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【保存用ログ】第05回[20200504-0510]『戦争の条件』

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■0

こまつ
ワークショップ第五回、始まりました。
note記事と課題図書の読書よろしくお願いします。
今回はより具体化した事象を扱うことになりました。
みなさん理系がほとんどかと思われますが、忌憚のない意見をつらつらとよろしくお願いします。

■1

A
お先に勉強させていただきます。
本書の内容に囚われずということで読む前に今までの“自分の認識“を書こうと思います。読んだ後に180度変わるかも知れませんが
・大東亜戦争等過去の戦争に対する認識について
古今東西の戦争に言えることでしょうが戦争とは絶対に何かしらの得があるからやるわけであるので、それは根源的に否定をすることのできない人間の営みの一部と考えております。先の大戦でも日本はアジアを股にかけた戦争を欧米列強に仕掛けたわけですが、それも当時のエリートたちが日本という国を思えばこその行為だったのかなと認識しています。
・今の日本、世界の紛争戦争に対する認識について
現代は核兵器の登場によって戦争をするメリットよりデメリットの方が大きくなり、大国間による直接的な武力衝突はなくなりましたが依然情報戦が繰り広げられていると認識しております。どうやら日本はその中で大きく遅れをとっているらしい…。しかるべき対応をとって欲しいものです。(そのためには国民の政治に対する関心をもっと増やさなければなりませんが)
また、紛争や戦争もそうですがテロに関しても個人的には同じくらい留意してもいいのではないかと思っています。仕掛けてくる側の動機は違えど我々が被る被害には変わりありませんからね。
こんな感じでよろしいでしょうか?小松さんの望んでいた議論の方向性と同じだったら良いのですが… 

■2

B
政治も戦争も素人です。
こちらも読む前の認識を上げたいと思います。
・大東亜戦争等過去の戦争に対する認識(歴史観やイメージ等)
人類の戦争のパターンとして二種類ある。
①思想を巡る争い
②資源を巡る争い
過去は②が多かった。
・今の日本(世界)の戦争・紛争に対する認識(政策等へのコメント)
各種資源の増大によって②は減少し、①が相対的に増大している。
戦後の日本は戦争が起きていないので、戦後政策は正しい(結果論)。

B
・書籍の感想
領土を争う意味が薄くなり、安定的に資源が交換できることから、資源戦争は起きにくい。
思想(土地の民族意識含めて)戦争は、対立を解消させる手段が希薄なので、今後も続く。
・今後の日本(世界)に起こるであろう紛争予想図もしくは何も起こらない予想図
天変地異が起きない限り、積極的に争いを起こす動機がないので、ゆるやかな現状維持で推移する。
・そのために必要なことorできること
争いの火種は棚上げを続ける。

■3

C
自分も本を読む前の認識を述べさせて頂きます。
現代では戦争は最大の浪費であり、戦争を繰り返していた過去の人間は愚かであるというようなイメージがある気がします。ただ自分が思うに現代と過去では倫理観に差はあるものの思考力というものにはほとんど差はなく、やはり核兵器という存在が抑止力となっているだけで少しの何かで再び世界的な戦争は現代でも起こり得るのではないかとぼんやり考えています。
この本で自分の価値観が変わる(かは分からん)のが楽しみです。

D
倫理観に差はあれど、思考力には差はないという部分にハッとさせられました。
だからこそ、思考力を地理軸・時間軸に拡張して歴史や異文化から学び合うという事が重要になるのかもしれませんね。
どこかで”組織のトップにいる人間ほど動物的な感覚を重視して行動している”という文章を見た記憶があります。
政治判断も最後は一種の動物的感覚に従いなされているのだとしたら、その”最後”まで行かないように制御する仕組みを考えることが平和の条件を考えることに通じるのかもと思いました。
長文返信すいません笑
これからよろしくお願いします😁
C
ご返信ありがとうございます。
確かに根本的な思考力に差は無いと自分は考えていますが、過去の人間よりも与えられている情報もその時代分多いことも確かなので
過去に出来なかった選択も現代では可能だと考えています。中々難しい問いですが、共に頑張りましょう^_^

■4

E
・大東亜戦争のイメージ
世界恐慌→ブロック経済→貿易先に苦しんだ日本等が作った大東亜共栄圏という流れのような、経済的な原因による戦争というイメージが強いです。古今東西広い範囲では、国外に「共通の敵」を作ることによる為政者への不満を逸らす手段や、もっと原始的には征服先の資源や労働力(奴隷)を獲得することで人口問題を解決する手段として認識しています。
・現在において
教育として戦争は2度と起こしてはならないものとして教えを受けていますし、当然今もそう思っているのですが、昨今の改憲論争ではないですが、今のキナ臭い世の中で平和主義をどこまで貫徹するべきかのような問題にはどうもモヤモヤしています。自分の中であまり答えが見出せていません。

■5

D
この話題、会社の同僚とはやりづらいですからこの機会に色々な意見に触れていければと思います。1週間よろしくお願いします。
第二次世界大戦については概ねEさんと似たような認識です。軍部の暴走やベルサイユ体制へのストレス、明治維新以来の不敗神話により世論の歯止めもかかりづらかった・・等の巷でよく聞く話もなんとなくで受け入れています。
現代に関してはより分業が進んでいる印象があります。特に小規模紛争へのPMCの関与は年々多くなっていると聞きます。戦争自体の小規模化が進む中、PMC等を通した戦争の“効率化”が進んでいるという意見を受け入れています。(どうしても消極的な語尾になります。)
漫画『空母いぶき』のような状況が実際に起これば、日本はどうなるんでしょう。最近のコロナ対応を見ていると、政権は相当世論を気にしつつ進めている印象があります。有事の際のコントロール・決断力は時の政権のその時の支持率や野党との均衡度合いなど不安定な要素に左右されそうだなと不安になる今日この頃です。

■6

F
中学生の頃からミリタリー(特に旧帝国海軍)に興味があって,Herts of IronシリーズなどRTSをやりこんだりコミケでも毎回ミリタリー系のサークルが集まっているブースに顔を出して同人誌を購入していたりするので,今回のテーマ(戦争や政治)は定期的に触れている分野でもあります.あと某艦隊育成シミュレーションゲームも高校の時やってました.今でも同人誌買っていて,長門と磯風とグラーフ・ツェッペリンが好きです.まぁこまつさんみたいな本職の方の前で語るのは若干恥ずかしくもありますが(笑)
大東亜戦争など過去の戦争に対する認識
僕が一番興味のある時代区分が第二次世界大戦前後なので,それについて主に書きたいと思います.まずは大東亜戦争(“太平洋戦争“ではないので,日中戦争も含めて)に言及しますが,一言で言えば満州事変〜日中戦争〜太平洋戦争(大東亜戦争)の一連の流れは何というか国家的歴史的に名を残す悲喜劇ですね.どちらかと言えば喜劇的要素が強いかもしれません.日中戦争は盧溝橋事件で勃発したのが通説ですが,あれ多分日中双方とも初めから「全面戦争」を起こす気なんてさらさらなかったと思いますよ.日本も中国も国内情勢を考えるとメンツがたたないので引っ込みが付かなくなっていった結果上海事変が起こり,結構激戦だったけど南京を攻略し流石にもう終わるやろと思ったけど蒋ちゃんは武漢,重慶に逃げていって途中共産党に捕まった結果なんか国共合作抗日統一戦線叫んでるし.そもそも戦争目的がはっきりせず何となくで始まった戦争(しかも日本,中華民国真珠湾攻撃まで両方とも宣戦布告してません,正式な戦争ですらなかったのです)だったので双方とも戦争の終わらせ方がよくわからなかった.なので蒋ちゃんを少しでも追い詰めるべく,米英が蒋ちゃんに対する援助物資を送る道であり,フランスが対独降伏したので力の空白地帯になった仏印に進駐してみたらいろいろやらかしていたので日本と仲が悪くなっていたアメリカ様がお前南方(特にシンガポールとかフィリピンとか)を攻撃する気ちゃうんかとキレた.実際そう思われてもおかしくない位置に仏印は存在しているのですが,流石に日本がアメリカ様と戦争になったら負けるのは明白なので頑張って交渉しようとしても,ここでもメンツの張り合いや特に“英霊に申し訳が立たない“という国内世論などが原因でボタンのかけ違いを起こし,諸説ありますが,「交渉の土台」という側面が大きかった,それでもなお文面だけを見れば当時の政治情勢的には日本には到底受けいられるものではなかったハルノートが提出され,「ハルノートを受け入れて亡国になるよりかは,今戦力的にはアメリカと何とか戦えるレベルである(という海軍の見方),これから先に開戦するとなれば戦力差は絶望的に広がるばかりで戦争という選択肢すら取れなくなる,ならば今開戦して死中に活を求めるしかない」という理由で米英に宣戦布告し真珠湾を攻撃した…ってのが大まかな流れだと思います.本当に,少なくとも日本側の当事者の誰もが「アジア全域を占領して大東亜共栄圏を実現する!八紘一宇!!!」なんて,東條英機ですら一ミリも思ってなかったと思います(笑)まぁ石原莞爾らへんは本気で思ってたかもですが(笑)彼は「今アメリカと戦っても日本は負ける.だから今は開戦すべきではない(ただしアメリカてめーは絶対いつか殺す)」って言ってたらしいですけどね.総論すれば,日中,太平洋戦争(大東亜戦争)は「メンツの張り合いで引っ込みがつかなくなっていった結果起こってしまった戦争」であり,「日本のアジアへの侵略戦争」でも「日本のアジア解放戦争」でもどちらでもないと思います.両者ともに戦時中,あるいは戦後の後付け(プロパガンダ)ですね.当時の軍略とかをみてみればわかりますが,まともにアジアを侵略する,もしくは解放する気ならもっとまともなやりようがあったしそうしたでしょう(笑)陸軍なんて太平洋戦争始まってからレイテ戦当たりまで「太平洋方面の戦線は海軍側の仕事,俺たちは知らん」って言ってましたし(笑)海軍は海軍で「陸軍はうちらに非協力的すぎる,やる気あんのか?」って言ってますし(笑)そもそも陸軍がソ連,海軍がアメリカを仮想敵国にして軍を建設整備してる時点でアジアに軍事的に進出する国家的戦略は昭和前期日本には存在していなかったと思いますね.なのに,あれほど悲惨な戦争になってしまったという意味で,先の大戦を「国家的歴史的悲喜劇」と称します.歴史的大事件なんて割とあっさりとした,何でもない理由で引き起こされるものなんですよね(笑)「太平洋戦争開戦責任者」なんて人もいないと思いますね.日本的な忖度と腹の探り合いの繰り返しで敗戦にまで至ったというイメージです.東條英機が東京裁判で全ての責任を被った格好になってますが,それについては特にいう事もありません.さて,「メンツの張り合いで引っ込みがつかなくなった」と言い,そうなってしまった理由も書きたいところなんですが長くなりすぎるので一旦筆をおきます.

F
あ,あと主に太平洋戦争開戦に至るまでしか書かなかったのですが,開戦してからも「国家的歴史的に名を残す悲喜劇」ですね.こちらの場合は現場の下士官,兵士に皺寄せが行くので悲劇という言葉では到底済まなくなってきますが,とりあえずミッドウェー,ガダルカナル,台湾沖,レイテだけでも悲劇を通り越してもはや笑うしかなくなるようなやらかしをしています.「英霊」と書くと何とも戦場で敵弾に倒れて散ったみたいなイメージを抱きがちですが,実際に戦場で「まともに戦って亡くなられた」方は少数派で,実はその数倍の方が病死,餓死,船で南方へ移動中に船ごとやられて海没されて亡くなっているんですよね.戦前の貧乏な日本の国力ではどうして限界があり,現代戦で必須である兵站の概念が軽視されていたことによるのですが,それによって引き起こされたのは現場の方に「人として堪へ得る限度を遥かに超越せる克難敢闘を要求致」せざるを得なかった事態です.(「死んでも帰れぬニューギニア」と称された太平洋戦争最悪レベルの戦場,ニューギニア戦線の司令官,安達二十三中将の言葉)太平洋戦争中の上層部の動きは怒りを通り越してまあ笑うしかないのですが,現場におられた皆様が直面した状況,およびそのような中でも取った行動(硫黄島,ペリリュー,沖縄,etc)には本当に想いを馳せ,胸が痛むほかありません.少なくとも,私には当時の状況は想像すら及ばないです.別に全国民は全ての戦没者に尊敬と感謝をするべきであるとは言いませんが(私はしています),当時の人が何を思い,何を思って死んだのかは義務教育レベルで考えてもいいんじゃないかなぁと思います.この国には,グローバル教育(笑)IT教育(笑)AI時代の教育(爆笑)より大事な,「自分はなぜここに存在しているのか」を考える教育をする上で格好の題材が存在しているのに全然活かせてないなぁというお気持ちですね.そういう意味もあり,日本の今の「戦争・平和教育」なんて上っ面だけだと思います(笑)すみません,ミリタリー,特に太平洋戦争となると話すネタが無限に出てきてしまいますね,他の話題だとあまり喋ることはないのですが.(オタク特有の早口)とかつけられてそう.

■7

G
歴史については、学校でつめ込み式の教育のみしか受けていませんので、この機会に是非未来に応用可なものにしたいです。
・大東亜戦争等過去の戦争に対する認識
教科書等をみる限り、各争いごとに教訓は得られていると思っているので、別に昔のことに「ああしてればなぁ」とかは思いません。人を殺す点は認めたくはありませんが仕方ないのかもしれません。以上のように思っていますが、歴史(特に検定教科書や報道)は事実が曲げられてるとは感じていて、本当はスタジオ内で装飾されまくりなのではとは注意はしています。
・今の日本(世界)の戦争・紛争に対する認識
主観的すぎますが、平和ボケしてると思っていて、特にワールドワイドな覇権争いの中にあまり無関心なのはどうかと思います。大東亜戦争にもつながるところがあると思います。

D
@G 歴史にifを考えることに意義を感じていない部分は同意です。現代の歴史観が相当に装飾されている点も。
ただ、であれば歴史を学ぶ意義って何なんだろうと考えてしまいます。歴史は科学実験のような再現性がないので、IFの仮説に実証手段はありません。それでも歴史を学ぶことの意味って何なんでしょうね。
たしかGさんは授業を聞くよりも自習派だったと思うのですが、これまで先生等からそこら辺の話を聞かされた記憶はありますか?
本ワークショップの趣旨とは少しずれてしまうかもしれませんが、もしお手すきでしたら聞いてみたいなと思うのですが。。

G
先生からは温故知新の旨しか聞いておりません。月並みなことしか言わない教師じゃなかったら傾聴していたのですが。まあ、僕も失敗したことを繰り返さないことが進化の一種で歴史の学習は絶対だからとは思いますが、小さな歴史たちも存在してることから有用性の点でなく、より内面の使命感、強迫観念のようなものにも見えます。それらが残ってるのは無意識のうちに祖先への尊敬があるからではないでしょうか。
D
@G ありがとうございます。強迫観念という言葉に惹かれます。何かしら人間の持つ本源的な欲求と繋がっているのかもしれませんね。

■8

H
政治、国際問題などを直視せずここまで生きてきてしまったのでこれを機に意識を向けていきたいと思っています。
・大東亜戦争に関して思うこと
学校では例の如く「原爆被害者としての日本」を強調されて教えられたように記憶しています。ただ主に中国が南京大虐殺等に関して言及していることに対して「中国が妄言を吐いている!」と言う日本人には強い嫌悪感を抱きます。加害者としての側面も国としての体裁上だけでなく、国民一人一人が歴史として受け入れるべきだと個人的には思っています。(1億の国民の意見が一致するとは思っていませんが)
戦争が流れのままにヒートアップしていった
という点についてはFさんに同意です。
・現在の日本の戦争に対する認識
戦争について国民に教育されている内容と、実際に行われている政治上のやりとりに大きな乖離があるように思えます。教育面では道徳面が重視されますが、その上で実際問題どうするかに関する国民の意識は低いように感じます(自戒の意味を込めています)。

H
・書籍の感想
「広島の語り」にばかり目を向けてしまうのはナショナリズムというものに日本人が知らず知らず染まっているのが一因。ナショナリズムというのがそもそも新しい概念というのが自分にとって新鮮で、政治を見る視点が一つ増えたように感じます。
・日本の予想図
領土問題について、幼稚な考えで早くケリがつけばいいなと思っていましたが、読了後は議論を棚上げすることがこれからも続いていくんだろうなぁと考えが変わりました。
・できること、必要なこと
一人ひとりの国民が理想論だけでなく、「現実的な」解を模索するマインドを身につけること。

■9

D
どうも。
最近曜日感覚が分からなくなってきたDです。
一つ提案があるのですが、せっかく皆さんからある程度様々なバックグランドに基づく意見が出てきたところなので、これらの意見をベースにもう少し思考を広げてみませんでしょうか?
チームの仕事で煮詰まったときによく連想ゲームをするのですが、それぞれの意見をベースにそこから広がる自分の意見を継いでいく、その継いだ意見にもさらに継いでいく・・・こうすることで、意外と今まで考えてこなかった思考が出てきたりして面白かったりします。
このワークショップが一人で考えるよりも多くの刺激を与え合える環境になればいいなぁと期待しつつ提案してみます

■10

D
とりあえず、自分の思考まとめ用にこれまでの意見を簡単にまとめたので載せておきますね。
(まとめ方は僕の独断と偏見なので、ご意見あればおっしゃってください。)
■“戦争”自体に対する認識
・戦争は根源的に否定することのできない人間の営みである。
・戦争は利益のために行うモノである。
・戦争は思想・資源を巡る争いであり、資源から思想に移り変わりつつある。
・戦争は為政者による不満逸らしの要素がある。
・戦争は「人口問題」への解決アプローチであった。
・戦争は小規模分業化・効率化している。
・戦争のifは考えない。
・戦争で人を殺すこと自体は仕方がない。
■特に大東亜戦争に対する認識
・大東亜戦争はメンツの張り合いの結果
・加害者としての側面を国民一人一人が持つことが重要。
■平和教育について
・戦争当時の人が何を思って死んだのか、義務教育レベルで教えるべき
・歴史教育はかなり装飾されている気がする。
・これまでの教育は「原爆被害者」の側面が強かった。
■日本の平和政策について
・戦後戦争は起きていないので、戦後政策は正しい。
・現在の平和主義をどうすべきかはもやもや
・「空母いぶき」のような有事に日本がどう対応できるか不安。
・日本は平和ボケしている。覇権争いにあまりに無関心なのはどうか。
■他
・倫理観に差はあれど、思考力に差はない。但し過去にできなかった選択は可能だ。
・歴史を学ぶ目的には祖先への尊敬など、“有用性”だけでは語れない側面がある。

■11

E
Dさん、議論の展開ありがとうございます。
自分勝手ですが、個人的にもう少し皆さんと意見交流したいのは、戦争に対する学校教育観でしょうか。
学校教育でのいわゆる「平和学習」と呼ばれているものは、私の経験した限りでは、「戦争がいかに悲惨であるかを学ぶ」学習という形が多かったです。修学旅行のプログラムで原爆ドームにて被爆者の講和会を聞いたりですとか、そういった類のものですね。
大人になるまでは純粋に「戦争は悲惨だ、してはならないことだ」と受け止めていましたし、それは戦争体験を通じて人類が共通して持っている信念だとも思っていました。それは基本的に現在も変わっていません。
ですが、今では「反戦意識は教育によって『意図的に』刷り込まれたものだ」とか、極端な意見では「GHQによる洗脳」といった見解を目にすることもあって、当たり前と思っている感情が誰かの意図によって作られたものだとしたらとても恐ろしいと感じました。
皆さんは戦後のこう言った教育をどのように受け止めてらっしゃいますでしょうか?

■12

I
GHQによる洗脳というのも事実かもしれないと考えますが、同時に戦争は悲惨であるというのも事実であり、間違えないと思います。学校教育に於いて思うことは、私が小中のときに歴史の授業を受けた感想は、先生は教科書に載っているような事実のみを扱って、メタ的な、それこそ、戦争とは何かみたいな議論が無かったことです。実際、自分は戦争や紛争について納得できるほど言語化出来ないことに今回危機感を感じました。(自分の思考経験の問題ですが)

■13

F
僕は,前にも言いましたが日本の戦後平和教育(とされるもの)は「完全に上っ面だけ」のものだと思っています.戦争は語るにも及ばないほど悲惨なものですし,過去,そして現在も理由もなしにただ「他国を侵略したい,戦争がしたい」と考える政治的指導者はほぼいないでしょう.(ヒトラーでもプーチンでも金正恩でもです).それでも彼らが軍事行動を決断したからには背景に何か理由があったからで,その開戦に至った理由や,なぜその戦争は防げなかったのかを考えさせる機会が日本の教育には,少なくとも僕が受けた記憶のある教育には圧倒的に欠けています.「平和教育」とは今後の世界,最低でも私たちが住む日本が二度と戦争の惨禍を経験しないためにはどんな行動が必要かを歴史,つまり戦争が絶え間なく繰り返されてきた歴史に照らして考えさせるものであるべきで,「戦争の悲惨さ」をただ唱えさせる教育ではないはずです.そして,歴史は政治的指導者が熱狂的な大衆を抑えきれずに他国へ侵略をせざるを得なくなってしまった例を数多く提供しています.何も考えず,ただ「戦争は悲惨である」と唱えさせられる教育を受けた大衆は,その機会がくれば容易に「自国を救うためには戦争が必要だ」という逆のことを叫び始めることでしょう.(日本みたいな同調圧力が強い環境では特に…)これらの意味で,日本の戦後平和教育(とされるもの)は「完全に上っ面だけ」のものだと結論します.

■14

C
「GHQの洗脳」恐ろしいですね
ただ私たちが戦争の時代に生きておらず他者からの情報でしか学ぶことが出来ない身である以上、洗脳は不可避だと思います。
非常に根本的なことを言うと戦争が本当に起こったのかさえ少なくとも十代の僕では証明できないです。(さすがに言い過ぎですが)
ただ私たちは幸せな事に実際その時代に生きていらっしゃった方からの話に耳を傾けることができます。ただしかし誤解を恐れずに言うと、その話では戦時中の様子を知ることができても、戦争の裏側(真実)までは分からないはずです。
すなわち少し無理矢理かも知れませんが、万人に対する戦争の教育により個人が戦争に対する認識を持った時点でそこには不純物が含まれています。
ではどのようにして自分なりの正しい意見を持てばいいのか、全く分かりません笑

■15

C
ちなみに僕は中高時代、戦争をしなくてはならない状況になってしまったのなら、「戦争に行ってこい!」と指示を出している各国の上の人間同士が密室で殴り合いという名の戦争をすれば良いのではと思っていました。大学生になった今は、実際に戦争になった時に使えるような武力をデータに落とし込んでeゲームで戦争すればいいのでは?と考えています。(ゲームの技術面で差が出ないようプレーヤーは同じ能力を持ったAIで)
かなり幼い考えである事は自覚していますが命を奪うよりもマシなのでは…
すいません脱線しましたね、お返しします

■16

D
これまでの流れから、戦後教育とは大雑把に言って「戦争の悲惨さをひたすら情緒に訴えかけるもの」であるという認識で大差ないでしょうか。僕は日本国民の犠牲から戦争を語るという点で、特に本書で言う“広島の語り”が主である気がします。
そしてこうして学んだ語りは、@C さんが仰るようにまさに他者からの情報でしかなく、いつしか硬直化しイデオロギー化する危険性をはらんでいる点も本書内で指摘されている通りかと思います。
ここでみなさんにお聞きしたいのですが、では「ひたすら情緒に訴えかける教育」は悪なのでしょうか?
5、6歳から毎年悲惨な話を聞かせ、時には涙させ、半トラウマレベルにまで戦争への恐怖心を根付かせる。大人になっても戦争というワードを聞いただけで潜在的な恐怖心を惹起させる、こうした教育は望ましいと言えるかもしくはそうでないか。
“ニセ問題”に限りなく近い問いですが笑、お付き合いいただけると幸いです。
この点、必然 教育の目的とは何か?という問いにもつながる論点かと思います。
@F さんが仰っているようになぜ戦争に至ったのかを学ぶことも大事であると思います。
戦後教育ないし平和教育では“ナニ”を教えるべきだと思うか?
ニセ問題をもう一つ投下して逃げたいと思います笑
(自分でも考えてみます。)
念のため、これはあくまで一参加者である僕が自分の疑問を垂れ流しているだけですので、このほか、疑問点や意見などもちろん皆さんお好きに発言頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。

■17

D
もう一つ追加で拾いたくなりました。@C さんが仰っていたいわゆる”代理戦争の可能性”について、皆さんはどう感じますでしょうか。私は直接的にはドローン爆撃や大陸弾道ミサイル等、攻め手の代理化は相当に進んでいると感じます。この辺りは気になるところですが全くの素人なので、正直よくわからないところです。メタルギアは好きですが現実の知識はゼロです。@こまつ さんにご意見伺えたらと思うのですが、構いませんでしょうか?
また、” 武力戦争”そのものの代理化については貿易戦争やその他の経済戦争ですでにかなり代理化が進んでいるかと思います。
最近面白い例を知りました。北米の先住民の儀礼でポトラッチと呼ばれるものがあるそうです。ポトラッチはチヌーク族の言葉で「贈り物」を意味します。ただしこれは闘争的贈り物と呼ばれるもので、ある部族の首長が別の部族の首長に贈り物をする、贈られた首長はより多くの贈り物を返さなければいけない。これを繰り返し最後まで贈り物を続けられた方が勝利者となるとのことです。これもいわゆる代理戦争の一種なのかなと思います。
極端な例でいうと、贈り物をするのではなく相手の目の前で自分の財を破壊しあう。根負けせずにより多くの財を破壊できた方が勝ち、という慣習もあるそうです。ヒトの代わりに財を犠牲にする戦争ですね。
eスポーツで代理する未来、本気で期待してしまいます。その場合、その勝敗のルールをどうやって守らせるか。覇権国家もしくは世界政府が審判をするのか?
以上、最後は妄想を数滴垂らしてお返しします。

■18

C
戦争が人の命を奪う存在から脱却することで、おそらく多くの人の戦争に対する見方が変わるでしょう。

■19

G
・「ひたすら情緒に訴えかける教育」は悪なのか
恐怖は本能的なものなので戦争の再発防止には効果覿面だと思うから、この観点では:okサイン:
・戦後教育または平和教育において何を教えるか
戦争、広義の争いごとにおいては、源流まで遡ると人の間の不和が原因の一つなので、皆で超ディベートをする大切さを教えてみる。
・代理戦争の可能性について
戦争は自国の被害を最小限に、敵国に甚大な損害を与えるように進んでいるように見えます。わかりやすく言えばキルレートを高くするように進化してます。当たり前ですが
したがって、このままいけば、一撃で破滅させるか、殺人なしでも思想での民族浄化が起こると思います。日本みたいに🇯🇵

■20

E
ひたすらに情緒に訴えかける教育
・大東亜戦争自体と、広島・長崎の惨劇については分離して考えても良いかなと思います。
原爆ドームが「負の世界遺産」として登録されていますし、唯一の被爆国として、核兵器の脅威を後世に伝えていくことには十分な意味があるとは思っています。
なんとなく第二次世界大戦=原爆投下と直線的に結び付けられているような気がしています。
感情論で歴史を振り返ることは、それが本当に教育目的なのだとしたら、あまり好ましくはないはずです。(「洗脳」が目的ならば大成功といえますが)
・そもそも戦争への抑止力として、戦争の悲惨さを伝える教育がどれだけ有効かということもはっきりしないです。多分「攻戦」に踏み切ることには抑止力になりますが、仮に敵国に戦争を仕掛けられて犠牲者が出た場合に、それでもなお平和主義のもと報復はNOであると言い切れる人がどれだけいるかと言われると、極めて少数になるようにも思います。
何を教えるべきか
「戦争はどのように起こるか」と言ったメカニズムを学ぶことが、重要に感じます。歴史は現実世界問題という試験科目の過去問みたいなものですから、過去の例から人類の歴史に共通する法則性を学ぶことが、教育として大事な部分ではないでしょうか。平和学習として、「どうしたら戦争の悲劇を回避できたか」なんてお題でグループ発表する方が建設的ですよね。
現在、もはや各国の保持する戦力が強大になりすぎたせいか、複数の国家間での「本気」のドンパチが起こるということは私はあんまり考えられません。(というか考えたくありません。)そのために、各国が外交を通じて「立ち回る」ということが現在の「戦い」になっているのだろうと推測しますが、そう言った観点からすれば、国家間のパワーバランスを地理的観点から分析する「地政学」みたいなものがもっとメジャーな教科になっても良いのかもしれません。(ただ、そもそも世界地理や歴史の相当程度の知識が前提なのでハードルは高いかもしれません)
戦争の代理化
ゲームを戦争の代理とするのは、平和的(?)でいいですよね、絶対に無理だろうけどマリオパーティーとかで勝敗を決めてくれようものなら愉快なものです。大人数でできますし。長野県と静岡県の県境の一部を毎年綱引きの結果で動かすのが毎年の名物ですが、全世界規模でそんな平和な世の中になってほしいと切に願います。
各国の意思がそのように人的・物的被害を出さないことで統一されれば、それこそ世界平和への大きな前進です。個人的にもっと年月が経って人間の価値観が変わっていけば有り得ない話ではないと思っています。(そう信じたい。)
残念なことにその一方で、むしろ「戦争のゲーム化」と呼ぶべき動きも見られますよね。無人機による攻撃とかも自分が痛くないという点ではそうですし、ちょっと昔に、アメリカの原子力潜水艦の操縦に「Xbox」のコントローラーが採用されたというニュースを見ました。理由は「みんな触ったことがある(教育コストの削減)」と「安いから」というものだそうです。

■21

D
これまで大東亜戦争をあまり”メンツの張り合い”という観点で考えたことがありませんでした。軍部や中枢部のメンツが開戦のトリガーとなったのならそれを防ぐことはできなかったのでしょうか。
ハルノートが出されたときに、その内容が到底受け入れることができない内容であったため、一気に開戦の機運が高まったと聞いたことがあります。これもやはり”メンツ”の話とかかわってくるのでしょうか。このあたり、@Fさんの語りをもう少し聞きたいところですが。
軍部のメンツ問題は文民統制でクリアできているとしても、現代においては”文民”のメンツも侮れないのではと思います。そうしたメンツ行動を抑止するために有権者としてどう振る舞うべきか・・これまで意識してこなかった分、一層難しい問題に感じられます。
現代の紛争抑止策のひとつとして、紛争鉱物のサプライチェーンからの締め出しが進められているようです。僕はそうした事実は認識していましたが、これまで一切そうしたことを意識した行動はとってきませんでした。一消費者としての自分の行動なんてあまりに無力であると感じていたからです。ただ、こうして改めて考える機会を得たわけですから、無力ではなく微力である、自分の行動はどこかで意味を持つのだという意識で、ほんの少しでも自分の行動を変えていきたいと考えています。

F
当時,同盟国ドイツがソ連に対し破竹の快進撃を続けており,モスクワも陥落するかもしれないという国際情勢でした.また,特に海軍は対米戦を意識して戦力を整備しており,日米の海軍力の差はギリギリ拮抗していると言っていい状況でしたし,中国戦線も泥沼といえども日本側に不利な状況とはとても言えない戦況でした.そのような状況で「中国から兵力の撤退」という明治以来の努力を放棄しろという屈辱的な条件を飲んでしまったら国内外にメンツが立ちません.(“中国“=満洲も含むと日本側は解釈した.ただ,本当に“中国“=満洲を含むかどうかは不明)特に2.26や満州事変などやらかした実績が多数ある陸軍の,いわゆる軍部と呼ばれる指導者層ではなく現場レベルの部隊がハルノートを受託した際どう動くかわからず,テロやクーデターを起こされる可能性もあり,もしそうなれば日米開戦より状況が混乱するのは必至でしょう.実際終戦時には近衛師団の一部隊が反乱を起こしました.また,日比谷焼き討ち事件のように大衆がキレることも想定されます.付け加えていうならば,前述したような混乱した状況では当時の日本としては最悪の事態である社会主義革命に繋がりかねません(事実として,陸軍にも官僚にも社会主義に同調する人間は多数いた).
今では考えられないことですが,当時の日本ではテロやクーデターは十分考えられる事態だったんですね.もちろん,当時の日本の首脳層もそれは十分理解しており,開戦直前に東條英機が就任したのも米国との開戦を回避する際に想定される国内の混乱を憲兵で押さえ込む目的でした.ただ,それでもなお日本のメンツ的に受諾しがたい文面のハルノートが提出され,座して亡国になるよりかは開戦して国運を開くべしと決断したのだと思います.

■22

にしむらもとい
主催者が行方不明なので、とりあえず今週のワークショップは僕が締めさせてもらいます。皆様、様々なご意見、ありがとうございました。
保存用ログをnoteにあげる際に、全部目を通して僕なりにレビューを付けておきます。まだまだ手探り感がありますが、結構な分量のログが残りましたし、ひとまずこれにて終了ということで。

↑↑↑↑ここまで↑↑↑↑

■所長所感