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右耳に耳管ピンを入れた話

これは耳管開放症 (Patulous Eustachian tube) というかなりふざけた病の患者の話です。

まずは前提の話

僕自身の基本情報として、2024年4月現在33歳で身長185cm、体重48kg。かれこれ10年ぐらいこんな感じ。耳管開放症には中学時代から悩まされてきて、大学時代にたまたま行った病院で相談したところ難治性耳管開放症の診断をいただきました。一時期、『耳管開放症と10年付き合って』というブログをやっていました。
症状の程度としては、横になるか、頭を真下に向けると開放が収まるものの、そこから数秒でまた全開に開放、というような感じ(全開とか半開とかいう表現は同じ病持ちの人には伝わるんじゃないかと思う)。原因はもちろんやせすぎですが、僕の場合は指定難病167マルファン症候群というこれまたふざけきった病のせいで体質的に太ることが全くできないため、根本的な完治は難しいというのが昔から言われてきたことでした。仕方なく、時間に自由が利く大学時代からは週1回ルゴールという薬剤を鼻から噴霧する対症療法を続けてきました。

耳管開放症は本当に理解が得られない病気で、特に「痛いわけじゃない」というのが大きい。事実「痛くないなら我慢できるでしょ」みたいな言葉を何度も言われたことがある。ただ、引くぐらいさまざまな病気と付き合ってきた僕の経験のなかでも、鬱陶しさではトップレベルに君臨する。

融通がきいていた頃の付き合い方

20代中盤までは大学院生だったので、ルゴールが切れた直後くらいの"開きかけ"ぐらいの症状なら横になって作業することで対応していました。ノートパソコン用に横になって作業できるパソコン台とかを買って、耳管開放症に特化した作業スペースを寮に構築したのをよく覚えています。

困るのは海外です。僕はこれまで海外での研修やら研究やらで1ヶ月単位の海外渡航を先進国から発展途上国まで何度も行ってきていますが、その間はルゴールを打つことができないし、生理食塩水すら持ち込むのもなんか言われそうだし、という感じで現地でのプレゼンなどでは本当に大変な思いをしてきました。やっぱり下向いて(それも不自然なぐらい真下)を見て話すことになるので、違和感というよりもはやちょっと怖いというか、えっ…なに…?みたいになることがあった。

自然に症状が出なくなることはあります

僕は医療に携わる人間ではないので、この病に関して一般論をいう資格はありません。ただ、患者として少なくとも自分の経験の範囲内では語ることができる。特に僕ら研究者は言語化することが仕事でもあるわけだし。
これは現在進行形で耳管開放症に悩まされている皆さんの希望になると信じて語ることですが、この病と中学時代から付き合い続けてきたにもかかわらず、26歳から32歳あたりまでの約6年間ほど、唐突にほとんどなんの症状も出ない状態が続きました。たとえばすごく暑い道を歩いていたりして心拍数が上がり息も荒くなったりすると突発的に開いたりはするものの、それも下を向くとすぐ収まるような程度のものでした。
ただ、なぜ症状が6年も出なくなったのか、そしてなぜつい半年前に突然再発したのかは、お医者さん含め全くわかっていません(何ならお医者さんは、「今のこの開放具合を見る限り、6年も症状が出ていなかったという方が信じられないんだけど…」とすら言うほどでした)。あの期間に体重が増えたわけでもないし、もっといえば、僕は30歳の頃に大動脈弁輪拡張症の手術入院で体重が激減していたけど、あの頃も別に症状は出ていなかった。要は「理由は全くわからないけどなんか突然5~6年ぐらいほとんど症状が出なくなった」ということです。ずっとこれに苦しまされるわけでは決してないということを言い続けていきたい。

だが仕事で不都合が出始めた

ありがたいことに29歳で大学教員になれたわけですが、そもそも今の勤務先の大学はキャンパス自体が山になっていてそこを毎日足で登らないといけない。心臓にはいいけど耳管開放には地獄。何より、大学教員になったということは授業で1回90分話さなければいけなくなりました。僕は統計学なんかを担当している人間なので、黒板で数式を書き散らかすためには90分間立ちっぱなしです。再発してからというもの、一番好きな統計学の授業が耳管開放症としては一番つらかったので本当に悲しくなりました。
しばらくは、とりあえず週1回のルゴール噴霧を再開しつつ、それでも5日もてばいい方なので、授業中に開放した場合には生理食塩水をサッと開けてゴボッと鼻に流し込む。もし生食が綺麗に耳管に入れば(僕はこれをストライクと呼んでいる)、そこから30分ぐらいはとりあえず閉まってくれる。そのあとは知らん。そんな感じの生活でした。

そして耳管ピン挿入術へ

6年ぶりに当時お世話になっていた大学病院を訪れたところ、耳管ピンというものの存在を教えてもらいます。耳管ピンは2020年12月に保険適用されています(世界初の難治性耳管開放症治療機器 「耳管ピン」を開発。手術が保険適用へ | 東北大学病院)。
僕の場合、左右のうち特に開放の酷い右側にひとまずやってみようということになった。お医者さんも言っていたけど、やっぱりこういう体内に物理的に何かを置きっぱなしにするような手術というのはやらないに越したことはなくて、自分でコントロールできるようになるのが一番。それはそうだ。ただ、僕は先述のとおり太れないし、仕事上で結構な支障が出ているので割と深刻な問題だったりする。そういうこと含め、とにかくちゃんとお医者さんの言葉を聞いて、必死で考えて、わからないことはちゃんと質問できる関係性の構築が大事。仕事上でこう困ってるとか、実生活でこんなことができないんだとか、そういうことが重要になってくるんだと思う。

実際の手術は局所麻酔で行った。全身麻酔だと半年待ちらしく、とにかく早く試したかったので局所で乗り切った。…乗り切ったっていうほどのことですらなかった。なんせ僕は横になってたまに呼びかけに対して返事するだけなので。こっちは2回も心臓やら大動脈やらを切り貼りしている身なのです。
今の時代どんな形で問題が起きるかわからないから、心電図に血中酸素濃度にあれやこれやして万全の体制で臨むことになった。下手したら実際に耳をいじっている時間より準備の方が長かったんじゃないかとすら思う。

僕は標準の耳管ピンが太くて入りきらなったらしく、ワンサイズ小さいのにしてもらった。ノリはほとんどショップ店員である(大変なお仕事なのに適当言ってすみません。本当に感謝しています)。

術後

術後は、本当にすぐ帰った。手術室まで看護師さんのお迎えがきて、そのまま一般病棟に出て、普通に会計して帰った。鼓膜を切ったので麻酔が切れるとさすがに痛みが出てきて、その日の晩だけは市販のロキソニンを1錠飲んだけど、それ以降は一切必要なかった。
2、3日ぐらいは耳からひたすら血が流れ出てくるけど、あんまり耳の中に溜めるのも滲出性中耳炎とかに繋がるんじゃないかという気がして嫌だったのでタオルを敷いて右耳を下にして寝た。血が止まった今でも耳からは滲出液みたいなもの(血混じりだけどもっと薄い半透明の液体のやつ)が定期的に出ているのでこれはまあまあの頻度で拭き取る。人々は花粉症で鼻にティッシュを当てることはあっても、人前で耳にティッシュ突っ込むのはなかなかにエチケットのかけらもない感じがしてつらい。手術後なんだからしょうがないだろ。

耳管の開放という点では、手術後2週間の時点で右耳が「ちゃんと」開放したことは一度もない。なんというか、10%ぐらいの「開きかけの開きかけ」みたいな開放(イメージでいうと、ルゴールが切れかけで、ここで思いっきり鼻をかむと開放状態に戻るときみたいな)はたまにあるけど、なんかこう重い扉で塞がれているような、何かそういう物理的な力によって開放が止められている感じがある。今のところ何回か耳抜きを試したけど全くできないので、飛行機に乗る時が怖い(僕は飛行機だと逆に耳管が狭窄しまくって耳がちぎれるぐらい痛む)。

聴力という点では、まだ鼓膜が塞がっていないこともあり、右耳だけは聴こえが悪い。iPhoneのアクセシビリティに左右の音量バランスを調整できる機能があるので色々試してみたところ、右に20%寄せるとちょうどいいぐらいの感じになる。目の前からの音が少し左寄りの方向から聞こえてくるので不思議な感じがする。ただ、一番危惧していた有害事象としての滲出性中耳炎は今のところ起きていないみたいだ。

とりあえず、今の状態ならリスクよりベネフィットが圧倒的に優っているので、もしお医者さんの判断でやっぱ耳管ピン抜きますってなったら僕は本当に涙を流して懇願すると思う。これはやってよかった。

ちょっと妄想みたいな話

これには確証がないし、あくまでも僕の感覚的な(それも気のせいかもしれない)ものなので他の人がどうなのか全くわからないんだけど、右の耳管ピン挿入によって左耳に起きた変化のようなものの話を書き残しておきたい。繰り返すけどこれが本当なのかは全く分からないし、検査器具がないので完全に僕のプラセボ(気のせい)だと思って読んでほしい。

これまで耳管が開放するときには、鼻から息を吸うと左右の鼓膜に平等に空気圧がかかる感じがしていた。ただ、右の耳管が(完全にではないにせよ、左に比べると大きく)塞がったことにより、これまでよりも息を吸った時に左耳にかかる空気圧が強くなったような気がする。何が言いたいのかというと、左耳の耳管開放症がひどくなったような気がする。僕はもともと左耳の症状は右ほどではなかったはずなんだけど、まあ単純に右が改善されたことで左耳の不快感に意識が行っているだけかもしれない。わからん。確証は全くない。左耳に関しても手術前後で何か量的データみたいなものを取っておけばよかった。

ちなみに

普通の人は全然読まなくていいんだけど、耳管ピンの実用化から保険適用、治験結果までがまとめられた論文 (小林・池田, 2021) も上がっている。僕は医学は専門ではないわけだけれど、統計解析で論文を書いてきた身なので、試しに読んでみることにした。やはり最初に目に入るのは治験前後での自覚症状の変化で、

主要評価項目である自覚的重症度スコアPHI-10(Patulous Eustachian tube inventory-10)は術前では34.4±4.2点であったが,治験治療後3ヶ月時点では,6.4±9.0点だった.

小林・池田(2021)

まあこれですね。そもそも手術前後での自覚症状の重さは尺度(簡単にいうと耳管開放症の自覚症状の高さを測るために作られた質問項目の一覧:自覚的重症度スコアPHI-10; Ikeda et al., 2017)で測られる。ここでいうと、術前に平均34.4点から±4.2点(30.2~38.6点)の範囲におよそ7割弱の患者が分布していたわけだけれど、これが術後3ヶ月時点で平均6.4点、標準偏差9.0点っていうことは、治験対象者は平均的には改善をみせているけどその中の分散は大きくなっている、つまり大きく改善した者から必ずしもそうでないものまでいるくらいのイメージなのかな。
僕も術前に同じ調査を受けて、具体的な点数はメモするのを忘れたけど、ほぼ満点近かったのを覚えている。それが、手術1週間半が経過した現在で、(僕は一応アンケート調査データの設計や解析もやっている人なので明言してしまうけど)おそらく12点ぐらいまでは下がっているんじゃないかと思う。論文上では16点以下を成功としているみたいですね。正直ぼくは(マルファン症候群とかの兼ね合いとかもあって)そんなに改善しない側に行きそうな気がしていたので、手術直後の印象としては、正直意外だったんですよね。もちろんここから2ヶ月半で症状が悪化方向に行く可能性も否定できないからまだ断言はできないけどね。

あとは有害事象として滲出性中耳炎(17.2%)、鼓膜穿孔(13.8%)、耳鳴(3.6%)が報告されていて、まあ中耳炎と鼓膜穿孔に関しては僕もまだ可能性はあるかな。耳鳴は元から音楽のやりすぎてあるのでもうどっちでもいいけど、鼓膜が閉じすぎた時に追加的な耳鳴りが起きる可能性はあるなと思ってるところかな。近々高層エレベーターの気圧変化で何か起きないか調べてみるつもりです。

おわりに

マルファン症候群もそうですが、医療の進歩は本当に素晴らしいことだと思う。医療従事者の皆さんには本当に頭が上がらない。僕が毎日馬鹿みたいに論文執筆に時間を割いているのは、同じように科学や社会に貢献したいという気持ちがあるからです。頑張っていきたい。とりあえずは6月の人工知能学会かな。

参考文献

  1. 小林俊光・池田怜吉 (2021)「耳管ピン」『Otology Japan』31(4), 410-414.

  2. Ikeda R, Kikuchi T, Oshima H, Miyazaki H, Hidaka H, Kawase T, Katori Y, Kobayashi T. (2017) "New Scoring System for Evaluating Patulous Eustachian Tube Patients" Otol Neurotol, 38(5), 708-713.




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