井上尚弥とサーカスとギャンブル。
営業先で宗教、スポーツ、政治の話はするな!
と、昔の営業の先輩から言われたことがあります。
ビジネス上の重要なお付き合い先のライバルチームを応援しているなんてことがあって、得することがないからです。
こちらのブログは会社の(比較的)オフィシャルなブログですので、同様のことを肝に銘じながらも結構な頻度でスポーツについても書き殴ってます。
今回も私の趣味というか、雑感の日記です。
専門家を気どるつもりは毛頭ありませんが、高校時代からボクシングファンです。
井上尚弥選手は日本の現代ボクシング、、いや、過去を振り返っても唯一無二の存在であることは疑いようがありません。
自分が試合をする訳でもないのに、井上選手の試合が近づくと、何となく心がソワソワ。
高揚感を感じるのは、ファンである以上は当たり前かもしれません。
ただ彼の場合は期待感や面白さのワクワクした高揚感ではなく、不安いっぱいで居心地の悪ささえ感じる、ソワソワした気持ちになります。
理由は彼が圧倒的な実力でライバルを撃破してきたこと、そして何より全勝であること。
ボクシングの世界において「無敗」と「全勝」では、決定的な違いがあります。
引き分けは愚か判定決着さえも許さず、高いKO率を誇り、さらには世界戦の舞台での連戦連勝です。
空前絶後の末恐ろしい記録でしかありません。
見ているファン側の身勝手な話ではありますが、井上尚弥に限っては負けることが許されない選手なのです。
万が一を想定させることも許されないからこそ、勝手にこっちがソワソワする。
それが、絶対王者である井上選手の試合です。
さて、今回のルイス・ネリ戦、日本人にとっては因縁の相手でもある訳ですが、そこは割愛。
彼の振る舞いはさておき毎度ながらの実力者相手です。
詳細は伏せますが、1ラウンド目には王者井上選手が衝撃的なダウンシーンを喫しました。
彼は全勝に加え、ダウン経験もありませんでしたから、これも驚くべき記録ではあります。
が、因縁の相手にキャリア初めてのダウンを喫することになりました。
しかも、はたから見ていて、かなり危険な倒れ方をしたように見えました。
8カウントくらいまで座り込んだままだったので、ダメージがあるのでは?と思わされました。
大の大人が子供のように、ヒーローが負けるんじゃないか!あり得ない!
胸が張り裂け、涙が出そうになるほどの感情に襲われました。
試合後、彼はカウンター気味にたまたま入ったパンチで避けようと思っていたので派手に転げた、というような言い方をしていました。
強がりのように聞こえましたが、実際にスローで見るとダメージを軽減するためか、確かにわざと反転して派手に転んでしまったように見えます。
カウント8で立ち上がったのも、少しでもダメージを回復させるため。
万一のダウンでも、ゆっくり立ち上がることをシュミレーションしていたと言います。
ダウン経験がない選手が一番想定したくないダウンシーンまでシュミレーションするというのですから、筆舌に尽くしがたい。
まさに勝利を宿命づけられた王者とでも言いましょうか。
私の心配を他所に、井上選手は軌道修正、いつも通りのKO劇で悪童ネリ選手を破りました。
謙虚である人柄にファンも魅了されていますが、実際に欠点がみつからない。
それが日本が生んだモンスター井上尚弥なのです。
日本の誇りであり、ボクシングファンの誇りです。
さて、表題の件です。
井上尚弥、サーカス、ギャンブル。
私は井上選手のダウンシーンを目の当たりにして、なぜか自然とサーカスが思い浮かばれました。
サーカス。
あまり見る機会はないかもしれませんが、すごく刺激的です。
何が刺激的か、自分なりに考えたことがあったのですが、それは「死と隣り合わせ」の寸劇を見ているからではないでしょうか。
語弊があるかもしれませんし、実際にサーカスの演者さんには劇中に死去された方も少なくないでしょう。
軽はずみに「死」などと口にするべきではありませんし、それを望むようなサイコパスでもありません。
ただ、演者さんも当然、その危険性を理解しているはず。
そして、観客はその「死」ギリギリの挑戦を目の前で見て妙な興奮を覚えるような気がするのです。
さらには、到底簡単ではないことを、成功や勝利が当たり前のようにやって見せること。
サーカスという劇の成功であり、井上尚弥というボクサーの完勝は、見ているこちらが呆気にとられるほど、あまりに優雅に魅せます。
しかし、それでも、その意にそぐわない瞬間は、突如として起きてしまうかもしれない。
それもごく当たり前のことです。
だからこそ、ソワソワしてしまうのでしょうか。
大げさではなく、見ていて寿命が縮まってしまいます。
そんな背景からか、彼のたった一つのダウンシーンを目の当たりにして、「死」に近い絶望を意識してしまったのです。
ファンであるはずなのに、心底の恐怖から震えてしまいました。
しかし、時にそんな敗北があり得ることさえ忘れさせるくらいの強者。
私のような凡人にそれを理解しろという方が無理な話です。
私は死を賭けてまでギャンブルをしたことはありません。
最近話題にもなった人生を棒に振ってまでのギャンブル依存症にも似たようなところがあるのでは?と、ふと感じました。
もちろん健全不健全でいえば前二者が健全であることも間違いないのですが。
病気としての依存症には、きっと同じような感覚を得たいという欲求が抑えきれないのでは?とも、勝手に想像してしまいました。
ドキドキ、ワクワク、僥倖と絶望の狭間。
ギャンブルに没入しすぎてしまうのは決して褒められることではありませんが、ワクワクを求める気持ちは少しだけ理解できないでもありません。
しかし、ギャンブル依存してしまう人との境目。
冷静に考えれば、サーカス、ボクシングしかり、やっぱりそれが演者であったり、プレイヤー側になる気持ちは少し理解しにくいです。
私だったら、リスクを冒したギャンブルは避けたい。
むしろリスクしかないとさえ感じます。
私がもし井上選手だったら、王者のまま引退して少しでも早くプレッシャーから解放されたい。
失うものが、あまりにも大きすぎる。
そう考えるのが普通な気がします。
そして、その感覚は実は平凡な庶民にとっては大事なような気もします。
その境目が分からなくなるのが、ギャンブル依存症なのかもしれません。
井上選手のようにプレイヤーになる必要はない、というか、そんな簡単ではないことが明白です。
それぞれの演者や選手には敬意しかありません。
リスクを冒し、頂を目指すその姿勢、血のにじむような努力と恐ろしいプレッシャーを乗り越えていくことが、どれだけ難しいことか。
とにもかくにも、今回は観戦していても疲れてしまいました。
井上選手には、しっかり静養していただき、少しでも自分の満足いくキャリアを構築してほしいと心から思いました。
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