海外ノンフィクション、英語で書いてあるのと聞いてくる人

読書の話をする。

以前とあるエッセイのコンテストに応募した作品が、優秀作品に選ばれたことがある。好きなものについて書くというテーマで、短いエッセイを送った。

その時私は、大好きな「海外ノンフィクション」について文章を書いた。海外で起こった事件や、外国人の自伝を日本語に訳した海外ノンフィクションは、日本で刊行される本では味わえない刺激と魅力がある。

そのエッセイの中で、海外ノンフィクションの魅力を自分の言葉で語った。大型書店に行くと、必ず海外ノンフィクションの棚を見ることや、海外ノンフィクションの棚以外にも作品は並んでいる場合があることなどを綴った。

エッセイの最後は、海外ノンフィクションの魅力を広めることが自分の使命だという文章で終わっている。この気持ちは今でも変わっていない。

初対面の人と話すとき、自分のプロフィールを伝えるために、「読書が好きです」ということを相手に言う時がある。そうすると大体「どんな本を読むんですか?」もしくは「小説とかですか?」という質問が返ってくる。別に悪いことでは無いが、本といえば小説だと思っている人は多い。

普段どんな本を読むのかという問い掛けに、「海外ノンフィクションが好きでよく読みます」と答えると、少しだけ驚かれる。先に言うと、海外ノンフィクションは時に難解ではあるが、崇高なジャンルではないと思っている。驚く必要は全くない。

私が海外ノンフィクションを読むことを知ると「それって英語で書いてあるんですか?」と聞いてくる人がたまにいる。

まず、翻訳されていない状態で読めるものなら読んでみたいというのが第一の感想である。原書で読めたら良いなとは思うものの、私にそこまで英語の知識はない。センター試験でそこそこ高得点を取ったくらいである。

「海外ノンフィクションって英語で書いてあるんですか?」と尋ねてくる人は、海外の本が日本語に翻訳されて、日本の書店に並んでいるという事実に触れてこなかったのだろうか。ハリー・ポッターなどの事例を思い浮かべると、すぐに「日本語で書かれているだろうな」ということは想像できると思うのだが。

本の知識が無い人に対して怒っているわけでも呆れているわけでもなく、本の世界が知られていないことがただただ悔しい。あと単純に「日本語で読んでいます」と答えると、「英語は読めません」と宣言しているみたいで情けない。

やはり、どんな人もいろんな本に触れてほしいと思うのが、最終的な結論である。とはいえ、私が英語を勉強して「英語で読む時もあります」と答えるのが、一番良いのだろうか。

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