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『人の本性が暴かれる瞬間を、私は見た!』第3弾

今回は『勧誘』という視点から見ていきます。

皆さんは『勧誘』という言葉から何を連想されるでしょうか?世の中にはいろいろな『勧誘』が存在します。街頭でのキャッチセールス(警察の取締り強化により現在はあまりみかけませんが)・ティッシュ配り(これはありがたいものですね)・新聞購読(一時期問題にもなりました)・宗教等、誰もが一度は経験があるのではないでしょうか。

そこには人間の欲望・弱み(友情や忠儀心)・関心等を利用した「テクニック」が隠されています。

私の経験からいくと、これらが全て当てはまるものでした。「~を友だち、知り合いに紹介(勧誘)したら~という役得がある」や、(自分との友人関係)を前提とした「~に一緒に来て」などでした。そのなかで最も嫌な思いをしたことをここではお話していきます。


① 宗教『勧誘』
これには3度引っ掛かりました。
1度目は、幼馴染の友人の家に数年ぶりに遊びに行った時、ある集まりに連れていかれたのです。そこは〇〇教の集会でした。目的も場所も知らずに誘われるがまま集会に参加したわけです。それが彼女との付き合いの最後になりました。

2度目は、ある事情で生活(精神的にも)が不安定になっていた時期のことです。本当にお世話になっていた友人宅に遊びに行きました。部屋に入ると知らない女性が2人座っていました。それぞれを簡単に紹介されてすぐに『勧誘』が始まりました。私はその友人が〇〇教に入っていることは知っていましたし、何度かそれに関する話も聞いてはいましたが、このようにあからさまなやり方は初めてでした。

私の苦境に同情するような言い回しで切々と自分たちの仲間に入るよう説得する2人連れに辟易しながらも、失礼にならないようにじっと耳を傾けることしかできない私でした。会合の間ずっとBGMとして、ある有名な女性歌手の歌が流れていました。後から知りましたが、この女性歌手はその宗教の信者でした。なんとも用意周到なことですね。

事前に何も知らせず、私の気持ちを無視したこの念入りな『勧誘』の仕方に、長年の友情にも疑問が湧き、その2人組が帰ってすぐに私はこの友人に告げました。「今度同じようなことをしたら友だちの縁を切る」と。
それからは今までの友人としての付き合いが続きましたが、私の心のなかでは彼女への不信感が消えることはありませんでした。

その後数年して、知り合いに聞いた話があります。その人の同僚が突然倒れ入院した際に、多少の付き合いがあったその〇〇教の信者数人が病室を訪れ、その人に『勧誘』をしたそうです。つまり、彼らは「人が窮地に立たされた時(弱気になった時)」を狙って誘いを持ちかけるということが分かってきました。数年前の私の経験からもうなずけるものでした。不幸な目に遭い、藁をも掴みたい時、人が何かにすがりつきたくなることは往々にしてあるものです。

『善意を纏った偽善』
そこにつけ入る宗教など迷惑以外の何ものでもありません。

3度目は、当時勤めていた会社の同僚で年下の女性から、これも何の目的も場所も知らされずに、同じ〇〇教の集会に連れていかれました。その会場は畳敷きで、何時間か正座を余儀なくされ、正座が苦手な私は言うに言われぬ苦痛に耐える羽目になりました。何かの講演やブラスバンドの演奏が延々と続くなか、心の中で歯を食いしばりながら足の痛みに悶々とするのみでした。
それでも私は彼女を責めることはせず、それからも友情は続きましたが、わだかまりが消えることはありませんでした。


② 〇〇ビジネス『勧誘』
これも経験のある方はいらっしゃると思います。ずっと以前に数回さまざまな『勧誘』の場に連れていかれたことがあります。その様子はだいたい同じようなものでした。

会場に着いてみると、いかにも「キャリアウーマン」といった生き生きした人たち(男性もチラホラ)が集まっており、主催者(その団体の有力者?)のスピーチ、商品説明、名刺交換などがあります。会場はなんとも言えない熱気に包まれ、いまにも入会しそうになりそうな勢いでした。

そこには意を共にする「仲間意識」のような空気が濃く漂いますが、そんなビジネス(それにかかわる人種)にまったく興味のない私はすべての団体から距離を取りました。理由はここでは言わないでおきますね。


さて、ここからはその後にあった印象深い経験をいくつかお話していきます。

その①
何かのイベントで魅力的な男性と知り合いました。一緒に食事に行くなどの付き合いが始まったある日、なぜか、何かの料理が美味しいとかの理由で、かなり遠方のお店で落ち合うことになりました。今まで聞いたこともない街のレストランで食事をしながら、会話はある方向に進み始めました。それを拝聴した時に今日の彼の目論見に私は気づきます。今まで何度か逃げたことのある〇〇ビジネスの話だったのです。

私の胸によぎったのは「ブルータス、お前もか?」という諦観でした。そんな私の気持ちを知らない彼は、きらびやかな話を滔々と語ります。食事が終わり帰ろうとする私に「ちょっと寄ってほしい所がある」と言い、ある一軒家に連れて行かれたのです。

そこには4~50人ほどの男女が集まっていました。これからいろいろな話を聴くということを知らされます。げんなりした私でしたが、友人の手前そんな態度を出すわけにはいきませんよね( ;∀;)

次から次とその日の登壇者の自慢話が続いていきますが、私の心には届きません。なぜなら、自分が座っている「椅子」に全集中していたからです。その会場に置かれてあったのは、見たこともないような小ぶりのパイプ椅子で、座面が堅いのです!

腰痛がある私にとっては耐えがたい代物でした。腰の痛みが増して来るにつれて何度も姿勢を変えながらひたすら腰の痛みに耐えます。「もう帰る!」と悲鳴を上げる寸前までいったのですが、2時間ぐらいした後に講演会はようやく終わりました。すぐにでも飛んで帰りたい私でしたが、連れてきた彼にうながされてもう少し留まることに同意しました。

すると、この家の主人の女性が座っているソファの前に人々が次々に跪いてなにかを話しかけています。興味を引かれた私はじっとその光景を眺めていました。その女性は先ほどの講演会の最後に話した人でした。ここに集った人々が彼女の前に文字通りにひれ伏し、子犬が主人に褒めてもらおうとシッポを振るさまを見た私は嫌悪感を覚えました。
同時に、私をいつもの会食と思わせてここに連れてきた友人にも憤りを感じました。この日以来彼への印象が変わったのは言うまでもありません。

その②
これも同じ〇〇ビジネスのお話です。あるイベントの女性の主催者に誘われて行った食事会での出来事です。私はその女性と2人での会食だと思っていたのですが、少し遅れて見覚えのある女性(Aさん)がやってきました。数日前にその主催者の会合に参加していた人でした。

食事が終わり、ロビーのソファでひと休みすることになりました。後から来たAさんと私が同じソファに座り、主催者の女性は独り離れたソファに座ります。当然私は「えっ?」と思いますよね?ここにヒントが隠されていました(*’▽’)

2人きりになった途端、Aさんがある話を始めました。どこかで聞いたような話です。そう、あの〇〇ビジネス『勧誘』の彼と全く同じ話でした。違うのは「豪華賞品」の内容でした。「あぁまたか…」と落胆しながらおとなしく聞いている私を説得にかかるAさん。

これで主催者の女性への信頼も一気に失せてしまいましたが、そんなことはやはり表面には出せません。ですが、今後もこんなことをされたら嫌なので「私はそういうことには興味がない」とやんわりと伝えて、その場から解放してもらいました。

だからと言ってその主催者の女性との交際を止めることはしませんでした。彼女とはその後2年間ほどグループ交際をしました。彼女はとても魅力的な女性だったのですが、不信感が抜けずにいたこともあり、ある機会に乗じてそのグループを抜けることにしました。

その③
これもあるイベントで知り合った女性の話です。初対面から意気投合し、イベント終了後にお茶をしました。その時に、ある〇〇ビジネスの話を持ちかけられたのでした。そのお勧めの商品は耳慣れないものでしたが、ひと通り説明を聞いたのちにこれもやんわりと断りました。

彼女との親しい付き合いはそれからも続きましたが、自然消滅して数年後に、街なかでばったり会いました。再会をしたのも何かの縁と考え直し、誘われるままに数日後に食事を共にしましたが、今度は別の〇〇ビジネスの話が出たのをきっかけに交際に終止符を打ちました。


こうして見てみると、『勧誘』には共通の要素があることに思い至りました。それは、ある目的を胸に秘めた人は「愛想」が良いということです。たとえ初対面でも自然に(巧みに)人に近づいてきます。

「これ」と定めたターゲット(誘いに乗りそうor騙されそうand人が良さそう)を素早く値踏みする能力に長け、あの手この手で迫ってくることです。〇〇ビジネスにおいては、自分に連なる人材を絶えず発掘する使命から逃れることはできないらしいので、彼らは必死なのでしょう。
その誘いに乗るのが良いか悪いかの判断は当事者の責任ですが、時には信じていた友人を失うこともあることを知っていた方がいいのかもしれませんね。

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