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日本教育史:近代

明治時代

井上毅元田永孚により起草された「教育勅語」は、明治天皇が臣民に与えるという形で発布された。天皇を中心とする家族国家を前提に、忠君愛国と日常生活実践としての儒教徳目を教え、徳化するというものであった。宗教ではない(帝国憲法と井上自身による言明)とされ、具体的教義を持たなかった国家神道に儒教徳目を密輸入する形で、臣民の道徳教育を実現しようとした立憲的国家主義者井上と漢学者元田の苦心の結果だが、のちに国家主義者に利用されるようになっていく。また、軍には「軍人勅諭」が発布された。

欧米の進んだ科学技術を熱心に導入した明治政府は、お雇い外国人らを入れ、研究機関を次々と設立し、世界的水準の研究成果が次々と発表されるようになった。経済学では田口卯吉医学では北里柴三郎志賀潔野口英世らが先陣を切って研究を進め、薬学では高峰譲吉鈴木梅太郎秦佐八郎らが高い研究成果をあげた。また、物理学地震学化学植物学などが発展し、長岡半太郎牧野富太郎ら優秀な人材を生んだ。しかし、欧米政策への批判から次第にナショナリズムが台頭。更に資本主義の進展と共に社会的矛盾(貧富の格差の拡大など)が顕著となり、それを批判して社会主義思想が登場した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

明治時代にこれだけ変化が起きたのは、幕末までに変化できるだけの素地が培われていたのでしょうね。

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