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【エッセイ】懐かしいを自称するお菓子

家から遠くない距離に、大型ショッピングセンターがある。自転車で行っても疲れない距離とだけ言っておく。

服屋や書店など様々なお店が並ぶ中に、店内の雰囲気とは似つかわしくない駄菓子屋がある。そこだけ壁が濃い茶色にデザインされており、いわゆる「昔ながらの駄菓子屋さん」という体裁を保っている。

普段そのショッピングセンターを訪れた時は、その店には見向きもすることなく素通りしているのだが、その時は中に入ってみた。

基本的には子供が訪れるお店なので、商品のお菓子は比較的低い位置に置いてある。じっくり売られているものを見ると、意外と「駄菓子」の枠には収まらない、コンビニでも買えるようなチョコやグミなどが置いてあることに気が付いた。

さらに見ていくと、「懐かしの」という宣伝文句が付けられたお菓子がいくつかあった。

そこでふと思う。「お菓子はいつから『懐かしの』という枕詞が付けられるのか?」と。ポテトチップスやチョコボール、グリコなどは、昔からあるのに「懐かしの」が付かない。「懐かしの」が付くものと付かないものの違いは何か?

きなこ棒には「懐かしの」が付いていた。確かに”昔のお菓子”のイメージがある。でも、昔からずっとあるイメージもある。きなこ棒にも旬だった時期が間違いなくあって、そこから外れると即座に「懐かしの」が付けられるのだろうか。きなこ棒に「懐かしの」が付いた瞬間が必ずあるはずだ。

たとえば一つのインパクトのあるギャグで一世を風靡した芸人がいたとする。そういう芸人は「テレビに毎日のように出る時期」が終わると「テレビに出ない時期」を経て「『メディアに出なくなった人』というくくりでテレビにちょこちょこ出る時期」に突入する。そういう人たちを久しぶりに見て、「懐かしい」と感じることがある。しかし、その人は芸人を辞めていたわけではない。テレビ以外の場で芸を披露している場合がほとんどだ。それでも、多くの人にとっては、テレビ以外でネタを披露していることには興味が向かない。

特定の対象物を見て「懐かしい」と感じるかどうかは、その人次第だ。芸人側が「懐かしいでしょう?」と言う必要もないし、商品側が「懐かしの」を自認する必要もない。

それでも、「懐かしい」はウリになる。「見た人に『懐かしい』と感じさせることが出来る」というポジションが、間違いなく存在する。だからこそ一発屋芸人は特定のくくりでしかテレビに出てこないし、きなこ棒には他のお菓子にはつかない「懐かしの」がつく。「懐かしさ」を与えることが出来るのは、彼らの特権であり、個性である。

人々の目に見える場で輝いていないと、勝手に「過去の懐かしいもの」というレッテルを貼られてしまう。きなこ棒だって、存在を途切れさせることなく、何年も売り場に並んでいるかもしれないのに。

私はそんなことを考えながら、店を出て、一階の食品売り場でガムを買った。ガムを買うのは久しぶりだったので、少し懐かしかった。

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