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【近況日記】2022年02月25日〜03月03日

この一週間で起きた身の回りの出来事や、ふと思ったことをいくつか書きました。軽い感じで読めると思います。


夢の中で、パソコンで映像を観ていた。おそらく配信ライブか何か。画面の中には3人の人物が横並びに並んで座っていて、両端は誰かわからなかったけど、中心にバカリズムがいたことは覚えている。
ある程度映像を観ていると、バカリズムがライブの告知を始めた。「今度漫談のモノマネライブをやるんですけど…」と言いながらチラシを出していた。いろんなスタイルの漫談家を演じるライブらしい。「架空の芸人を演じるネタ」は、ジャルジャルが結成当初からやっているパターンだが、私は夢の中で「バカリズムらしいな~」と思った。

通っている就労移行支援の事業所を出て、帰りの電車に乗った。車内はある程度空いていて、どこに座ろうか周りを見渡していると、近くの人が、座っている席の横に置いていた自分のカバンをどけてくれた。「これはもうここに座れってことだな」と思い、元々カバンが置いてあった席に座った。そのカバンをどけてくれた人は、おそらくスマホでゲームをしていて、「あっ」とか「そうかー」とか、はっきりと声を出していた。カバンをどけてくれた人がする行動とは思えず、少し驚いたのだが「そういう人もいるか」と思い、自分を納得させた。たった数分のうちに、人間の二面性が見れて、少し面白かった。


とある人物のWikipediaを読むと「影響を受けた人物」「影響を与えた人物」という項目があった。元々Wikipediaに確実性は求めていないけど、そんな曖昧なこと堂々と記載して良いのかと思った。誰かからの、もしくは誰かへの影響なんて、どうやっても証明出来ないはず。厳密には「影響を受けたと公言している人物」みたいに書くべきでは。何をもって「影響」とするか、少し考えてしまった。

話題の恋愛映画を観た。自分の過去の交際や、今後の恋愛の展望を思い浮かべてしまったから、良い作品なのだと思う。私は他人に性的欲求を向けられないので、性的な行為を求められても拒絶してしまう。異性に恋愛感情は抱くものの、人から「好きです」と言われても、理解が追いつかないかもしれない。好きという気持ちは肉眼で観測できないので、好かれても「本当に好きなんですか?」と疑ってしまうと思う。私が「女性として」人を好きになれないので、「男性として」好きと言われてもよく分からない。どうせなら、自分の才能とか、行動とか、創作物とかを好きになって欲しい。

ここ最近体調が芳しくなく、平気だったことが平気じゃなくなってきているのを感じる。これまでの職場で受けたストレスにより、男性と接することに恐怖を感じるようになった。特に、その人との距離が近いと、怖さが増していく。通っている事業所では、毎週月曜日の午後は男性スタッフによる講座で、これまでは特に恐怖を感じなかったけれど、最近になってどんどん怖くなっていった。
恐怖と不安を感じることが増えたと主治医に伝えると、それは元々抱えている統合失調症の症状で説明がつくと言われた。実際は他にも適応障害とか社会不安障害とかが併発しているのではないかと思ったので、それを確かめるべく、別の心療内科を訪れた。そこの先生に、男性と接するのが怖いと伝えると「苦手な人とは無理して話す必要はないですよ」と、何の解決にもなっていないアドバイスをされた。診察中もどうにかなりそうなくらい恐怖を感じていて、診察室を出る頃には、普段通り歩けなくなっていた。
後で調べると、適応障害のような症状があっても、統合失調症と診断されたらそっちが優先されるとのこと。その日もらった診察券は、近いうちに燃やしてしまおうと思う。


通っている事業所で、トランプのババ抜きをする機会があった。山ほどあるトランプの遊び方の中で、一番メジャーと言っても良いババ抜き。誰でも説明および理解が出来るほど簡単なルールだが、毎回誰かがあがった時に、次に誰がどうするのかが、一瞬だけわからなくなる。これまで様々な人と何度もババ抜きをしたが、ここがスムーズに進んだためしがない。ルールを覚えていても、誰かがあがった時、次に誰がカードを引くのかを、誰もちゃんと説明出来ない。
ただ、その瞬間は「あれっ?」となっても、次の瞬間には誰が誰のカードを引くのかを導けているので、ゲームに支障をきたすことはない。これがゲームに影響するくらいわけがわからなくなったら、「この時はこうしよう」としっかりと決めるはずだが、毎回そこまで困らないので、誰も一瞬だけゲームが止まったことに目が行かない。よって、もう一度やった時に、もう一度困る。それを延々繰り返していることに、誰も気付いていないのが、ババ抜きの恐ろしさである。


「戦争反対」って言葉と同じくらい「心が辛いと思ったら刺激の強いニュースや情報を見るのを控えましょう」って言葉をTwitterで見た。たまたまリツイートで流れてきた「刺激を避けましょう」というツイートをした人のアカウントを見ると、「避けましょう」とは言っているけど「戦争反対」みたいなことは言っていなかった。ひとつのSNSだけで判断するのは良くないけど、刺激から避けている人の代わりに反対を表明するという選択肢もあるのになと思ってしまった。おそらくその人は、フォロワーから「寄り添う」言葉だけを求められている人なのだろう。「寄り添う」って「優しい」言葉を発信するだけではないはず。そもそも「優しい言葉を言う」ことが役割の一つとして求められているって、どれだけ生きづらい世の中なのか。あまり関係ないかもしれないけれど、最近は「毒にも薬にもなる」言葉が「毒だ」と批判されて、「毒にも薬にもならない」言葉が「薬だ」と賞賛されている気がする。


最近、テレビでもYouTubeでも「登場」で良いところを「参戦」って言っていることが多い気がして少しひっかかる。強い言葉を使うと盛り上がるのはわかるけど、強い言葉を使うことで生まれた盛り上がりなんてたかがしれてると思う。

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