仕事を教えるのが苦手すぎる

言い方なのか、性格なのか、そのどちらもなのか。
とりあえず、私は人に仕事を教えるのが苦手すぎる。

説明するのが苦手、ではない。むしろ説明するのは得意だ。
人に伝えるくらい自分の中に落とし込まれたことであるならば、内容を頭の中で整理して、理路整然と順序だててスラスラ話せる。これは仕事に限らずなんでもそう。説明すること自体は嫌いじゃないし、苦手意識をもったことも特にはない。

じゃあ仕事を教えることむしろ得意なんじゃない?と思うかもしれないが、まったくもってそうではない。
なぜならば。
私が仕事を教えるとたいていの場合、教える相手を委縮させてしまうのだ。伝え方なのか、態度なのか、おそらくその両方なんだろうが…
私自身に反省すべき点、改善すべき点が多々あるからこういう事態になっているわけなので、それをこのnoteを書きながら考え、己の行動を顧みようと思う。

1回教えただけで委縮させるほどではない。さすがに。
委縮させるのは同じ説明をするのが2回目以降になったときだ。

ぶっちゃけた本音を言えば、一度話したことは7~8割くらい理解してほしい。なお短期間に同じ相手に何度も同じことを繰り返し説明するのは好きではない…苦手だ。
教える側としては、説明を受けてわからなかった箇所については早めに質問してほしい。
そして教えたことについては、次回自分のメモを見ながら6~7割程度、再現できるようになっていてほしい。

こうした願望が態度が漏れ出て、相手に伝わり、委縮させてしまっているのだろう。
では、私はなぜこのような考えを持つに至ったのか。

思い返せば私は、教えたことは1回でできるようになれ、と学生時代のアルバイトでも、新卒で働いた会社でもずっと叩き込まれていた。
1回で完璧にできていたことはないが、これは仕事をする上で当たり前の姿勢なのだと信じて疑わなかった。

なにか新しく仕事を教わるときはとにかくメモをとる。
必要であればあとで時間を作ってメモをまとめて自分なりに咀嚼しておく。そして次回は、メモを見ながら教えられた仕事内容を再現できるように努める。気持ちの上で100%を目指しておけばだいたい7割弱は再現できる場合が多い。
実際やってみてできなかった・抜けていた残り3割は補足を受けて徐々にできるようにしていく。

教わっただけではいまいちよくわからなかったことも、自分で実際にやってみると意外とすんなりできたり、解像度が上がって理解できることがある。そのため、1回で100%の再現は基本的に難しい。
ただ、おおまかな手順や操作、特に注意すべき点については一度説明を受けたのであればメモを元に再現できるようにしようと意識しているのだ。
記憶としてすぐに完璧に定着しなくてもいい。まずは、メモを見ながら手順を再現できればそれでいい。あとはやっていくうちに自然と記憶として定着していくのだから。

私自身がこういうマインドを自分に課して仕事に向き合うのは問題ない。
問題なのは、このマインドを教える相手にも無言の圧力として与えてしまっていることなのだ。

私は心のどこかで、自分が「当たり前」としてやっていることや考えを相手に求めてしまっている。
でも現実は、そこまで意識している人ばかりではないし、同じくらいの意気込みを持っていたとしても覚えの速さ、なにが大事なことなのかわからないためメモを取るのが苦手、そのときの頭の許容量のちがいなどなど…
人それぞれなのですぐに覚えて仕事が出来るようになる人ばかりではない。
頭では1回教えただけではできない人もいる、と理解しているはずなのに、いざ教えるときになるとそういった視点がつい抜け落ちてしまう。

かくいう私だって、すんなり頭に入ってくる分野もあれば、そうじゃない分野だってある。
自分にとっての苦手な分野、今まであまり触れてこなかったジャンルというのは基礎ができていないので、覚えるためのコツをつかむのに時間を要する。
私も、新卒入社で入った会社では教えてくれる先輩に何度も同じことを繰り返し聞いてしまい厳しく怒られた経験があったじゃないか。

「ちゃんとメモとった?じゃあそのメモは自分がわかりやすくなるようにまとめた?何回も同じことを聞くっていうのは、教えてくれている相手の時間をいたずらに奪うことになるし、とても失礼なことだよ」

「新人にとっての仕事は、とにもかくにも仕事の内容とやり方を覚えることだよ。そのために先輩たちは自分の通常業務と平行してあなたの教育に時間を割いているの。給料をもらう以上、一日でも早く仕事を覚えて、戦力になれるように努力することが今のあなたにできること」

これらは社会人になりたてのころ、会社の先輩から言われた言葉だ。
私の中にはこの言葉が心に刻み込まれている。

同じことを質問された相手がどう思っているかは相手によるので一概にこうとは言い切れないが、最初の説明に10分かかったとして、2回目にまた同じ内容を私が質問したとしたら。
1回で私がメモをしっかり取ってできるようになっていれば、教育係の方は私に使う時間は10分で済む。しかし、もう一度同じことを聞けば、倍の20分を私のために費やすことになる。タイムイズマネー。
自分の記憶力をあてにせず、とにかくメモをとっておかねばとなる。


新人時代の私は、なかなか仕事の要領を掴めず四苦八苦していて、つねに業務が回らず、朝は早く出社し、夜も遅くまで残業をしていた。
そのため、家に帰るとぐったり疲れていてその日教わったたくさんの走り書きメモをすべてきれいにノートにまとめるなんて気力も体力も残ってなく。途中までしか復習ができないまま翌日出社し、また同じことを先輩や上司に聞いては怒られて。
自分が悪いとわかっていても凹むし怒られることにストレスも溜まるしで負のループにハマっていた。

それなら休みの日にノートをまとめればいいという話だが、休みの日は基本的に仕事のストレスを発散すべく予定が詰まっていて、予定がなければ日頃の疲れをとるために一日中泥のように眠っていた。休みの日くらい仕事のことを忘れていたかった。

結局、教わったことの6割程度しかノートにまとめることはできず、走り書きメモとにらめっこしながら働いているうちに日々はどんどん過ぎた。
周りからは覚えが悪い悪いと散々怒られつつもいつの間にか仕事を覚え、それなりに早く業務をこなせるようにもなっていた。


こうして思い返してみると、自分だって、だ。
もうだいぶ前のことで忘れていただけで、あのころの私は(覚えなければいけないことが多かった事実を差し引いたとしても)仕事の覚えが悪く、仕事を覚えるために必要な努力も怠っていた。
他者に一発で大筋をつかむことを求めたり、メモをきっちりまとめてないことに怒ったりする資格などないだろう。

それじゃああのとき、新卒のころたくさん仕事で泣いていた私はどんな言葉をかけてもらっていたらうれしかっただろう。

「メモまとめる時間はとるから急がずゆっくりでいいよ」

「一度に全部覚えようとしなくていいからね、少しずつできるようになろう」

「わかんなくなったらまず聞いてね」

きっとこういう言葉たちだ。
仕事の内容を漏れなく説明することだけが「仕事を教える」ではない。
ちゃんとフォローの言葉もセットにしてあげなければならない。私にはこのフォローの言葉が足りていなかったのだと気づいた。
こういう言葉があるかどうかで気の持ちようは変わるし、教わる側はいくらかでも委縮せずに済むのではないだろうか。

教える側と教わる側と、両方の立場を経験して見えてくることがある。

教わる側の立場としては先に書いたようなマインドを持っているに越したことはないだろう。
ただし、いくらマインドだけ立派だとしても許容量オーバーで追いつかない時もあることを忘れてはいけない。初めて経験することは要領がわからないからこそ覚えるのも苦労するのだと肝に銘じる。

教える側の立場になったときは、伝えるべきことは伝えつつ、必ずフォローの言葉をセットにする。
前にできていなかったことができるようになったらちゃんとできているよ、ばっちりだよと伝えて褒める。
そして大事なことは、「仕事を教えること」の中には複数回同じことを説明する行為も含まれているものだと思っておく。1,2回同じことを質問されたくらいで「前に言ったでしょ?」は通じない。
この心構えも私に欠けていたことだと大いに反省した。

今なら企業が新人教育を若手にさせる理屈がとてもよくわかる。
人に教えることで自分も知識を深められるだけではなく、新しい視点を獲得し、学びがたくさんあるからだ。
私は1:1での新人教育をする前に新卒の会社を辞めてしまったので、その後は身をもってこうした経験をせずに過ごしてきた。きっと今が学びの時なのだろう。

自分を顧みる機会になって本当によかった。
伝えるべきことは伝えつつ、急かさず圧をかけず(大事!!)相手の様子を見て、仕事を覚えてもらえるようもっと工夫していこう。

私が仕事を教えるのが苦手かどうかは、自分が変わる努力をしてから判断したってきっと遅くないはず。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?