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友情ってなんだろう?「あなたの隣に・・・」

ある女性だけの会と出会った私は、月に1度の例会に初めて出席した日に彼女と知り合った。
とてもチャーミングで、最先端のオシャレがさまになっており、50人ほどのメンバーのなかでもかなり目立っていた。

同じテーブルに座り自己紹介し合い、乾杯をした。他に2人の初参加者もおり4人で自然に話すようになった。

例会ごとに親しみを増す私たち4人は、例会終了後も立ち去り難く、そのホテルの1階のティールームに移動して、時間が許す限り、さらにおしゃべりを楽しむようになる。
時には他の人たちも入れて、賑やかな夜を過ごすことも多かった。
お互いの仕事の話で盛り上がり、家族の近況を語り合い、長い夜は更けていった。


ゆるやかな時間が流れるそんなある夜のこと、彼女が胸にたまっていた悩みを打ち明けた。1人息子に予想以上に手がかかるとのことだった。
それ以後、現状を維持しながら成長を見守り、その子に最適な学習環境をどう確保するかが私たち4人の関心事になる。
長所を伸ばし、短所を補う支援の必要性を論じ合い、将来的な展望までも真剣に話し合った。

努めて明るくふるまう彼女の苦悩を知った私たちにとって、互いに支え合うことが暗黙の了解になった。


例会の度に同じ席に座り、彼女の一挙手一投足に注意することが私に課された役目となり、呂律が回らなくなるほど飲酒がすすむ彼女を心配しながらも見守り続けた。
食事の合間にテーブルの上に並べる処方薬の量がだんだん増えていくのに危機感を覚えた私は「そんなに薬が必要なの?」と問いかけると、悲しげにうなずく。
精神を安定させる効用がある処方薬が手放せないらしい。ときに、自暴自棄になり、立ちすくむこともあるという。
「ぜったいに変なことを考えちゃダメよ!」と諭すが、「うん、うん」とうなずくだけでなんとなく心もとない。


そうこうするうちに息子君はどんどん成長していき、中学生になり、今度はその先を考える時期に来ていた。
彼女の悩みはつきない。成長すればするほど問題が大きくなってくることもあるからだ。この会ではもうしたいこともなくなっていることに気づいた私たち2人は、次の例会で卒業することを選んだ。

この会は、毎月の例会をプロデュサー式で行うことになっており、最後の花道として私は司会に立候補し、彼女に補佐を頼んだ。例会を成功させるためにはいくつかの準備が必要であり、台本を作り、役員会で諮らなければいけない決まりとなっている。

私は、食事の後に「ゲーム」を考案した。各テーブルで問題の解答を出してもらい速さを競わせることにした。
このアイディアは大成功で、かなり盛り上がった。
初めての司会を務めた私も終始リラックスして臨むことができたことを誇りに感じたくらいである。


この日が私と彼女が同席する最後の例会となることが胸をよぎりながらも最後まで楽しむことができた。もちろん仲良しの2人も一緒だ。
「これでもう最後なんだな」と一抹の寂しさが込み上げ、涙ぐむ4人。
でも、10年という長い月日を共に歩んだことは生涯忘れることはないだろう。

✿✿✿

思い返せば、一緒のテーブルで食事をしながら、彼女の口から語られる苦しい言葉を幾度となく耳にしてきた私にとっても辛い日々だった。
仲が良ければ良いほど親身になって感じてしまうことの苦しみを知った。

彼女が笑えば私もうれしくなり、彼女が泣きそうになると私も涙がにじむのだ。これは「同期」するということなのだろうか?
彼女の悩みが年を追うごとに深くなるにつれて、私も鬱々とすることが多くなった。同じ境遇を生きる苦しさを知らされた。

それでも私は彼女が好きだった。だから居心地の悪さも忍んだ。そして、最後まで寄り添い続けた。
それが私の友情の表し方だったのだ。

★★★

すべてが終わり、その後は年賀状だけの付き合いに移行した時、私は意外なことに気づいた。気持ちが軽くなっていたのだ。長年友だちの心に共感していた呪縛とも言えるものが私から遂に離れたことを悟ったのである。

「そうだったのか・・・」無情と言われるかもしれないが、それば私の本音であった。苦しみから解放されたことを痛感した。

毎年親子3人の写真入りの年賀状が届く。年ごとに成長した息子君の姿に「がんばって!」と声をかける私である。

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