委員(山本長君) 空港計画としては、対岸の二本の鉄道を空港にぜひ乗り入れるという計画で進めてまいりたいと考えております。そこで、この空港に鉄道を乗り入れるということについては、相当な金がかかります。これについて、空港サイドといたしましては、第一義的には既存鉄道つまり南海鉄道、国鉄というところで連絡鉄道の敷設をやっていただきたい、こういうふうに考えておるところでございます。
 しかし、最近いろいろ調整を進めてまいっております過程におきまして、鉄道側におきましてもこの建設費の負担等につきまして、鉄道側のいろんな現在の財政上、経営上告しい問題があるというふうなことを承っておるところでございます。そこで、鉄道のこの敷設につきましては、地元の公共団体でございます大阪府、それから鉄道会社、それから本空港の主体でございます関西国際空港株式会社というものが出資し合った、いわゆる第三セクターという方式でもって鉄道の敷設を行い、その上をと申しますか、それぞれの鉄道会社が列車を走らせる。こういうふうなことにして、そしてその鉄道の運行に伴いましてそこで使用料というものを徴収しつつ、長期にわたってこの投下資本というものを第三セクターが回収をしていく、こういう構想が現実的ではないか、こういうふうな意見が出てまいりました。私たちといたしまして、やっぱり現実的な方向として可能な道を模索すべきだという考え方から、この第三セクター方式について検討しておるところでございまして、今後具体化について詰めてまいりたい、こういうふうに考えておる次第でございます。

○安恒良一君 そうするとあれですか、第三セクターをつくってまず連絡橋をつくる、そしてその上に鉄道も走らせるし道もつくる。こういうことで、その第三セクターの負担は、関西空港株式会
社と、それからそこを利用する南海電鉄、国鉄、それから、あとはあれですか、橋をかけるところの地元の市ですか、それとも大阪府を含めた地方公共団体全体ですか。そして大体そのお金はどのくらいかかるんでしょうか。
 それから工事の計画は、これはやっぱり、少なくとも六十七年にはでき上がるというのですから、それに向けてこれをちゃんと作業しなきゃいけませんね。でないと、空港だけはでき上がったけれども橋がなかったら行けませんからね、これは。ですから、その投資計画等を、まあもういよいよこの法案、きょう場合によったら採決をするというようなときに、少なくともこれから空港を六十七年までかけてつくると同時に、一方、橋の方も、何年計画で、金額はどのくらいの金が要って、それによって橋もでき上がっていわば鉄道をそこに引き込めると、こういうことにきちっとしておかないと困るんですが、そこらはどうなっていますか。

○政府委員(山本長君) 先ほどの私の御説明が少し舌足らずであったと思います。連絡橋、これは道路橋と鉄道橋併用でございますけれども、これは関西国際空港株式会社が建設する、こういう計画でございます。それから、橋を渡りまして空港島に入りまして、そして空港のターミナルビルの下でございます一番いい場所というところまでのいわゆる通路でございますね、線路などが敷かれないところの一つのコンクリートの箱と申しますか、それからターミナルビルの下に当たる鉄道の駅の部分の一つのスペースといいますか、どんがらと申しますか、これにつきましてはこの会社がつくる、こういう考え方、計画でございます。
 そこで、空港の中の駅の施設、それから連絡橋の上につくるところの路線といいますか軌道、電気設備、それから連絡橋を出まして陸岸からそれぞれの鉄道に至る部分の鉄道の敷設、これについて先ほど申し上げました主体がやったらどうか、こういうふうな構想であることを補足させていただきます。
 それから、経費でございますけれども、詳細に陸岸におきますルート、鉄道の連絡場所等について細部がきちっと決まったという段階ではございませんので、ある前提を置きまして試算をいたしますと、南海と国鉄阪和線、両線を接続するとした場合には六百億ないし七百億円程度というふうに試算がなされておりまして、それから南海本線だけという部分について試算をいたしますと、三百億ないし四百億円程度というふうに見込まれております。いずれも五十七年度の価格での試算でございます。

○安恒良一君 わかりました。
 そうすると、いずれにしても、今それぐらいの金がかかるから、これを第三セクターでやって、通行料を取って長期に採算をとる。私は、収支がかなり長期でないとなかなか簡単にこれはペイしないだろうと思うわけですね、率直なことを言って。そんなに高い通行料を取ったんでは、足の問題ですからなかなかそうはならないと思うんです。そうすると、もう一遍聞きますと、連絡橋自体は、そういうものはつくる。だから連絡橋に鉄道を敷設する、その敷設をする金その他いろいろ金がかかるから、それらは今あなたがおっしゃったように、第三セクターをつくって、そしてまず鉄道のあれをする。
 それからこれは、国鉄もお見えになっていますが、国鉄と南海とは同時に六十七年には乗り入れられるようにおやりになるつもりですか、ここのところは。

○説明員(岡田宏君) 阪和線を利用いたしましての鉄道アクセスにつきましては、目下鋭意検討中でございまして、今先生からお話がございましたように、空港開港時においてはいずれかの方法によりまして阪和線を使って大阪都心に乗り入れることができるように考えてまいりたいというふうに勉強中でございます。

○安恒良一君 これ大変心配になってくるんですが、勉強中って。というのは、やはり大量輸送機関というのは鉄道ですから、だから南海電鉄も運ぶのは運ぶ、それから阪和線の方も運ぶ、こういうふうにね。それからまた工事も、一つだけつくっておいてまた後からつくると高くつくわけですよね。だから、やはり一番時間に正確に空港に行けるのは鉄道だと思う。時間に正確に行けるのは鉄道だと思いますから、その意味から言うと、国鉄は大変な赤字を抱えているからあれもこれも非常に消極的だと思いますけれども、もうちょっとやはりこういう雄大な計画を立てるときは、きちっとやはり国鉄は国鉄の使命を果たすという前向きの考えがないと私はいけないと思います。
 いずれにしても、私は、鉄道による大量輸送というものはね、というのは、その次の、これは聞くまでもないと思うけれども、簡単にいま新大阪駅からまたここに新幹線を敷くなどというのは、成田ですらできないんですから、これも言うだけの話になるから私はそこまで言いません。そこまで言いませんが、せめて南海電鉄と阪和線というのは、これはやはり大量交通機関として、空港が六十七年度から開業するならば、そのときにはやはりお客さんをそれで運べるというふうに大臣、鉄道の方についてひとつお考え願いたいと思いますが、鉄道よろしゅうございますか。

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