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サラリーマンになったらパワハラでうつ病にされてしまいました(7)

とある11~12月のうつ状態

 私は忘れない。

 セオリー通りに進めない産業医。地雷を踏み続けるメンタルヘルスケア知識ゼロのストレッサー。彼らの対応を私は忘れない。

 ただ、静かに泣いた。

 数多の心の揺さぶりにも、何も感じない。感じるのは、ただ自分の無力さ。感じるのは、ただ自分の不甲斐なさ。それだけを思い知り。首を横に振るのです。

 申し訳ございません。

 現在の私には、期待に応えられるだけの能力も、実力も、心の強さも、持ち合わせていないのです。どうか、どうか話を聞いてほしい。

 ここではとあるうつ病にされたサラリーマンが緩やかに壊れていく様を、時系列に沿ってご紹介します。

Twitterから読み取れる11月のうつ傾向

11/2 まともなつもりでおかしいのか おかしいふりしてまともなのか もう なにもわからない
11/9 なんだかふわふわする
 もっと もっと ぜつぼうのことばを

――当時のTwitterより抜粋――

 少なくともまともな状態ではないので、まともなつもりでおかしい方だと思います。

 この時期、希望した産業医面談が実施されました。しかしながら、何故かこの産業医が下した指示は、大黒様(ストレッサーである上司)との1対1の面談。

 この面談で大黒様より、自分がこれまでにやってきた改善を1つずつ取り上げ、そして1つずつ丁寧に否定されていきました。

「だから頑張れ」

 これが駄目押し。

 注目したいのは、またひらがなで書き綴っています。この状態はもう、明らかにサインだと思っていいでしょう。

 もう何も分からない。悲しいけれど、それが現実なんですね。

11/15 音楽の力ってすごいな。奥底まで沈みそうだったのに浮かんできた
11/16 胃がねじれる想い

――当時のTwitterより抜粋――

 音楽の力によって救われる。それはこのような状態でなくても分かり切っている正論。いつでも音楽に救われてきました。

 本格的に壊れてしまいましたので、人事担当者の面談が入るようになりました。

 何事もなかったことにしよう。そういう意図が明らかに見え隠れするような面談でした。元の状態に戻すという点ではある意味正解だと思いますが、最終的な提案は一般社員に降格して再出発というものでした。

 この時点で積み上げてきた実績を全て失うことが確定したのです。

11/19 いいてんきだな
11/29 ああー泣いちゃった。明日弾けちゃうな。我慢できないこともあるよね

――当時のTwitterより抜粋――

 面談ラッシュから解放された瞬間ですね。

 昇進試験を受けても良いという揺さぶりもありましたが、もう何も自信がない。もう何も浮かんでこない。無理です。

 ただ静かに泣きました。色々と終わったんだなと、感慨深くなって。泣きました。

Twitterから読み取れる12月のうつ傾向

12/8 考えがまとまらないなー。話を聞いてもなんだか理解できないし どうしらたいいんだかわからないなー

――当時のTwitterより抜粋――

 職場環境が変わり、多少冷静になっています。若干の現状把握が始まっています。

 体調としては書いている通り、話を聞いても全然理解ができない。ひたすらメモに起こしながら聞いていたことを覚えています。

 なおこの異動、本人が率先してギブアップしたための異動、と伝えられていました。

 全員腫れ物に触るような接し方になります。これもまた辛い。

12/9 朝からストロングゼロ飲んだらどうでもよくなってきたwww
 土曜の昼からテレビに出ている、未来に向けてキラキラしている若者と対比しても惨めさを感じない。すごいわ、ストロングゼロ。今日これからの予定はやばいけど

――当時のTwitterより抜粋――

 大分まともな文章を書くようになっていますが、正味酒の力です。9%の酒は本気でヤバイです。当時は大変お世話になりました。

 アルコール入ってる時は比較的まとも。完全にアルコール依存状態。

 ノンアルコールの時間帯は、髪はボサボサで服装には執着がない等、人として色々終わっていました。

12/16 ああだめだうこけない あたま いたい

――当時のTwitterより抜粋――

 酒飲んでない時はこんな感じです。

12/26 えるものは なかつた
12/27 あたまいたい

――当時のTwitterより抜粋――

 会社側との面談がここら辺でありました。

 配置変更があってからは、人事担当者との面談が稀にありました。相変わらず事なかれ的な対応を取られる。そこに得られるものなどない。

 職場には呆けたおじさんが頭痛薬を片手にうつろな目をしながら仕事をしている。異様です。

 話を一通り聴いた上で、「大丈夫、すぐ良くなりますよ」と言ってくれたりもしましたが、徐々に周囲から人は離れていきます。

 辛かった。この時期、妻の支えだけが救いでした。

うつ状態の人物に対しての禁じ手──全否定と「頑張れ」の言葉──を多用した貴重なサンプル

 この時期、比較的弱めのツイートしかないのには訳があります。

 10月のパワハラ発言で混乱を極めた心の状態に、ほんの少しの危機感だけを頼りに産業医の面談を希望していました。

 救いが欲しかった。希望を求めてすがった産業医面談にて下された指導は、大黒様(ストレッサーである上司)との1対1の面談でした。

 今でもこの産業医の判断は悪手だと思っています。

 本来、ストレスチェックで面談を希望した場合、産業医が取るべき対応はセルフケアのレクチャーと、専門医の紹介などです。何故この産業医がセオリーに沿った指導を行わなかったのか、今となっては分かりませんし、その産業医にも、もう会いたいと思いません。

 私は忘れない。その時の大黒様との面談を。

 私は忘れない。今まで行ってきた職場改善を1つずつ取り上げ、そして1つずつ丁寧に否定されたことを。

 私は忘れない。時間をかけてじっくりと全てを否定し終えた後。「だからもっと“頑張れ”」と言われたことを。

 泣いていたと、思います。震える声を振り絞り「もういいです」と告げることしかできなかったことを。

 私は忘れない。

 私は、忘れない。

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