自分の本質と親という役割
オーストラリアオープンというテニスのトーナメントが開催されています。
オーストラリアは南半球。
日本やアメリカなどがある北半球とは、逆の季節です。
トーナメントの様子を見ると、観客もテレビに映る人たち、みんな夏の装いです。
〜 私の住んでいるところは、先週末に雪が降った後に ”アイスストーム”(ice storm 氷雨を伴う暴風)が来ていたので、1週間も休校にせざるを得ないほど町が凍っていました。映画「フローズン」までとは言いませんが、地面はもちろん、木の枝や雑草、石などいろんな物が凍っていました。そんな状況から真夏のオーストラリアの様子を見て、あー温かいところに行きたい〜と眺めていました。
ココ・ガウフ選手
女子テニスの新星。
昨年19歳にしてこの初めてUSオープンという大きな大会で優勝しました。今年のオーストラリア・オープンでも、順調に勝ち進んでいます。
彼女の言葉で、気になったものがありました。
「わたしはテニスで負けても大丈夫。テニスはテニス。
わたしの本質が劣っているわけではないから。」
というものです。
たいていの人は、自分が負けたら落ち込み、自分の何が悪かったのか、どうして負けたのか・・・。悶々とすることと思います。
でもこの19歳のココ選手は、自分という人間と、テニスプレーヤーという自分の役割を別のものとして区別しているようなのです。
このマインドがあるから、強いんだ!と思いました。
どうしても人間は、「自分の役割=自分の本質」と混同しがちです。
人にはいくつもの役割があります。
子供から見たら「親」であり、親から見たら「子供」であり、兄弟から見たら「姉や妹、兄や弟」であり、職場では「同僚」であったりその「担当や役職」であったり。
その役割によって、私たちは、自分の名前とは違う名称を与えられたりもします。態度も行動も変わります。
そういったものは、常に変化しています。
じゃあ、本当のわたしはどこにいるの?
となるのですが、ヨガでは
表面的な形が変わっても、変わらない自分がある
と説いています。
「親」という役割をしながらも、「本質の自分」は常に存在しています。
「本質の自分」にいつでも立ち戻ることで、ためこまなくてもよい感情やストレスが消えていきます。
ヨガをする時間がなければ、ただ目を閉じて1分間でも呼吸に集中してみるだけでも、リセットされていきます。
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