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私の中国語が劇的に成長した話。

note内をサーフィンしていたら、語学系のブログが多いことに気が付きました。
トラッキングされていただけ?(笑)

以前にも書いたっけなあと思いながら、今日は私の中国語が飛躍的に成長した話を書いていこうと思います。



飛躍的に!と掲げるとなんだか不遜な感じもあり、まーた中国語教室の宣伝か!と突っ込まれそうです。
ただ、、、ここから書き連ねていきますが、語学も勉強も苦手な私。
私にとって自慢できる唯一のスキルなのですから、せっかくなんで褒めてあげてください。


1.英語は誰よりも苦手な私。

まずは、私の語学スキル全般について。
実は、というか、恥ずかしいほどに私は英語ができませんでした。

いや、できませんでした。ではなく、できません(現在進行形)

私が中国語を話せると知っている知人からは、
          「英語も当然できるよね!?」
と、いった眼差しで(勝手に)見られることがあります。
が、全然できません。

私は大学入試当時のセンター試験で、80点をたたき出したほどです(200点満点中)

今でもアルファベットの羅列を見るだけで、拒否反応が出るほどです。

仕事柄、海外(最近ではフランスや中東)でお仕事をさせていただくこともあるのですが、恥ずかしながら常に通訳さんの影に隠れてコソコソ日本語だけを使い続けています。

さらに言えば、大学時には中国語を2年弱ほど学んだのですが、ほとんどギリギリで単位を取得しています。

要するに語学は苦手座学も苦手勉強嫌い、というのが偽らざる私の能力なのです。


2.キッカケは中国駐在。

中国語の能力が伸び始めたのは、何を隠そう中国駐在がキッカケです。

とはいえ、中国駐在は一つの成長への下地です。
ただ、勉強のできない私からすると、座学でコツコツ語学を学ぶ手法では、前項の通り、成果が出ませんでした。

語学ができないのに、思い切って中国語まみれの環境に飛び込んだことが、語学を成長させるのにうってつけの条件だったのだと思います。

成長できる環境条件は人それぞれです。
座学で成長できる人もいれば、私のように半強制的な環境に飛び込むことで成長できる人もいるでしょう。

私の場合、29歳で中国駐在生活が始まりました。
18歳で初めて中国語に触れ、19歳で短期留学を経験し、24歳で中国に数か月滞在したのが、それまでの経験です。

滞在時間はトータルしても一年未満ではありましたが、なんだかんだ定期的に中国とご縁があったようです。
とはいえ、実は駐在員になった機会を含め、特別自分から中国語を活かしたい!などと思ったことは実は一切ありませんでした。

ただ、こうして書いていて気が付くのですが、中国語を学んだことがあるだけ、というでも、企業から求められるスキルの一つになり得るようです。

これはスキルとしての言語の強みかもしれません。

さて、中国語ができない、できない、とは言いましたが、基礎的な部分は多少学んできていました。
29歳で駐在員になった当初でも、お遣いくらいはできる中国語能力3歳児レベルにはあったと思います。

日本語で置き換えればひらがなが読めるレベルの私。
でも中国語で最も助かるのは、日本の漢字と意味も形も似ているところでしょうか。

とはいえ、これでは当然ビジネスは成立しません。

いよいよ、事項から私が急激に中国語を成長させた最大のポイントを書いていこうと思います。


3.中国人同志との出会い。

駐在員になった当初は、会社設立の手続きに奔走します。
が、ここでも中国語を披露する機会はなかなかありません。

会社設立では様々な中国企業とも係わりを持ちます。
税理士や弁護士、銀行などなど。
そのどれもの窓口が基本的には日本語が使える中国人、もしくは日本人が担当してくれます。

中国語が重要になり始めたのは、現地従業員やローカル企業顧客との係わり合いの中となります。

会社設立が終われば、次にやるべきことは雇用です。
先述の通り3歳児の中国語では何を行うにも時間がかかってしまうのですから、助けてくれる現地従業員は非常に大事になります。


例えば、中国現地の従業員を雇用するときに、一つだけ要望を出してもいいと言われたら、みなさんはどうされるでしょう?

私はまず第一条件として日本語ができる従業員の確保に動きました。
私自身が中国語がほとんどできない訳ですから、当たり前ですよね。

最初に雇用したのは経理担当者、その後技術スタッフ、営業スタッフを雇用する流れでした。

最初の経理担当は日本語ができましたが、問題は技術スタッフの雇用です。
技術職はどちらかというと理数系の知識、しかし言語能力はどちらかといえば文系の能力です。

ハナから日本語ができるという条件を突きつければ、言語能力とやや矛盾する優秀なエンジニアは集まりにくくなります。

技術系スタッフ、などと銘を打って募集をかけますが、日本語能力が足かせになってか、なかなか優秀なエンジニアは雇用できませんでした。

余談ですが、とある夏の猛暑の日、ある技術系スタッフと現場に行きました。
私が汗を流して必死に作業をしている横で、
   「ただ今、わが社の総経理がポンプを交換しています!!」
みたいな感じで、涼しい顔をした自社スタッフが相手方の中国人顧客と会話していたのはいい思い出です。

ほとんどが「技術スタッフ」というより、「現場に行ける日本語通訳」みたいな形になってしまい、しばらくは技術部の組織として機能しませんでした。

おかげで私自身、技術的な能力と中国の現場環境などを学んだとも言えますが。。。


結論を言ってしまうと、私はその後、最良の同僚、会社組織でいえば有望な右腕と出会ったことで、中国語が飛躍的に成長しました。

彼は日本語が一切話せない、いたって普通の中国人でした。

が、エンジニアとしての技術能力は突出して優れていました。

エンジニアとしてだけではなく、仕事に対する取り組み方や、ときに苦労を伴う業務にも前向きに従事してくれる、まさに人財でした。

お互いに積極的に交流をするようになると、出張や食事を共にすることが増えます。

そこで飛躍的に伸びたのが、私の中国語能力でした。

彼は一切日本語を覚えようともしません。
俺はこれをやる、アンタはそれをやれ!と、なんとなくプライド意識のようなものがあったかもしれません。
それにしても優秀すぎる相棒でした。

彼との交流で中国語が飛躍的に伸びたのは、何も単に中国語しか話せなかったからではありません。

例えば営業先に行って、私が中国語で営業トークをするのですが、一部相手にどうしても伝わりきらないこともあります。
お客さんの反応がいまいちパッとしない、あら、この中国語は伝わってないな、と感じることがあります。

すると、隣で控えていた彼が、「要するに弊社の総経理が言いたいのは・・・」と代弁してくれるのです。

それは彼が私と長い時間を共にすることで、不十分な中国語の意図をくみ取るのが上手になっていたからだと思います。


残念ながら、今は彼とは別の道を歩むことになってしまいました。
が、新しい相棒も彼と同じように、私の脳内を理解する優秀なエンジニアで、ときに瞬間自動翻訳機みたいな機能を携えてくれています。

少し冗談のように話してしまいましたが、私の言いたいことを「正確な中国語に変換してくれる」という能力は、中国語を学ぶ上でめちゃくちゃ参考になります。
しかもタイムリーに変換してくれるんですから、こちらとして「ああ、なるほど」と納得しやすい。

時間を置いてから「あのときの言い方だけど、こういう風に表現したほうがいいよ」と言われるのだと、タイムラグがありすぎて覚えられません。

必死になって伝えようとするときに、一緒に必死になっている瞬間にこそ成り立つことかもしれませんが、とにかくこれは大きな成長の助けになりました。


4.中国語教室の宣伝。

人によって求める環境や成長できる環境は異なります。
もちろん本人の努力も必要ですし、望んでも実現しない環境もあるでしょう。

改めて見ると、私は大変運がよかったと思います。
また、しっかりと基礎があったことは成長の大前提だったとも思います。

それから、私自身英語が苦手と書きましたが、反面、漢字は大の得意でした。
日本語の漢字の成り立ちや意味そのものを連想して、中国語の単語を理解することが度々あります。

そういった意味では、中国語がマスターしやすいセンスのようなものはあったと感じています。

逆に言えば、大学の第二外国語が中国語だった、とか、以前少し習ったことがある、その後学ぶのを止まってしまったということをよく聞きます。
また、駐在生活になる前に基礎を学んでおくことで、結果が全く異なってくると思います。

私からすれば、どれも勿体ない。
日本人からすれば、キッカケ次第でレベルアップしやすい中国語なんですから。

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