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娘を外出させること

数日前から次女がしきりに、友達の家に遊びに行きたい、と訴えてきていた。この国は女の子が一人で遊びに行くようなことはほぼない。全くない。親もさせない。街でも見ない。高校生くらいになったら子供だけで行動している子を見ないでもないが、ひとりではない、誰か友達といる。

なので友達の家に遊びに行くということは、親が送迎するということになる。

誰とでも遊んでいいというわけでもない。そもそも生活レベルが違う人が多すぎる。価値観も宗教も違う。そういう壁を乗り越えて付き合うのはまあなかなかに難しい。

なので、結果的に我が家の女子たちは友達の家で遊ぶということをほとんどしてきていない。私が外国人でいまいちなじめていないというのはかなり大きいが、この国の人である夫こそ厳しい。

で、冒頭に書いたように次女の話。
友達のお父さんが迎えに来てくれるといっているから遊びに行かせて!
と。

おいおいおいおいおい、
そんなことできるかいな。

現在、しつこいくらいに私は書いているけれど、国の状況はなかなかに厳しくて、思うように給油できない燃料不足なのだ。職場の隣の席のМ君は仕事があるので土日しかガソリンスタンドに並べず先週末は結局二日並んで給油できなかったようだ。
М君に限らず、だ。
燃料不足により、送迎ができないということで学校はオンライン授業もしくは休みになっている。
我が家も夫が仕事で必要なディーゼルも、車に給油したもの(我が家の車はディーゼル車です)を、抜いて、仕事に使っているという状態なのだ。それも長時間並んでやっと手に入るわけで。

その状況で、娘を遊びに行かせます、お迎えお願いします。って言えますかね?遊びに行くということは迎えに行く必要があるということですよね。

ということを次女に説明したものの、納得するわけがない。
1キロ先のガソリンスタンドの行列が我が家の前の幹線道路に続いているこの状況を見せて説明しても納得するわけがない。

かわいそうだとは思う。

でもできないのよ!!!!

怒りでいっぱいの次女にどんどん腹が立ってくる我ら親。

そこに長女が参戦。もちろん次女の味方。燃料不足というクライシスのせいにしてるけど、パパもお母さんもこんなことになる前から遊びに行かせなかったじゃない。燃料不足のせいにしなくてもいいじゃない、と。

正論過ぎて、余計に腹が立つ私。

自分の理想を追い求めて子育てをしなくなったのにはこういうことが根本にあるように思う。もうめんどくさいのだ。この国の習慣に対抗できるだけの思想も持ち合わせていない私は、ただ従うしかない。それを子供たちに押し付けるしかない。小さい頃はよかったけれど、ここまで大きくなるともう無理。冷静に反論されるだけである。

もちろんこの国で子育てしている外国人の方で理想通りの育児をされている人はたくさんいる。この国でできないわけではない、私にできなかったというだけだ。

自分で自転車をこいで遠くの友達の家まで遊びに行ったことも、小さな滝がある森へ冒険に行ったことも、急こう配の坂道で何往復も自転車でくだったことも、私にはたくさん経験があるけれど、自分の娘には一切ない。学校から自力で帰宅する、そのことすらさせることができない。

過保護、というのとも違う気がする。これは文化だ。私が娘には説明ができない文化なのだ。なぜお兄ちゃんはよくて私たちはだめなの?と聞かれても答えようがない文化なのだ。

不機嫌なままの次女はオンライン授業の合間にも、その友達とチャットをしている。私は仕事中にそのチャットをのぞき見る(私のスマホと同期できるものでしか今のところチャットをさせていない)。両親に怒られた、などとつづっている。

私はこの問題をどうとらえたらいいのかさっぱりわからない。

来週はオンライン授業ではなく学校があるようだ。
学校で友達と過ごせることができればまた気持ちも変わるかもしれない。
が、まあそれは次女の問題だ。私に次女の気持ちをコントロールすることはできない。

おそらく来週あたり長女が友達と遊びに行くと言い出しそう。

ああ、憂鬱。

私はどうすればいいんだろう。

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