教養とは、今いる世界の価値観を相対化できる、別の価値観を持つことだと思う
「SNSは不幸になる」「SNS疲れ」とよく言われます。
インスタのストーリーで楽しそうな同級生を見てモヤる、みたいなやつです。
ところで、名作『はだしのゲン』を知っていますか。
原爆の被爆体験を描いた漫画です。
ぼくは、幸せになりたいならインスタを見ずに『はだしのゲン』を毎日読めばいいと思っています。
引用:中沢 啓治『はだしのゲン』
冗談ではありません。ちょっとした心理テストを考えてみればいいです。
以下Aの被験者とBの被験者がいたとします。
A. インスタのいけ好かない同級生のストーリーを見てモヤったあと、「あなたは今、何%くらい幸せですか?」と聞かれる
B. 『はだしのゲン』を読んだあと、「あなたは、何%くらい今幸せですか?」と聞かれる
多分ですが、Bの方が、Aよりも多分平均30%ぐらい高いんじゃないでしょうか。白米を食べられる毎日に感謝できるので。
つまり、毎朝インスタ見るの止めて『はだしのゲン』を読むことにすれば幸せになれるのではないでしょうか。
今ある状態はすぐには変えられないかもしれないが、比較軸・比較対象は変えられる。
「幸せ」「不幸せ」のようなすべての良し悪しの判断は、「比較軸」と「比較対象」を取らないと成立しません。
「SNSは不幸になる」「SNS疲れ」とよく言われるのは、
・比較軸:キラキラした日常が好ましい
・比較対象:なんかみんなキラキラしてる
が採用されるので、自分の毎日がうだつの上がらないものに感じてしまうからだと思います。
「SNS疲れ」が起きるということは、普段接するメディアにより私たちの比較軸・比較対象はズラされていくということです。
逆に考えると、比較軸・比較対象をコントロールするには普段接するメディアを変えればいい、ということになります。
例えば毎朝見るのをインスタから『はだしのゲン』とか『映像の世紀』とかに変えると、比較軸・比較対象が変わります。
すると…
・平和な世の中で原爆が落ちてこないことに感謝
・人道的な世の中で強制収容所に入れられないことに安心
・独裁じゃない世の中でtwitterに政治家の悪口を書き込める豊かさに驚く
そんな目線で世の中を見ることができるのではないでしょうか。
今ある状態はすぐには変えられないかもしれない。
しかし、普段接するメディアをコントロールすることで、比較軸・比較対象はけっこう変えられると思います。
そして、比較軸・比較対象さえ変えられれば、今ある状態を変えずとも、物事を「良く」することができるのです。
比較軸・比較対象を変えることは、仕事のパフォーマンスも上げるために利用できる
比較軸・比較対象を変えることは、仕事のパフォーマンスも上げるために利用することもできると思います。
例えば、キャリアの中で、売上必達でモーレツな会社で働いてた時期があるとします。
そのモーレツな会社での比較軸・比較対象をもって、転職先でも基準とすれば、どこに転職しても楽勝ではないでしょうか。
そのためには接するメディアをコントロールする必要があるので、例えば毎朝ひとり朝礼をやって当時の行動指針を読み返せば効果的かもしれません。
比較軸・比較対象を、世界観を跨いで移動できれば、アービトラージができる。
『はだしのゲン』を想像しながら暮らすのも、過去いた会社の行動指針を引き継ぐのも、「別の世界観から比較軸・比較対象を持ち込む」という点で似ています。
同じ「白米」であっても「仕事」であっても、世界が変わると捉え方・比較対象が違う。そこにアービトラージのチャンスがあります。
どういうことかと言うと、同じ「白米」でも、私たちの世界と、『はだしのゲン』の世界とでは、比較軸・比較対象が違います。
『はだしのゲン』の世界では「闇市でしか手に入らないもの」で「贅沢なもの、銀しゃり」と思われています。
一方、私たちの世界では「普通に手に入るもの」であり、「おかずの無い貧しい食事」とすら思われています。
ここで私たちの世界にいながら、『はだしのゲン』の世界にいるつもりで白米を食べることで、体験の価値が上がります。
つまり、比較軸・比較対象を、世界観を跨いで移動できれば、アービトラージができるのです。
(逆に、SNSでは不利な取引が強いられています。)
教養とは、今いる世界の価値観を相対化できる、別の価値観を持つこと
教養とは、いろいろなモノの見方ができることだと思います。
いろいろなモノの見方ができると、色んな世界を横断しアービトラージして、物事を豊かに認識することができます。
それだけではなく、今いる世界の比較軸・比較対象を相対化でき、支配的な秩序を鵜呑みにせず批判的に見ることができると思います。
SNSにのめり込みすぎている状態とは、支配的な秩序を無批判に受け入れているということです。モヤっとして苦しむ原因は、SNSばっかり見てるからです。
もっと映画を見たり、漫画とか本を読んだりすればいいんじゃないかと思います。すると、いろいろなモノの見方が入ってきて、比較軸・比較対象がズレます。
『はだしのゲン』ぐらい対極にある作品だとより効果的だと思います。
するともっと豊かになるんじゃなかろうか思いました。
”詩の衰えの原因は、言葉の乱れなどにあるのではない。…有用性を超えた形を構築しようとする力が衰えるところにある。政治、思想、経済活動など、あらゆる有用性を超えて絶対を見ようとする意力を、言い換えれば、有用性を相対化する「教養」を我々が失うときに、詩は限りなく衰退するのである。”
ー菅野 覚明『詩と国家』
終わり。
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