1000人に1人の学生

高専中退者はWebに記事を残すトレンドがあるそうなので私も。普段ならTwitterに書くのですがメーンアカウントが使えなくなったので。高専についてご存じの方向けの記事です。簡単にいうと中卒で入る5年制学校です。高校ではありません。別です。

先日面白い記事を見つけました。

この方は国立工業高専を3年修了で中退し大学経済学部教授に就いていらっしゃる方です。技術者を急いで育成する目的で創設決定された高専教育に疑問を抱いてもいらっしゃる。そしてなんと、学齢で数えて私の父から1歳年下です。

ここで簡単に自己紹介。私は国立工業高専を1年次中退したくらい高専教育には疑問を持っています。私の父は「高専は素晴らしいところだ」と諭し、そんなところを中退するお前は中卒で働くに相応しいと言わんばかりに私の中退後の進学先探しにはノータッチでした。私は「当時は中卒労働者も現在と違い多かったし、高専制度発足時は高専は人気が高く実際素晴らしかったのだろうから、その感覚になるのもさもありなん」と納得していたものですが、上の大学教授の記事を読んで思いました。おかしいのは父では。

 こうした管理教育への反発とならんで、高専制度そのものへの批判があった。その部分をそのまま引用しよう。
「高専教育の袋小路
 創設初期の学生はそれぞれ10数倍の入試競争を征服して入学した粒選りの優秀者であった。高等専門学校の卒業者は学校教育法により「監督庁の定めるところにより大学に編入学することができる」と法的には大学に編入により進学の路が開かれている形となっているが,実際にうけいれる大学は皆無であったため,これら粒選りの優秀者も進学の夢をすてて就職するか,高等学校卒業者に混って大学入試に挑戦するかの方法しかなかった。
 創設して日の浅い国立高等専門学校協会ではあったが,総会において,各学校の所在地区の大学に編入の機会を与えるよう働きかけることを申し合せるとともに,文部省に善処方の要請を行ったが両者とも反応がみられなかった。そのため「高専教育は袋小路」と断定して若者に将来への夢と希望を与えないと紙面を賑かす新聞も現れ,高等専門学校を選んだことが,あたかも失敗であったかの印象をもたせ,学生に厭学気分を誘発させた。若者は成長の段階で一様に自己の人生進路に疑問と迷いをもつものであるが,学生の中には,学年の進むにつれて性格と専門科目との関係に不安を感じている者もあり,その中の少数の者は,このマスコミの筆先で迷いの度を増し,そのなやみの鉾先を教育方法と教育課程に向け,産業癒着の詰めこみ教育で非民主的で人権を認めていないとし,将来への夢を持つ者は高等専門学校を志望するなと,自己の出身中学の後輩に宣伝する者が生じたり,特定校では自己の失敗を後輩に繰り返させないためと称して入学試験の施行を防害しようと高専教育を酷評した数千枚の印刷物をつくり受験者と父兄に配付しようと準備を進める者までみるに至った。」(国立高等専門学校協会『国立高等専門学校30年史』44)

引用元:「野村正實の偶感」(2004年7月6日),2021年3月29日閲覧

孫引きが含まれており大変恐縮ですが、ソース元は中卒歴のある私では探しても見つけることができませんでした。ご容赦頂きたく存じます。記事を鵜呑みにすれば、現在の高専よりもひどい有様だと思ってしまいました。現代は発足当初の公約通り大学編入が盛んな分まだマシで、当時はその門戸もなかったようです。大学からすれば「国が創ったよくわからん学校からの編入枠なんか創れん」ということでありましょう。出身中学に「高専には進学しない方が良い」と伝える者が居るのは現代も同じでしょうが、その程度は大きな差があることを窺い知れます。

 私が中学を卒業した1963年当時、地方では多くの中卒者が就職していた。静岡県小笠郡大須賀町で唯一の中学校であった大須賀中学校では、350人ほどの卒業生のうち約半数が中学を出て働いた。中卒で働くということは、ありふれた現象で、とくに感慨をもよおすような事柄ではなかった。当時はそのように考えられていた。卒業者名簿を見ると、就職者の大半は明らかに中小零細企業であると思われる会社に就職している。大企業に就職したのは、紡績会社の労働者となった女性が主力で、35名いる。紡績会社の女性労働者は勤続年数が短かったので、おそらく彼女たちの多くも短い勤続でやめたと思われる。
 中卒者が就職するということは、たしかにありふれた現象であった。しかしそれは、厳しい現実がありふれていたということを意味していた。私は後になるまで、そのことに気づかなかった。

引用元:「野村正實の偶感」(2005年12月4日) 集団就職,2021年3月29日閲覧

父の時代は確かに中卒で働く者も多かったようではありますが、それにも疑問を抱くようになりました。私は深く考えることはせず「中卒が普遍的にみられるなら待遇も悪くなかったのでは」と甘い考えをしていました。が、間違いでした。そう、中卒者は当時でもかなり風当たりが厳しかったようです。もちろん地域差はありましょうが、私の地域も似たようなものだと思います。学歴を大っぴらに聞けませんが、地元の父と同世代で中卒者は聞いたことがありません。彼らも後に高校を卒業したりしているのでしょう。そう、高卒資格は大切なのです。父は高卒者でありますが、なぜ私を中卒に甘んじさせる気満々だったのか、これがわからない(高卒だから中卒の現実がわからないのではとは思います) 私は中退後に高校へ入学し卒業もしますが、かかる学費等は自分で払いました。中卒で働いて稼ぎました。背景には高校無償という幸運もありました。

ところで現在の高専入学者はその学年中およそ1%です。その内、中退者は10%強と言われています。これは私の感覚とも一致するし、「高専 中退率」で調べれば調査データがヒットします。一応書いておきますと、1から卒業者から入学者を割った数を引けば簡単に中退率がわかるではないか、その数値は各高専が開示している、という論は高専には通用しません。高専には4年次編入制度があり、高卒者が新入学とは別に入学してきます。もし中退者がいなければ卒業者数は新入学者数より多くなるというギミックがあるのです(例えておいてなんですが、4年次編入は欠員補充という性格があると考えているので、もし中退者がいなければ編入制度もないと思います)

そんなわけで、現代の高専中退者はおよそ1000人に1人というわけです。我々は前例の少ない現象なのです。最初期の高専卒業者を編入させる大学がなかったことから、前例のないものは受け入れがたいという社会傾向があるのは明らかであるから、ぜひ中退者のみなさんにはその後の進路を開示していってほしく存じます。

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