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【エッセイ】Twitterとの距離感

今日もどこかで誰かのツイートが大きな反響を呼んでいる。

そのツイートは瞬く間に拡散されて、賞賛のいいねが止まらない。そういったツイートには、見知らぬユーザからのリプライが付きものだ。そのリプライの内容は、100%肯定的だったり、そうではなかったりする。

リプライを送った人間からしたら、突然自分のタイムラインに、知らないユーザのウケてるツイートが流れてきて、読んだら自分も思うことがあったので、一言添えてみた、といった感じかもしれない。そこからそのバズったツイートをしたユーザをフォローしない限り、再びTwitter上で出会う可能性は低い。一度限りの出会いだ。

しかし、リプライを送って、送られて、終了。ではなく、バズった後もその人のTwitter人生は続く。バズった時に自分の元に届いた一つのリプライが、今後のTwitter上での行動を変えてしまうかもしれない。ただ、送った側は、面白いツイートが見えたからリプライしただけで、深い意味は無いと言うだろう。

私はというと、最近Twitterと距離を取っている。
理由はいくつかある。

一つは、「Twitterでウケてもな…」と思うようになったこと。前までは「少しでも多くのいいねが欲しい…!」と思いながらツイートしていたが、最近は「ここでウケたとて、その先に何がある?」と思うようになった。今では、信頼しているごく一部の人から反応があれば万々歳だと思ってツイートしている。

もう一つは、「自分のタイミングで見たいツイートと出会いたい」という考え方になったこと。自分のタイムラインは、ユーモアと教養と告知と日常がごちゃ混ぜになっている。ネタツイを見たい気分ではない時にネタツイが目に入って「今はいいです」という気分になったのが最近だ。
教養的なツイートに関しても「自分のタイミングで学びたいな」と思う気持ちが強くなった。

Twitterから距離を置くと、フォロワーを増やしたいという気持ちも減ってきた。元々大したことをつぶやいていないので、増えなくて当然なのだが、たまに増えてもそんなに嬉しくない。フォロワーを増やす気が無いので、好きなものなどを詳細に書いていたプロフィールも「記す者」の一言に変えた。プロフィールを変えると、今まで背負っていた自分を下ろして、少し楽になった気がした。

とはいえ、連絡や交流、告知や情報収集の手段として楽ではあるので、アカウントを消すつもりは今のところない。どちらかと言うと、noteのフォロワーをめちゃくちゃに増やしたいと思っている。

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