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【エッセイ】お笑いライブに通っていた頃の思い出①

数日前に高校時代の私とお笑いの話を少し書いたので、今回の記事はそこを掘り下げてみようと思う。

私が高校生の頃、芸人さんを取り囲む状況としては、「ショートネタブーム」「爆笑レッドシアター全盛期」「ピカルの定理放送開始」「お笑い雑誌が多数刊行」などのキーワードで語られると思う。それに付随して、当時の自分のようなコアなお笑いファンとしては、東京吉本の芸人さんの主戦場である「無限大ホール」の無料生配信の存在が大きかった。その影響は半端な物ではなく、「テレビにはほとんど出ていないけど、劇場では大人気」というコンビやトリオが多数いた。

私の地元の広島県にも、吉本の支部がある。家電量販店の最上階に200人くらいが入れる常設の劇場があり、毎月広島吉本の芸人さんだけのお笑いライブも行われていたが、私が通っていたのは、月に一度の東京・大阪からゲストを数組呼ぶ、ネタとコーナーのライブである。

そのライブに毎月のように通い、数え切れないほどの吉本の芸人さんを生で見た。賞レースでチャンピオンになる遥か前の、とろサーモンやライスも見た。R-1で優勝した直後の佐久間一行さんは、MCのカリカに紹介を飛ばされて、「ちょっとちょっとー!」と舞台上に飛び込んできた。

記憶の限り、見た範囲だと、ネタ中に大きな笑いが一番ずっと続いていたのは、ザ・パンチだった。浜崎さんがかっこつけて、松尾さんがひねったワードで嘆きながらツッコむスタイルを変えて、同じシチュエーションでひたすら違う角度のボケをし続ける羅列型の漫才で、爆笑を取り続ける二人の姿は今でも印象に残っている。

瞬間最大風速で言うと、ネタが世間に知れ渡る前の、2700の「右ひじ左ひじ交互に見て」の「胸見て、肩見て、トントントントン、さあ来たよ」の瞬間に起きた笑いの大きさは凄まじいものがあった。

ライブの最後には、席の番号で抽選を行い、お客さんの中の5人に出演者全員のサインの寄せ書きが当たるコーナーがあった。私はライブに何度も通って、一回だけ当たったことがある。もらったサインを見て、おそらく誰が色紙の中心にサインを書くか、出演前に話し合いが行われて、最終的に出演者の中で一番芸歴が上の人が中心に書こうとなったはず。そうでも思わないと、かまいたちやチーモンチョーチュウのサインが端にあって、中心にライオンの絵と共に「心配ないさー」と書いてある説明がつかない。

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