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不確実性の高い社会における危機の回避と対処の中長期的視座

世界的な金融・経済危機や、今でも世界のどこかで繰り広げられている紛争や戦争、国内においては不安定で先行き不透明な政治情勢など、私たちをとりまく社会は不確実な社会だと解釈できる。そのような不確実性の高い社会において私たちはどのように振舞えばいいのか。そのような漠然とした、しかし、日常生活において確実な状況に大なり小なりの影響を受けている。その不確実性の高い社会における危機(リスク)への対処と回避のために私たちに何が必要なのかを考えておきたい。特に、新型コロナウイルス感染症は私たちの生活を一変させた。このような感染症だけでなく、経済や政治などの社会的な出来事から自分の身をどのように守ればいいのだろうか。

このような不安定な社会において私たちがこれまで求められてきたもののひとつに、社会的なつながり、すなわち他者との相互的関係性というコミュニケーションの必要性が叫ばれてきた。現在においても、「ソーシャル・ディスタンス」などのように他者との物理的な距離を保ちつつ、ITなどの技術を活用して、他者とつながり、心の安寧を維持している。そのような他者とのつながりは、相互的コミュニケーションにおいて心理的不安を回避・低減させる働きがある。そのうえで、心の安定を図り、日常生活を平穏に送る作用がもたらされる。

しかしながらこのような社会的なつながりは、目下の危機には直接には作用しないと思われる。それは、今後もどのような危機がやってくるかわからない状況で、その危機への対応と回避には直接対応できないからだ。どのような危機が今後くるかわからない状況で、私たちに求められることは、個人としての能力や資質、素養といったものであると考えられる。他者との関係性は確かに心理的不安の解消などが効果として考えられるが、これから起こるであろう出来事については直接的なものではない。では、これから先の起こりうる危機的な出来事に、いかにして対処すればいいのだろうか。

未来への危機に対して私たちに求められるもの。それはひとつには、自己認識(セルフ・アウェアネス)が挙げられる。似たような言葉に自己理解があるが、自分はこれは比較的表象的な意味であって、自己認識はより深層的な意味合いをもつと考えている。自己認識はメタ認知ともつながり、自分の内面的な側面をより俯瞰した視点でみることによって、これまで認識できなかった自分の新しい発見がもたらせることが考えられる。これまでの社会は、特に仕事でも生活でも、ある特定の仕事や働き方、生活の送り方や水準がよしとされてきた。固定的で特定的な仕事や生活スタイルが良しとされる暗黙知の風潮があった。特に特定のメディアにおいては、そのような特定の生活スタイルといった価値観が流布されてきた。

しかしながら今回のコロナ禍において、これまでのそういった固定的で特定的な価値観は完全に瓦解した。仕事においても、わざわざ会社に出勤しなくともテレワークなどの仕事のスタイルが確立されつつある。もはや現在においては、日常の生活スタイルも働き方も人それぞれ、個人が選択できる(する)社会への転換期である。そのような社会的潮流にのるためには、自分と向き合い、自分の可能性を拡げるための新しい発見がもたらされる自己認識(セルフ・アウェアネス)が重要と考えている。

もうひとつ考えられるのが、自分が何かしらの行動を起こすための源となる力である。一般的にはモチベーションと言われるが、心理学では動機づけと呼ばれている。この動機づけは、仕事でも日常の生活でも必要とされるもので、私たちが健康を保つうえでも重要な概念である。動機づけには2種類あり、外発的動機づけと内発的動機づけがある。外発的動機づけは報酬や称賛といったものが挙げられる。一方の内発的動機づけは、物事に対する興味・関心や、私たちに内在する、「楽しいから」とか「何か(誰か)のために、~すると嬉しい」といった、より内面的な意味での行動の源となるもの。

これらは、どちらかが重要でどちらかは重要ではないというものではなく、どちらも重要である。ただ、どちらかに偏ってしまうとあまり良くない。よりバランスのとれた形で刺激されることによって、自分の行動の源流となる。このような動機づけには新奇的な側面も関係していると思われる。それは、自分は新しい物事への欲求が高いか低いかによっても違ってくる。このようにさまざまな要因が影響しているため一概には言えないが、自分が行動を起こし、その結果自分にもたらされるものの重要性を認識する必要はあると思う。確かに、自分が行動を起こすことによって自分自身に不利益をこうむることもあるかもしれない。しかし、行動を起こさないと新しい発見にはいたらない。そのような状態で、今回のような未曽有の危機が迫ったときに自分がとれる対応はより限定的なものになってしまうだろう。

人は、どちらかといえば変化に対しては敏感で、どちらかといえば回避的である。しかし、変化に対してのハードルが下がると可能性が拡がると思っている。「何もしなくても生活ができればいい」というようなことをよく聞く。いわゆる楽して生活できればこのうえないというようなことだ。ある心理学実験がある。その実験は実験参加者に何もしなくてじっとしているだけで報酬がもらえるという実験である。しかし、身体の動きは制御され、耳や目もふさがれた状態である一定の時間を過ごしてもらうという制限がなされた。実験参加者は、はじめはそんなに楽して実験の報酬を得られるなんてラッキーなどと話していた。ところが、実際に実験が始まると実験参加者は数時間ももたずギブアップしてしまった。ただ横になっているだけで報酬が得られるのにである。

この実験は、私たちが変化することに対する嫌悪という意見に真っ向から対峙するものである。じっとひとつのところにとどまることは、潜在的に困難である場合があるということの示唆であると思う。何かしらの行動を起こすことによって変化に対応できるスキルを身に付けると言える。そういう意味で、より可能性を拡げる意味でも、可能な限りこれまで経験しなかったことにチャレンジし、新しい発見につなげていくことが重要である。その発見によって、今後迫りくる危機に対しての準備ができると考えている。今後、どのような危機がくるかはわからない。どのような危機なのかわからない状況では対処のしようがない。しかしながらどのような危機がこようとも、できるだけの準備はしておきたい。それもすべて、自分の身を守るためである。

さらにもうひとつ、今後の危機への回避・対処のために必要なこととして、「エンプロイアビリティ」があげられる。これは、いわゆる「雇用される力」「雇用され続ける力」というもの。どのような社会的情勢においても、自分の生活を守るためには金銭が必要である。生活をするためにお金が必要であることは言うまでもないこと。自分に仕事があるからこそ、生活資金を得られるし、休息やレジャーなど、より健康的な生活を送ることができる。そのためには、自分に仕事が必要である。仕事があるからこそ生活資金を得られる。

しかし今回、コロナウイルスによって、個人に帰さない理由によって職を失う人が続出した。政府や行政といった外的な他者からの要請によって休業を余儀なくされたり、実際に失業に追い込まれる人が出た。それまでいくら真面目に仕事に取組み、成果をあげていたとしても外的な圧力によっていとも簡単に、生活の糧となる仕事を失うということが起きた。これは、これまでの常識を覆すことである。自分の努力の範囲を超えた出来事で当人には責任はない。しかし、ほかの誰にも責任を問えないのが現状である。それでは、今後、どのようにすればいいのか。

それは、「そう簡単には仕事を失わず、そんなにすぐに生活の糧となる資金を失うことにはならない」という力、すなわち、「雇用される、雇用され続ける力」というエンプロイアビリティを自分に備えるということ。確かに、自分のやりたいことやできること、また、自分が選択する権利などはある。仕事や会社は選ぶもの。しかし、自分により専門的な能力を身に付けることや、より多様な経験を積むことによって可能性を拡げることによるエンプロイアビリティの向上をはかることが可能である。より柔軟に、よりしたたかに社会の変化に対応できる術を身に付けるのである。

ここまで書いてきたように、これから起こりうる未知なる危機に対応するために、私たちにこれから求められるであろう必要な素養について考えてみた。そう簡単には身に付けられない、一筋縄ではいかないものばかりだが、このようなことを自分に備えることができれば自信にもつながる。自尊感情がある程度高められることによって、よりモチベーションの向上・維持にもつなげることができる。そのためにも、これまでの既定路線として常識とされてきたことが今回のコロナ禍で、それほど役に立たないということが露呈した。今後は全く新しい考え方で未知なる危機へ対峙しなければならない。まとめとして、自己認識(セルフ・アウェアネス)によって、自分の可能性を拡げ、新しい発見につなげること。行動の原動力としての、自分にとっての動機の源となるものを見つけること。少なくも、現在の生活水準を最低限維持すること。また、自分にとっての新しい能力などを身に付けることによって、さまざまな変化に対応できる力「エンプロイアビリティ」の重要性を知ること。

以上の点について、自分なりの見解を述べてきた。このようなことは人それぞれさまざまな考え方があると思う。これは自分なりの、これまでの経験と、身に付けてきた知識がもたらす生活への知恵であると考えている。現在、自分は生活に困っている人たちに対しての支援を仕事としている。しかし、より本音のところを言えば、このようなことは仕事だけにとどまらず、より多くの人に知ってもらうことによって、少なからず誰かのためになるのであれば、この上ない喜びである。そのようなことが、自分にとっての行動の原動力、すなわちモチベーションである。ここに書いたことは受け取り手によって解釈はざまざまだと思う。しかし、自分と同じように考えている人もきっと存在すると信じている。自分と同じように、このような素養を身に付けたことによって危機を回避できた、危機に適切に対処できたという人が必ず出てきてくれると信じている。

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