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人の話を聴いて理解してそれを伝えるのは難しい

誰と何を話すのか。どこでどのように話すのか。というようなことが他者との話において、その成り行きが変わってくる。話をする内容は、その目的を共有できていなければならない。話す場所も物理的な場所、空間というよりもその環境というものがどういったものなのかが重要なってくる。また、その相手が誰なのかということも重要な要素だ。誰とどこで何を話すのか、目的は何かということをしっかりと把握しておくと齟齬が起きにくいように思う。特に他者の相談にのるといった対人援助職では、そのようなことを理解しておくことはもちろん、それを実践できなければならない。一般的な他者との話についてというよりも、対人援助職としてどう振舞わなければならないかを改めて考えたい。

会話の目的

仮に、その会話にタイトルをつけるとしたら何だろうか。つまり、その話のタイトルがその会話の目的であるのではないか。話者がその目的を理解して共有できているのか。その目的を明確にしておかないと話の方向がそれぞれバラバラになってしまう。話の内容もまったく違ったものとして解釈されてしまう。さまざまな会話の場においてたびたび会話がかみ合わないのは、そういった要因が考えれらるのではないか。面談の場では、おそらくその目的を共有すること難しい。というのは、支援対象者(クライアント→CL)は相談の場で目的を明確にしていない場合が多い。何をどうすればいいのかわからないから相談にきているのである。しかし、こちらはその目的を明確に理解しておく必要がある。それをCLに理解させなくても面談の冒頭はそれでもいいと思っている。

会話の要素 言葉・文・カテゴリー

話、会話、対話、議論といってもそこでの言葉は数多く用いられるし、その言葉の集合体である文もまた多い。主語を省略する場合も多いがゆえに、その内容がしっかりと相手に伝わらないこともたびたび起こる。そのひとつの文を言いおわる前に相手が話し出す場合もある。「私は○○について~と考えます」という、ひとつの文としてあった場合、その「私は○○について」と言いかけた時点で相手が話し出す場合がある。この場合、どのように考えているのかということを相手に伝えられていない。にもかかわらず、その相手はこちらの考えを理解したつもりで意見を述べるということが起こってしまう。むしろ、まったく理解できていないにもかかわらず、理解したつもりで、誤った解釈で話し出してしまうということになってしまう。

また、その言葉、文のひとつひとつがどのようなカテゴリーとして述べられているのか。たとえば、それは情報(知識)なのか、考え(意見)なのか、気持ち(感情)なのかも重要な要素だ。相手が言いおえる前に話し出すということはお互いの誤解をうむし、信頼関係の構築の妨げにもなる。そういったことから、相手の話をよく聴くということと同時に、相手が言いおえるまでしっかりと聴くということも重要である。僕はその点について十分理解しているつもりなので、できるだけ相手が言いおえるまで待つようにしている。しかし、それができない人が非常に多いと思う。先日も、こちらが言いおえる前に相手が話し出して、僕の言っていることを理解されず、誤解されたままで相手が話し出したということがあった。自分の意見を否定されるというおまけつきで。

事実と意見

このようなことは特に職場でよく起こるのかもしれない。こういうことがたびたび起こると気分を害される。こちらは情報を伝えているのに感情で返されたり、意見を述べているのにその意見を否定されたり。そもそも、意見を否定されることはありえないと思う。事実と意見について、事実は実際にあったこと、そう思われることでそこには反証可能性の余地が残っている。その事実をめぐって、事実確認ということで議論がなされることは十分にあり得る。一方で意見は、自分が思っていること考えていることととらえられる。個人的に思っていることなので、そこには否定もなにもない。しかし、よく対話、議論の場では、この意見に対して否定されることが多く、対話がかみ合わないことが非常に多いと思う。最近では、SNSの場でもそういったことがたびたび見られる。

「脳の二重過程理論」

では、なぜこのようなことが起こるのだろうか。相手の話を最後まで聞いて理解してからこちらが話すことが重要とわかっていながら、なぜこのようなことが起きるのだろうか。ひとつには、人間には感情に左右されやすいということが挙げられる。ある意味人間は感情豊かな生き物であるため、感情優先で物事を進めてしまう。相手の意見などについて、感情が優先で受け止めてしまう。相手が言いおえるまでに感情が沸き起こってきてしまう。その感情をもとにして、自分が言いたいことを言ってしまう。もうその時点でその会話議論は破綻してしまっている。

脳の二重過程理論というものがある。これは、人間の情報処理において二つの過程が存在するというもの。ひとつは、直感的で速い思考で、自動的に働き制御することは困難。古くからある大脳辺縁系の働きでシステム1と呼ばれる。もうひとつは論理的で遅い思考で、システム1でできない物事を論理だてて考えるという働きがなされるが、この過程は非常に怠け者だと評され、システム2と呼ばれる。比較的新しい大脳新皮質の働きとされている。脳の働きとして、必ずまずはシステム1が働く。ほぼ自動的に自然発生的に感情的に物事をとらえてしまう。感情の発出はこのシステム1からなされる。いわゆる脊椎反射と呼ばれることに近いかもしれない。このシステム1では、バイアスも発生しやすい。物事を偏った形でとらえてしまう。ステレオタイプなどがその代表的なものだが、必ずしも好ましくないものばかりでもなく、このバイアスが良い働きをする場合もある。

キャリアコンサルティングにおけるラポール形成の重要性と技能・能力水準の向上、維持

特にキャリアコンサルティングにおいて、このような会話における聴きとるという行為には、さまざまな妨げの要因が潜んでいる。仮に相手の話をしっかりと最後まで聞いたとしても、それを理解することは難しい。共感とか傾聴とか受容とか以前に、相手が何を言っているのかを本当にしっかりと理解しなければならない。CLとのラポール(信頼関係)形成は、面談支援の一丁目一番地的に重要な要素である。そのラポール形成に必要なこととして、相手の言う一文一文をしっかりと聴いて、理解して、こちらがそれをしかりと理解していますよということを相手に伝えなければならない。

しかし、このキャリアコンサルティングの現場においてこのような重要な要素について理解されていないとたびたび思うことがある。現場での意見交換などの場においてそのように感じることが非常に多い。CLとのラポールを構築させるためには現場の支援者同士のラポール形成が必要だし、そのようなことが重要だということをお互いに共有し理解することが必要である。しかし、そのようなことが共有されない現場であった場合、どのようなことがおこるのか。CLとのラポール形成以前にキャリアコンサルティングの現場での信頼関係構築の妨げになってしまい、その影響がCLに及んでしまう。それは絶対に避けなければならない。ではどうすればいいのか、ということまではわからない。個人的には支援者の能力や技能といったものがある程度の水準でなければならないと思っている。少なくとも、ここまで書いてきたことのようにただ話を聴くという行為を細分化し、要因を解析し、弊害を避けるためには何が必要なのか、という水準で議論できなければならないと僕は思う。

自分ひとりが能力向上につとめても、その業務を組織として遂行するためにはそれぞれの能力や技能がある一定の水準に達していなければならない。また、そのための自己研鑽に励まなければならないと思う。そういった機微の部分をお互いに理解している関係というのは非常に仕事がやりやすい。より深い議論になるし、新しい発見にもつながる。お互いに良い刺激につながり、相乗効果としてよりレベルアップを目指していける。それがCLに対しても良い影響が及ぶだろうし、気持ちの面でも、やりがいの面でもより仕事がやりやすくなる。僕はそういう現場で仕事がしたい。もしそのようなことが無理なのであれば自分ひとりで仕事をするしかないのかもしれない。組織で仕事をする以上、そういったことは避けられないかもしれないが、そうならないためにお互いに切磋琢磨できる現場で仕事をしたいと思っている。少なくとも、自分はそういった形でこれからも努力を重ね、自己研鑽に励み、仕事の質を高めていきたい。

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