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五山の送り火の思い出

学生生活を4年間京都で過ごした私は、バイトを理由にお盆にも実家に帰らない子供でした。18歳になってすぐに家を出てから、51歳になるまで私は第2子里帰りの期間をのぞくと本当に両手で数えられるくらいしか実家に帰っていない気がします。なんて薄情な娘なんでしょう。

そんな私ですが、1回生の夏は、友達と一緒にパチンコ屋さんでバイトをしていました。百万遍にあるそのパチンコ屋さんで、落ちた球を拾い、手垢で汚れたスロット台を拭き、終了確認願いますと放送をかけ、あまり玉のチョコレートを渡し、いらないというお客さんの分はもらって帰り、閉店後は球を数える機械の集計と掃除という仕事をこなし、休憩時間には食券をもって、パチンコ屋の経営するお寿司屋さんで毎日お寿司を食べるというそんな夏休みを過ごしていました。

8月16日、それは五山の送り火の日。
その日ももれなくバイトです。いつもはほぼ常連さんばかりの店内が、送り火待ちの間の時間つぶしの一見さんばかりになりました。送り火を見に来てパチンコで時間をつぶす、なんだかもったいないようなそんな気がしなくもないですが、お客はお客です。私はいつもと変わらずせっせと働き、外に出て送り火を見ることもなく、閉店時間を迎えました。

閉店後、私にその日回ってきた仕事は、球数え機の集計と掃除でした。ボタンを押し間違えてその日のデータが吹っ飛んだら、怖い怖いあの店長にどれだけ怒られるかわからない、そう思いながら注意深く注意深く、仕事を進め、まずは集計データの印字を失敗することなくできました。次は機械の掃除です。全体をふきあげ、球が流れていくところにゴミが入っていないか、ふたを開けました。そしたらなんと、そこには、500円玉がいっぱい!!!
一見さんたちが、球と一緒に500円玉を球数え機に入れてしまったようです。ええ、もちろん周りを確認して全部私がもらいました。常連さんたちはそんなミスはしません。ありがとう一見さんたちよ!

本当にどうでもいい思い出ですが、私にとっての大文字は、500円玉とともに思い出されます。あのパチンコ屋さんは今でもあるのでしょうか。
百万遍モナコ、グーグルマップで調べてみよう。


調べた結果。
セブンイレブンとサイゼリアになっていた・・・笑


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